まるちゃんの めざせ!快適スローLife

本当の幸せを見つけて・・・
  第2の人生を歩き出した
      まるちゃんの徒然日記
    
 

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いらっしゃいませ! このブログは、まるちゃんのひとりごとを中心に テキトーに、マイペースで更新していきます。好きな読書記録や、菜園日記等もかねてます。一緒に元気になれるブログをめざしたいと思いますが、しょもないことも書いてます。ちなみに、いちおう人気ブログランキングと日本ブログ村に参加してます。遊びに来られたついでに、記事下か左サイドバーのボタンを2つポチ、ポチッとしてくださると嬉しいです。ゆっくり遊んでってくださいね。 あ、コメント・置き手紙・トラバ・ボケ・ツッコミご自由にどうぞ。

「ふたりの証拠」アゴタ・クリストフ著 堀茂樹翻訳

2017年02月20日 | 読書

衝撃の『悪童日記』を読み終わり、早く続きが読みたくて次の日にはまた図書館に行き、書庫にあった『ふたりの証拠』と『第三の嘘』を2冊借りて帰りました。読むならまず、3冊全部準備しておくといいです。どれも1日で読んでしまいます。

【戦争は終わった。過酷な時代を生き延びた双子の兄弟の一人は国境を越えて向こうの国へ。一人はおばあちゃんの家がある故国に留まり、別れた兄弟のために手記を書き続ける。強烈な印象を残した『悪童日記』の続篇。主人公と彼を取り巻く多彩な人物を通して、愛と絶望の深さをどこまでも透明に描いて共感を呼ぶ。】

おばあちゃんの家に一人戻ったリュカの15歳~23歳くらいまでの物語。

日記形式ではなくなったけど、やはり短い現在形の文が並ぶ。会話と事実から、一人で闇のようなこの世を生きることの難しさ、苦しさが重苦しく伝わってくる。リュカはまったく冷血というわけではなく親切にも見える。やさしさもある。けれど、読んでて、もやもやしてならない。

なんだ、このもやもやは???

そして、、、、、ラスト。

・・・・え? どゆこと??? 

ひょっとして・・・!!!

 

『第三の嘘』につづく。(ここで止めるわけにはいきません!)

 

愛(愛着)は乗り越えるもの。慈悲は育てるもの。

星4つ 

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スノードロップ

2017年02月19日 | 俳句日記

 逃げてゆく二月よ俳句できぬまま

ということにならないように、頑張って作ってみました。(上のは俳句か?)

 

47 目に見えぬ命を照らす雪の花

スノードロップって雪の花とも言うらしいです。小さな命、目に見えない命を照らすかわいい提灯みたいですね。


48 雪よりも日差しが好きよ待雪草

待雪草とも言うらしいです。顔を寄せてひそひそと、何しゃべってるんだろうなあって想像してみました。

雪が季語になるかな。冬の句かな・・・。

 

凡人、才能ナシって言われてもいい。作ることに意義があるのだ・・・よね?

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春めきて日に三粒のチョコレイト

2017年02月18日 | 俳句日記

 

46 春めきて日に三粒のチョコレイト

 

ワタシの辞書にバレンタインデーという言葉はありましぇん。

カカオポリフェノールは体によいらしいですね。チョコレートを食べるとホッと癒されるような気がします。72%は思ったほど苦くなかった。甘さの中にほんのり苦みがあって、美味です。香りもいいね。でも、カロリーも脂肪分も多いし、食べすぎはよくない。

ワタシは朝昼夕方と、一日に三粒ずつ食べてます。
チョコレートを食べて、元気になろう 

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「悪童日記」アゴタ クリストフ著 堀茂樹翻訳

2017年02月17日 | 読書

[アゴタ クリストフ]の悪童日記

【戦火の中で彼らはしたたかに生き抜いた――大都会から国境ぞいの田舎のおばあちゃんの家に疎開した双子の天才少年。人間の醜さ、哀しさ、世の不条理――非情な現実に出あうたびに、彼らはそれをノートに克明に記す。独創的な手法と衝撃的な内容で全世界に感動と絶賛の嵐を巻き起した女性亡命作家のデビュー作。】

久しぶりの小説は読書ログの課題図書。映画化もされたらしいです。

これは、、、おそろしい、、、。
たしかに、衝撃でしょうね。

でも、やっぱり、人間には本来慈悲の心というのは備わってない(育てるしかない)、ということかな、と思いました。生存欲だけで生きれば、こうなるということでしょうね。

したたかに生き抜く、とはそういうことなのでしょう。

戦時下、非情な祖母、偏見、などの環境で双子だけで生きる術を見つけていけば、こうなることはありうるでしょう。いくら”知能”が優れていようが、聖書を暗記していようが、双子の目に映る現実と生存欲の前ではどうしようもない。慈悲の心は育てられず、・・・それが自分に悪果となって返ってくるなどとは知らない。自分たちだけの世界に心を閉ざす二人には信じられるものはなにもない。

現実の世界を見れば神様など信じられないし(何もしてくれない)、大人たちは汚いし。生き抜くには、自分たちの目と頭だけが頼りなんだから、この世の真理はいつまでも見えないし、慈悲の心も生まれない。

幼い子どもがテロリストに洗脳されて、テロ要員として使われているらしいけど、この双子の場合は自分たちだけで学んだ結果、、、慈悲の心が学べなかったということかな。

これは二人が書いた日記(作文)という形になっています。彼らは、

>作文の内容は真実でなければならない。感情を定義する言葉は非常に漠然としている。その種の言葉の使用は避け、物象や人間や自分自身の描写、つまり事実の忠実な描写だけにとどめたほうがよい。

と、感情(主観)はあてにならないのだから、事実だけしか書いてはいけない、というきまりで書いているのです(知能の高さが伺えるね)。それはそのとおりかも知れないけど、ありのままの人間の世界には慈悲の心はないとも言える(彼らの場合は慈悲の心の存在価値がわからない?)。だからこそ、どうにかして慈悲の心は育てなければいけないのだけど・・・。

まだ二人の人生は終わっていないんだから、これからどうなるかはわかりません。「ふたりの証拠」「第三の嘘」と三部作になってるみたいなので、続きも読んでみたいと思います。

ドキドキしながら、1日で読めます。


ハッピーエンドのスッキリする話じゃないので

星4つ 

 

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「いじめ」という言葉

2017年02月16日 | ちょっと思ったこと

「いじめ」って、要は「悪行為」(人を不幸にする行為)ですよね。
悪行為は、どんな小さなこと(と”自分”では思っても)でもしてはいけないんです。すればその分不幸になるんです。大きい小さいは自分の主観でしかないんです。 

「いじめ」なんて言葉、必要なんでしょうか?どれだけの人が、「いじめ」という言葉の、厳密で正確な定義を知っているのでしょう?いじめの基準はすべての人に共通認識されているのでしょうか?

文科省によるいじめの定義もどんどん変わってきているし。しかも、文科省が決めてるし。文科省の定義って正しいの?

>「いじめ」とは、「児童生徒に対して、当該児童生徒が在籍する学校に在籍してい る等当該児童生徒と一定の人的関係のある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な 影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものも含む。)であって、当該 行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの。」とする。なお、起こ った場所は学校の内外を問わない。(平成25年~)

つまり、された人が苦痛を感じればすべて「いじめ」ということ。苦痛だと感じるならなんでも「いじめ」になる。むちゃくちゃあやふやじゃない?

悪気はなく親しみをこめた行為でも、取り方によっては「いじめ」になるってこと?現に自分が苦痛を感じてるのだから、すべて「いじめ」た人が悪い?

まずは意思表示しましょう。無理なら逃げましょう。できることなら乗り越える、でも何でも自分で解決できるなどと思わず協力してもらいましょう。助け合いましょう。人の話を聞きましょう。そして、自分は悪行為をしないようにしましょう。「いじめ」る人間より賢くなりましょう。

あやふやな基準の「いじめ」などという言葉は混乱の元になりやすいのでは?それより、きちんと「人が苦痛を感じる行為、不幸にする行為」という使い方をした方がいいのでは?さらに、「暴力、悪口、粗暴な言葉、押しつけ強要、ウソ、噂話、与えられてないものをとる、、、」など具体的にあげて、これらは自分も人も不幸にする、自分の首を絞めることってはっきり教えていかなければ。

しかも、悪行為をする人だけでなく、された人がそのことをどうとらえればいいのか、どう対処すれば不幸にならなくてすむのか、ということをきちんと教えてあげることが大事なのでは。

いじめの事件があれば、すぐに「誰が悪い」「責任は…」ということばかりが問題になるけれど、関わった人一人一人のすべての言動が問題なんだと思います。(関わったならばPTAも報道もコメンテイターもテレビ見てなんだかんだ言う人もブログに書いたワタシも…)加害者と被害者、ということではない場合がほとんどじゃないかな。一人一人みんなが自分の言動を反省しなければ、問題は解決しないと思います。

問題も個別に、ひとつひとつ対処するしかない。「いじめ」などとひとくくりにはできない。それぞれに違った人間がいて、それぞれの因果関係があるのだから。

それに、人間であるかぎりいじめ、悪行為の問題はなくなりません。人間界は、この世は「苦」なんだから。でも苦はただあるもので、苦しむものではない。乗り越えていくものなんです。

みんな、自分の胸に手を当ててよく考えてみましょう。自分だってやってるでしょう?人を責めたり、腹を立てたり、人のせいにしたり、悪口(陰口)言ったり、時には八つ当たりのようなことだってしたことあるでしょう?他人事じゃないよね。人ではなく”自分”をどうにかすることです。みんながそれぞれに、もっと自分を見つめることが必要なんだと思います。もっと慈悲喜捨の心を育てることが必要なんだと思う。

生きとし生けるものが幸せでありますように・・・

 

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