団塊オヤジの短編小説goo

Since 11.20.2008・時事ニュース・雑学・うんちく・豆知識・写真・動画・似顔絵師。雑学は、責任を持てません。

「七夕・隣の客2」

2009-07-07 06:11:38 | 短編小説

「七夕・隣の客2」

都月満夫

「男なんてみんな身勝手なもんだよ。」

隣の男が低い声で呟いた。私は聞こえない振りをして、ビールを口に運んだ。

「オレも身勝手なことを散々やってきたから他人のことは言えないけど…。」

男はかまわず独り言のように話を始めた。

「だけどよ、自分の妹のことになると話は別ってことだよ。」

男は目が据わって、何処か威圧感さえ漂わせて話し始めた。男の低い声に圧倒され、周囲は静かになった。

「妹は、小さな飲み屋のホステスをやってたんだよ。よくある話だけどな。客といい仲になっちまってよ。堅気のサラリーマンってやつよ。妹も馬鹿な奴だよ。自分の身分ってものを忘れてよ、男にのぼせ上がっちまったんだよな。」

 

話を聞きながら、私は昔のことを思い出した。高校を卒業して、地元の食品卸の会社に勤めた私は、当時、二十歳を過ぎて営業職になったばかりの頃であった。

毎日、営業を終え、会社に帰り、伝票整理を片付けると、午後九時を過ぎる。帰りに、大通りを挟んで向かいの小路にある小さな飲み屋「喜樂」に時々顔を出すようになった。

小料理屋のような名前だがホステスが三、四人いるバーである。ママが六十過ぎの年齢のためこんな屋号なのだろう。私は特に酒が好きというわけではないが、十二時過ぎまで店にいて、車を運転して帰るのである。

当時、昭和四十五年頃は、自家用車を持っている人は少なくて、警察の取り締まりも厳しくはなかった。今にして思えば、事故を起こさなかったのが不思議なくらいである。

ある夏の日、私が帰ろうとすると、店のホステスの一人である潤子が声をかけた。

「どっちの方に帰るの?」

彼女は年令が二十五、六歳で小柄で元気のいい女性であった

「緑ヶ丘の方だけど…。」

「私も緑ヶ丘なの。乗せて行って…。」

私は潤子を送って帰ることになった。車は大通りに駐車してあった。その頃、大通りは駐車禁止ではなかった。八丁目から十丁目の道路の両側には車が多数駐車していた。午前一時過ぎには、駐車している車はいなくなる。ほとんどが、酒を飲みに街に来ている人たちの車だったのだろう。

潤子の部屋は春駒橋付近の古い木造アパートの二階であった。彼女は私を何の躊躇もなく部屋に招き入れた。

「ねえ、しようよ。」

部屋に入るとすぐに、潤子は服を脱ぎながら言った。

「送ってくれたお礼…。だから気にしなくていいよ。」

私たちは関係を持った。潤子は、まるで握手でもするように、あっけらかんと身体を許した。私も何の躊躇いもなく、潤子を抱いていた。二十歳の私にとって、目の前にいる女性を拒否することなどできなかった。彼女は小柄ではあるが乳房は豊かで、はち切れんばかりであった。

「どお、よかった?」

潤子が聞いた。

「うん。」

私が返事をすると、

「そっか…、気に入ってくれた。嬉しい…。私のオッパイ大っきいっしょ?」

「うん、大っきい。すっごいよ。」

私が言うと、潤子は嬉しそうに両手で乳房を揺すって見せた。彼女は豊かな乳房がとても自慢げであった。

「じゃあ、オレ帰る。」

私が服を着て部屋を出ようとすると、潤子は裸のままで立ち上がり、

「したっけネ。」

と明るく手を振った。

 

その後、私はしばしば潤子と関係を持つようになった。冬のある日、潤子が関係を持った後で、タバコを吸いながら身の上話をしはじめた。

「潤子は中学を卒業してから、露天商だった兄貴にくっついて店の手伝いをしていたんだよね。そのうち、店の男に無理やり身体奪われて…。その男と同棲して…。バカだよね。」

「…。」

「アイツに、毎日毎日抱かれて、男の悦ばせ方教えられて…。上手くやらないと殴られて…。殴られたくないから…、気に入って欲しくて言われる通りにがんばって…。」

「…。」

「十六歳から歳をごまかしてホステスやらされて、稼いだお金はほとんどアイツに巻き上げられて…、それでも気が付かないで…。」

「お金を巻き上げられているとは思わなかったんだ…。」

「うん。自分がアイツにお金を上げているつもりで、いい気になってた。そのうち子どもができたら、殴られて、腹を蹴られて流産して、子どものできない身体になっちゃった。」「そうか…。」

「潤子はアイツの玩具だったんだよ。結局、捨てられて…、でも、幸いそれがきっかけでアイツと手が切れたんだけど…。」

「…。」

私は自分の生い立ちの中では全く考えられない潤子の経歴に返事もできずにいた。

「アイツらは女を道具としか思ってないんだから…。セックスと金を稼ぐ道具なんだ。だからサ、あんなヤツら大嫌いなんだ。」

「そうか…。」

「でもさ、アイツに教えられたおかげで、アンタを喜ばせてあげられる。アンタが潤子を抱いて喜んでくれる…。」

「…。」

私も複雑な心境で、返事も出来なかった。

「今は自分の好きな男に、抱かれたい時に抱いてもらえる。最高さ。」

潤子はセックスについては実にあっけらかんとしていた。潤子にとってセックスは男と女のコミュニケーションの方法のひとつでしかない。自分の思いが募って身体を許すという、順序を追った恋愛経験がないようであった。彼女のセックスをする判断基準は、恋愛感情以前の、好きか嫌いかで決定されているようである。

だから、潤子と関係のある男は私だけではない。潤子は他の男のことも普通の日常のことのように私に話しをする。彼女にとってセックスは特別のことではなく、日常生活の一部でしかないようだ。

私が潤子に抱いている感情は非常に表現しようのないものであった。私にとって潤子は馴染みの店のホステスで、恋人ではない。だからほかの男との関係にも嫉妬もしない。私は潤子にセックスだけを求めているのかというと、そうでもない。私からセックスを求めたことはない。だから、潤子が求めたとき意外は彼女の部屋に入ることはない。潤子との会話は、店でも、個人的にも、とてもリラックスできてストレスの解消になり、気分転換にもなる。潤子といる時間は、見栄も仕事もすべてを脱ぎ捨てて、裸の自分をさらけ出せる安心感があった。肉体関係がありながら恋人ではなく、ホステスと客であり、完全な友人ともいえない、不思議な関係である。不思議な関係であるというより、不思議な女である。

潤子との付き合いが始まって一年ほどたった七夕の時季であった。

「明日、七夕見に行こうヨ。店は休むから。」

店で突然潤子が私に言った。私は人混みの中を恋人同士のように歩くのは気が進まず返事に困っていた。

「行こうヨ。行こうヨ。」

私はせがまれてしぶしぶ同意した。

 

次の日、待ち合わせの喫茶店に入って私は驚いた。潤子はいつもの潤子ではなかった。茶色の髪は黒く染め直されていた。化粧はいつもの厚化粧とは異なり普通の娘のようであった。真っ赤だった爪にも薄いピンクの目立たないマニキュアが塗られていた。服装もいつもの胸が大きく開いたワンピースではなく、白いブラウスに赤いミニスカートという子どものような格好であった。潤子の大きな胸がブラウスのボタンを今にも弾き飛ばしそうで、不釣合いであった。

「どうしたんだよ。その格好。」

「可愛いっしょ。一緒に歩いても大丈夫でしょ。」

潤子はとても嬉しそうであった。

喫茶店を出て、笹飾りの下を歩くと、潤子は腕を組んできて、とてもはしゃいでいた。潤子の大きな胸がゴムマリのように、私の腕を押し、温もりが伝わってくる。

その後、私たちは小さなスナックでお酒を飲んだ。その店は潤子の知り合いのマスターの店であったが、私は初めての店であった。マスターは以前、潤子が働いていた店でボーイをしていた人だということだ。五十歳前後のとても愛想のいい人であった。

「マスター、潤子、お店休んで、七夕見てきたの。」

「そうか、この人は潤ちゃんの彼氏ってことかい。」

「いやだ、マスター。彼氏だなんて…。」

潤子は笑った。

「あれ?潤ちゃん、何でテレてるの?本気ってこと?」

「何言ってんのさ、マスター。この人に悪いベさ。この人は真面目なサラリーマンだし、潤子はホステス…。そんな訳あるはずないべさ。」

潤子は慌てていた。恥じらいを隠そうとするかのような、今までに見たことのない、潤子であった。

その後、私たちはホテルで関係を持った。いつもは潤子の部屋で別れの挨拶のようにセックスをするのだが、その日は潤子がホテルにどうしても行きたいと言った。

その日の潤子はいつもとは違っていた。しっかりと抱きついて身体を密着し離れようとしない。

「どうしたんだよ。」

「どうもしないよ。抱いて、強く抱いて。」

私は言われるままに、抱きしめた。

「ありがとう。ホントにありがとう。まさかホントに七夕に付き合ってくれるなんて思ってなかったから…、嬉しかった。」

その日以来、私は潤子の店にほとんど行かなくなった。その時の潤子の目が、今までの関係の一線を越えて私の方に踏み込んで来そうで、恐ろしかった。潤子とはあまりにも生きてきた世界が違いすぎる。私は潤子の生きてきた世界に触れていることはできても踏み込んでいく勇気はない。踏み込んで来られても受け止める自信がなかった。

 

「妹はよ、本気になっちまったんだよ。捨てられるのは分かってたのによ。本気になっちゃいけないって分かってたのによ。どうしようもなかったんだよ。分かるだろう、ママさんよ。」

隣の男は涙さえ浮かべそうな口調でママに話しかけ、強引に同意を求めた。

「そうね。…。」

ママは曖昧に頷いた。

「妹はよ、男のことも平気で話すヤツだったのによ、その男のことだけは一切喋らなかった。聞いたことがなかった。それだけ本気だったってことよ。そうだろう、ママ?」

「…。」

ママは頷いて、水割りのお代わりを差し出した。男はグラスを手に取ると半分ほどを飲んで話を続けた。

「アイツ、嬉しそうに話してたんだとよ。その男と七夕に行ったってよ。そいつが七夕飾りの下で、腕を組んで歩いてくれたってよ。 当時、妹が出ていた店のママが、後になって教えてくれたんだよ」

「…。」

ママは黙って、男の話を聞いていた。誰かが話を聞いてやらないと、男が暴れだしそうな不気味な雰囲気があった。

「その店のママの話ではよ、妹が、七夕の話をした頃から、その男が店に来なくなったんだとよ。そしたらアイツ段々イライラして、店で身体に触る客を嫌がるようになって、客とトラブルようになったんだってよ。ねんねのガキじゃあるまいし…、それを商売にしてたアイツがだよ…。それから、酒の量がどんどん増えちまって、店で酔い潰れることもあったんだとよ。そんなことしてたら身体を壊すって、ママが心配して、男に連絡して逢えばって言ったんだけど、そんなことをしたら嫌われるって、アイツ…。」

男の顔の皺に涙が沁みていた。

「その男の人のこと…、本当に好きだったのね。水商売の負い目ってのがあって、本気になればなるほど…、辛いわよね。」

ママがしんみりと自分の過去を思い出すかのような口調で言った。

「ママ、もう一杯、お代わり…。」

男が初めてママの顔を見て言った。

「それで、妹さん、その後どうしたの。」

初めはうす気味悪がっていたママも、男の話に、いつの間にか惹き込まれていた。

「…。」

男は悲しみをこらえるように押し黙って天井を見上げた。男の目から又涙が溢れた。少しの間があった。お絞りで涙をぬぐって男は話し始めた。

「妹はよ、間もなくアルコール依存症ってやつになっちまってよ、医者は面倒くさい病名で言うけどアル中だよ。悲しい酒や辛い酒は身体に悪いって言うけど…、本当なんだよ。

 そのうち、肝臓を悪くしてよ。体が真っ黄色になっちまって…。」

男は言葉に詰まって、新たな涙を流した。

「…。」

ママも言葉にならず頷くばかりであった。

「…最後は、最後は肝硬変ってやつで…、死んじまった…妹が死んだのは、その男と七夕に行ったって時から一年後の七夕の日だったのよ。アイツ、病院にも行かずに、酒を飲み続けて、すっかり痩せちまって…。オレも、この話を店のママから聞いたのは、妹の通夜の晩なんだ。妹の想いは、星が流れるように消えちまった。儚すぎて、寂しすぎて、それが、辛すぎてよ…。何で七夕の日に死んじまったのか…。お祭りを渡り歩く稼業のオレが七夕の夜だけ、毎年休業って訳よ。オレにとってはたった一人の妹だったからよ。こうして飲んでる。妹が死んじまったことも知らないで、その男が生きているのかと思うと、悔しくてよ…。妹のいた店、三十年ほど前に、そこの大通りの小路に在った喜樂って店なんだけど…、ママ、知らないかなぁ。」

「知らないわ。…。」

私は、喜樂と聞いて言葉を飲み込んだ。

「妹の名前、潤子っていうんだけど聞いたことないかな。」

男は続けた。私は耳を疑った。

「知らないわ。私はその頃はまだ真面目にお勤めしてたから…。」

ママが応えた。

「妹が惚れた男に、もしも会ったら…、ソイツを殺すかも知れない…。お前のせいで妹は死んだんだって…な。」

男の涙はすでに乾いていた。

「やめてくださいよ。そんな物騒な話は…。」

ママが引きつった顔で言った。

「大丈夫だよ。その男の名前は通夜の時に喜樂のママから聞いたけど忘れちまったし、顔も知らないんだ。ダンナが、その男だとしても、オレには判らないんだからよ。」

男は私のほうを向いてそう言うと、グラスに手を伸ばした。男が私の方を向いた時、ニヤリと笑ったように見えた。私はグラスを持った男の左手の小指の第一関節から先がないのに気づいた。

私は背中が凍りつき、額からは冷たい汗が湧き出した。

男は両手で拝むようにグラスを持った。そして、静かにグラスを口に運び、ウィスキーをゆっくりと飲み干した。両手で握ったグラスをコースターの上に、音も無く置いた。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 紫陽花について考える | トップ | 小説「「七夕・隣の客」(原... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

短編小説」カテゴリの最新記事