団塊オヤジの短編小説goo

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都月満夫の短編小説集

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「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
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「人殺し」
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「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
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「ママは外国人」
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「愛が牙を剥く」
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「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
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「草原の対決」【児童】
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「七夕・隣の客」(第一部)
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「桜の花が散った夜」

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「徐福伝説・日本各地に残る謎・・・?」について考える

2013-03-10 10:39:55 | 地理

紀元前219、「秦の始皇帝」が探索を命じた「不老長寿の仙薬」を「徐福」は見つけることができたのでしょうか。

Photo_6 秦の時代に、一人の男が始皇帝の命を受け、東方海上に浮かぶ「蓬莱の島」をめざして出航しまた。目的の島は仙人が住み、不老不死の霊薬が実る楽園です。その島は日本であったかどうかは分からりません。中国の史書は、徐福がその島で「平原広沢(へいげんこうたく/広い平野と湿地)」を手に入れ、そこに留まって王となったと記すのみで、それ以上のことは何も語るものはありません。

日本で「王」といえば「天皇」です。祖先は「徐福」なのでしょうか?

和歌山県新宮市に「徐福公園」があります。

新宮に伝わる「徐福渡来伝説」では、徐福たちの一行は熊野川の河口で上陸したことになっています。その上陸地点に現在記念碑が建っている。

Photo_7 そして、一行は上陸地点から北西約100mのところにある「蓬莱山(ほうらいさん)」の麓に住み着いたとされている。蓬莱山は熊野川河口に位置するお椀を伏せたような小山である。

蓬莱山の南麓には、熊野三神を祀る阿須賀神社が鎮座している。その境内には、徐福の宮が祀られている。徐福はこの地で薬草「天台烏薬」を見つけたと伝えられ、また医術や捕鯨・農耕など、さまざまな大陸の先進技術を伝えたといわれている。

興味深いのは蓬莱山の南麓から弥生式土器や祭祀遺物が出土していることだ。

『史記』の記述が史実ならば、徐福がこの地にやってきたのは紀元前210年。日本の歴史で言えば、まさに弥生時代の始まるころである。

徐福渡来伝説では、徐福はこの地で亡くなったことになっている。

徐福公園の楼門をくぐると、正面に御影石に刻まれた徐福の像と不老の池がある。

池の傍らには7本の「天台烏薬」が植えられている。「天台烏薬」は徐福が求めた不老長寿の霊薬とされているクスノキ科の常緑灌木である。

Photo_8 徐福の墓は天台烏薬の陰になっていて、正面からは見にくいが、横に回れば簡単にアクセスできる。

この徐福の墓は紀伊藩の初代藩主である徳川頼宣公が熊野を訪れた時、阿須賀神社に祀られた徐福の話を聞いて建てさせたもので、儒臣の李梅渓に書かせた碑は二段の台石の上に建っている。

墓の左には、昭和15年(1940)に建立された徐福顕彰碑が、右には大正4年(1915)に建立された徐福の重臣7人を祀る七塚の碑がある。

高知県県立牧野植物園の薬用樹木園に「天台烏薬」の木が十数本植えられている。

約二千二百年前、中国・秦の始皇帝の命を受けた「徐福一行」が、不老長寿の薬を求めて日本にやって来た。

各地を探索して回った折、土佐の須崎海岸に漂着した話も伝えられている。背後にそびえる山が薬のある「蓬来山」ではないかと、早速一行は山に登った。これが、佐川町から土佐市にまたがる「虚空蔵山(こくぞうさん)」(標高674.9メートル)である。夜になり、木々の葉を折り敷いて寝床としたので、そこが後に「柴折峠」と呼ばれるようになったという。夜が明け、大海原に上る日の出の光景に感激した一行は、鉾を高くかざして喜んだ。ここが「鉾ガ峯」と呼ばれている。

 <msnctyst w:st="on" addresslist="30:和歌山県新宮市;" address="和歌山県新宮市">

和歌山県新宮市

</msnctyst>で亡くなったとされる。

徐福伝説がある県

青森:津軽半島の西側、日本海に面して小泊岬があります。標高299mの権現崎に尾崎神社があり、徐福は航海の神として祀られています。

秋田県:秋田県の男鹿半島は対馬海流のぶつかるところです。なまはげで有名なこの地域にも徐福にかかわる伝承があります。

京都:北部にある丹後半島は日本海に面しています。丹後半島には浦島太郎伝説があることでも有名ですが、紀元前3世紀、対馬海流にのってやってきた徐福が上陸した地としての伝承があります。

佐賀県:金立山、浮盃、竜王崎など徐福に関係のある伝承地が数多くあります。また、吉野ヶ里遺跡からは当時の中国の人たちの特徴を示す人骨が発見されているとのことです。これらから、徐福は伝説上の人物ではなく、九州佐賀県に確かに足跡を残した実在の人物と言えるのではないでしょうか。

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コメント (10)

「都道府県名の由来と語源」について考える

2011-06-23 10:55:41 | 地理

※お願い※

全都道府県の由来と語源を記述しているため、ボリュームのある記事になってしまいました。読むのは面倒だという方は、ご自分の所属する地域だけでもご覧ください。五十音順になっています。懸命に調べました。

愛知:昔は「アユチ」と呼ばれていました。「アユ」は「湧き出る」という意味で。湧水が豊富な土地ということだそうです。

青森:青々と茂る松の森が語源だそうです。津軽藩士が開港するときに浜松が一面に生え、森が青々と茂っていたことからめいめいしたそうです。

秋田:アイヌ語の「アキ・タイ」で、芦が生い茂るところ。また、低湿地を表す「飽田(あくた)」が転訛したなどの説があります。

石川:地域の主要部は川の氾濫が多く、度々被害にあっていたそうです。その川、手取川は小石が多く、「小石川」と呼ばれていたのが語源だそうです。

茨城:古くは「いばら(茨)」を「うばら」「うまら」「むばら」と言い、「茨城」も古くは「うばらき」であったことから、文字通り「いばら」はトゲのある低木、茨(野薔薇)が茂っている場所が語源だそうです。「城」については、もとは「木」と書き「茨木」であったとする説や、「城」を意味する「柵」であったとも言われています。

岩手:民を苦しめた鬼が、神に懲らしめられ、二度と悪さはしないと、「三石岩(盛岡市)」に約束の手形を押したという伝説が由来で、「岩の手形」から「岩手」になったそうです。

愛媛:四国の古名が「伊予二名島」であることから、その代表の国であるこの地方を四国の長女ということで、姉という意味の「兄媛(えひめ)」となったそうです。また、「古事記」の国生みの条に「伊予国は愛比売(えひめ)と謂ひ」ちなんだとも・・・。

大分:昔は「オオキタ」と呼ばれていたそうです。「キタ」は段(きだ)のことで刻むの意味。その辺りが山や川によって大きく刻まれていた地形だったことに由来するそうです。

大阪:昔は「オサカ」と呼ばれていたようです。語源は坂が多かったことに由来するそうです。「オオサカ」と呼ばれるようになったのは江戸時代からだそうです。もとは「大坂」でしたが、「坂」は「土に返る」として、明治時代に「大阪」に解明したそうです。

岡山:かつては三つの、丘陵がありその一つを「柴津岡山」と呼んだことに由来するそうです。

沖縄:「オキ・ナ・ハ」が語源。「オキ」は「沖」、「ナ」は「魚」、「ハ」は「場」を意味し「沖の魚場」とする説。ほかに、「オキ」は「海の奥」、「ナハ」は「島」を意味し、「沖の島」が語源とする説があるようです。

香川:この辺りは渇水期になると、水がなくなる河川が多く、「枯川(かれかわ)」が転化したといわれています。

鹿児島:神話によれば、この地方に鹿児(鹿)が多く、大御猟場だったことから「鹿児の島」といわれたのが語源だそうです。

神奈川:この地域の川の名前が由来とされているようです。水源が不明の「上無川(かみなしがわ)」が転訛したという説。また、この川が「金川(かながわ)」、「狩野川(かのがわ)」と呼ばれていたとする説があるようです。

岐阜:「岐阜陽」が語源だそうです。中国では「岐」が「枝状に別れた細い道」、「阜」が「丘陵」、「陽」が「河の北側」を意味するといわれます。南方に輪中地域があることから「枝状に別れた細い道」は「木曾三川」のことで、「川の北側にある丘陵地」だと考えられているようです。

京都:「京」は「住みやすい丘」、君主の居城を意味する。「都」は人が集まるところであり、天子の宮城の所在地。「天子が住む宮城があった土地」が語源とされています。

熊本:「クマ」は崖下のことだそうです。また、「湿地」のことを「ムタ」というそうです。「崖下の湿地帯」の意味の「クマ・ムタ」が転訛したといわれています。また、南北朝時代に「隈本(くまもと)」といわれ、加藤清正が「熊本」と改めたといわれます。「隈」には「折れ曲がったところ」の意味もあり、曲がりくねった川(白川)の辺のことだとする説もあります。

群馬:古代の豪族、上毛野君の一族、「車持君」が住んでいたことに由来し、「車(くるま)」が、「グンマ」に転訛したといわれています。

高知:山内一豊が境川と江の口川の間の島に築いた城を「河中山(こうちやま)城」と命名したのが語源だそうです。この二つの川は氾濫が多く「河」の字を嫌い「高智」に改め、後に「高知」になったそうです。

埼玉:国府のあった多摩地方よりももっと奥のほうにあるという意味の「前多摩(さきたま)」または、「先多摩」が転化して「埼玉」になった説。また、埼玉郷は現在の行田市付近にあり、「さき(前)」「たま(湿地の意味)」から転じたとする説がありますが、いずれも由来は未詳だそうです。『万葉集』には「前玉(さきたま)」「佐吉多万(さきたま)」が見られ、「さきたま」が転化して「さいたま」になったことは間違いないようです。

佐賀:この地に一本の大きな樟の樹(くすのき)があり、倭建命(やまとたけるのみこと)が巡幸の際、この樹の茂り具合を見て「この国を栄える国と呼ぶ」としたことに由来するそうです。

滋賀:「シカ(石処)」の意味で「石の多いところ」だという説と、「スカ(砂処・洲処)」の転化したものだという説があります。現在の滋賀県大津市にある「石山寺」は巨大な岩盤の上に建っているため「石山」の名があるそうです。「石の多いところ」だという説が有力だそうです。

静岡:明治維新後、賤機山(しずはたやま)にちなんで命名されたそうです。賤機とは古代織物(麻)のことだそうです。

島根:「ネ」は接尾語で、そのまま島という意味だそうです。島根半島の東側、日本海に点在している島々にちなんだ名前だそうです。

千葉:千葉(多くのという意味)の果実を植えていた国主の庭園に、天女が舞い降り、国主はその天女を妻にしたという伝説に由来するそうです。

東京:明治維新後、京都(西の京)に対して、東の京という意味で東京となりました。「トウケイ」と読んでいた時期もあるそうです。

徳島:天象13年(1585年)、蜂須賀家政が入国し、築いた城を徳島城と命名。吉野川の河口近くの三角州だったことから「島」、それに縁起の良い「徳」が冠されたそうです。

栃木:かつてこの土地に「トチノキ」が生い茂り、土地の人たちが「トチノキの実」を食べていたことに由来するそうです。神明宮の神殿にある10本の千木からきた「十千木」が「とうちぎ」になり、「とちぎ」になったともいわれています。栃木市役所では「十千木」説になっています。

鳥取:地名としては、『和名抄』に「因幡国邑美郡鳥取郷」の名で見られるのが古い。水鳥が多く集まったこの地に、鳥を捕獲することを仕事とした「鳥取部」が住んでいました。その場所が「鳥取造」と呼ばれたことに由来するそうです。

富山:この地方はもともと「藤居山(ふじいやま)」といわれていましたが、ここに富山(ふせん)寺があることから転じて富山になったそうです。

長崎:文字通り「長い崎」のことで、長崎半島に由来します。鎌倉時代に「永崎浦」「長崎浦」の形で見えるそうです。また、室町時代の領主長崎氏のせいにちなみ名づけられたとする説もありますが、「長崎」姓も「長い岬(長い崎)」の地形に由来しています。

長野:善光寺の近くにあった村の名前です。「ナガ」は「広い」という意味で、「野」は「原野」を指しています。「広い原野」という地形にちなんでつけられました。

奈良:「ナラ」は「平」または「均」という意味で、山の中の小さな平地や緩い傾斜のことだそうです。この地域に続く平らな山を表した言葉が。地名になりました。

新潟:信濃川と阿賀野川の河口の中州の間にできた新しい内湾を「潟」と呼び、この周辺で村が発展したことに由来します。

兵庫:兵庫とは「つわものぐら」または、「やぐら」の音読みで、「武器庫」の意味だそうです。飛鳥時代にこの地域に武器庫が設置され、それが地名となったようです。

広島:戦国時代末期、この地域に流れる大田川の河口はデルタの形成途上にあり、分流によって多くの島ができ、島が広がっていたそうです。この地を支配した毛利輝元が最も広い島に築城したことに由来するそうです。

福井:「北の庄」と呼ばれたこの地に入植した松平忠昌が「北」は「敗北」につながるとして、縁起のよい「福居」と改称しました。その後、江戸時代に「福井と改められたそうです。また、水の湧き出るところの意味で「脹ヰ(ふくい)」であったともいわれています。

福岡:黒田長政が築城したときに、黒田氏の発祥の地である備前国(現在の岡山県)福岡庄にちなみ命名したそうです。

福島:「島」は盆地にそびえ立つ信夫山のこと。「福」はおめでたい文字なのでつけたようです。また、かつてこの地方が湖沼で、沼から信夫山が吹き出し、「吹く島」になったとする説もあるようです。

北海道:先住民族のアイヌ人が自分たちのことを「カイ・カイノ」と呼ぶことから、命名するときに「カイ」という言葉用い、律名時代に区分されていた七道にならって、「北海道」と命名したそうです。命名前は蝦夷地や松前と呼ばれていました。

三重:「古事記」によれば倭健命(やまとたけるのみこと)は東国平定の長い戦からの帰途、鈴鹿の熊褒野(のぼの)で亡くなったと記されています。桑名郡尾津の浜から熊褒野へ向かう途中、しだいに弱ってきた命は「わが足三重の曲がりなして、いと疲れたり」と語り、以後その地を三重と呼んだということです。

宮城:奈良時代に陸奥国府の多賀城が置かれ、朝廷の出先機関であることから「宮宅(みやけ)」と呼ばれていたのが転化して「宮城」の字が当てられたとする説。また、「宮城」の「宮」は古くからある「塩釜神社」をさしており、接尾語の「ぎ」に「城」が宛てられたとする説。さらに、「多賀城」が「宮城」と呼ばれていたとも言われ、「みやけ」説が有力だそうです。

宮崎:「宮」は神社(お宮)のことで、「崎」は突き出た大地という意味で、神社のある土地の意味だそうです。他に、「宮」は神武天皇の旧都を指すとする説もあります。初代の天皇といわれる神武天皇の住まいであった高千穂宮の前に広がる土地であるため「宮前(みやさき)」といわれていたのが、いつのころからか転訛して「宮崎」になったといいう説です。

山形:山方(やまかた)が語源で、山の方によった土地という意味。最上川の上流域を古くから山方と呼んでいたそうです。「形」と書くのは当て字と考えられているようです。

山口:文字通り、山の入口という意味。阿武郡の奥の山、東鳳翩山(ひがしほうべざん)に入るあたりを指していたのでこの名がついたそうです。

山梨:山に囲まれ、バラ科ナシ属の「ヤマナシ」という木が多くあったことに由来する。奈良時代には既に「山梨郡」と呼ばれていたそうです。

和歌山:海岸の深く入くんだ「和歌の浦」にちなんだとされています。古くは「岡山」と呼ばれていたそうだ。1585年、豊臣秀吉がこの地に御城を建てた後、何か新しい地名を付けたらどうかということになって、南西部に位置する景勝地である「和歌の浦」の「和歌」と元々の地名である「岡山」の「山」を組み合わせて出来たものが「和歌山」だそうです。

 以上、1道、1都、2府、43県の地名の由来・語源です。みなさんは、ご自分の居住地の由来・語源をご存知でしたか。なお、これらの由来・語源には諸説あり、必ずしもここに記載したものが正しいというものではありません。

したっけ。

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