すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

「老年を生きることの恩寵」

2018-10-31 10:13:04 | 読書の楽しみ
 梨木香歩の小説「海うそ」を読んでいたら、最後のところでこの言葉に出会った。
 なんて素敵な、うっとり幸福を感じるような言葉だろう!
 昭和初期、若い博物学的研究者の秋野は、かつて修験道の一大聖地であった、今はうっそうとした自然の中に平家の落人だったと言い伝えられる人々の住んでいる、南九州のちいさな島に入り、島の若者と野宿しながら山野を歩き回る。秋野は最近両親を相次いで失くし、婚約者も失くし、深い喪失感を感じている。その喪失感が、かつての隆盛の跡が廃墟となって残っている島自体の感じさせる喪失感と呼応する…
 …これから読むかもしれない人のために、ストーリーを書くのはやめよう。

 人生は、たぶんほとんどの人にとって、失うことの連続だ。親しい人を失い、若い頃の大きな夢やあこがれを失い、歳をとるにつれて体力や能力や健康を失い…にもかかわらず、老年を生きることは恩寵でありうるか?
 失うことの悲しみは、わたしの心の中で、というよりわたしという命の中でゆっくりと溶けて吸収されていく。歳をとるにつれて、わたしはその過程を自分で感じられるようになり、静かに肯定して受け入れることができるようになる。
 
 作者は、「喪失とは、わたしのなかに降り積もる時間が、増えていくことなのだった」と書いている(小説の最後の部分では、50年の時が経っている)。
 その通りだと思う。ぼくはまだ喪失感のただなかでもがいて抵抗しようとしているようだが、やがてそういう肯定に達することができたら良いなと思う。

 ところで、梨木香歩はとても好きな作家だが、ぼくより一回り若いはずだ。「海うそ」は2014年刊行だから、55歳くらいでこの小説を書いているはずだ。80を過ぎた老人の心境がこんなに的確に書けるなんて、作家というのはすごいものだ。

 …と思って、しばらくたってから、「あれ、ぼくは一度、過ぎていく時間に対する肯定感って、感じていたことがあったよな? この場合と全然違うものではあるかもしれないけれど」と気が付いた。保土谷の林の中の一軒家に一人で住んでいた時のことだ。そこは、時が非常にゆっくりと流れているような場所だった。あの頃はまだ、いまよりは体力があった。
 ぼくは今、抵抗しようともがいているただ中だが、あの林の中でそのまま老いていくべきではなかったし、そうはできなかったのだ。

 とすれば、梨木香歩がこれから実際に年老いていく中で、どのように思いを変化・深化させていくか、そこから書かれる作品がますます楽しみになってきた。
 残念ながら、ぼくの方が先に地上を離れてしまうが。
(「海うそ」岩波現代文庫)
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