すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

それにしても・・・

2018-10-05 10:53:13 | 老いを生きる
 それにしても、この夏の間に体力が大いに落ちた。前半の猛暑と後半の悪天候で予定していたほどは山に行けなかったせいもあり、家にこもって楽器の練習をする引きこもりのような生活をしていたせいもある。近くの体育館がオリンピックのための大改修工事で閉鎖してしまい、トレーニングに通えなくなってしまったせいもある。
 だが一番に考えるべきは、この歳になったら、意識的に運動量を確保しないのでなかったら、体力は自然にどんどん落ちる、ということだろう。
 3日前に山登りに行って、一昨日はほとんど、ベッドで本を読んで過ごしてしまった。普段から、山登りの翌日は、高尾山か陣馬山でない限り、次にどこに行くかガイドブックや山地図をあれこれめくるなどして、ぼんやり過ごすことが多いのだが、ベッドに横になって過ごすのはあまり記憶にない。
 しかも、微熱まで出してしまった。
 まあ、一日で退いたから、まだ絶望的とか、山はもうやめた方が、とかではないので、これから少し挽回を心がけることにしよう。
 また、ぼくは山は緑であってこそ、と思っているので、ここ数年、冬の間は山登りはせずにクラシックのコンサートに行っているのだが、今度の冬は久しぶりに冬も低山歩きをすることにしよう。
 ここ数年の経験で、春から始動したのでは、高山植物の一番美しい7月の時期に北や南アルプスに行く体力が間に合わないことが分かっている。だから冬の間も、体力の維持程度には行っておかねばならない。
 若い頃ピレネー山脈のふもとのポーの町で買ったピッケルを、いまから20年以上前に友人に「ぼくはもう使わないからあげるよ」と渡したのだが、このあいだ会ったら「あれまだあるよ。使うなら返すよ」と言われた。ピッケルを使うようなところにはいかないだろうが、返してもらって手元に置いておいても良いかな。(放置されたマンドリンのようになっているかもしれないが。)
 あと、優先順位の問題がある。
 現在のぼくには、残念ながら、2つや3つのことを並行して達成することは困難だということがこの夏はっきりしてしまった。それならば、体力の維持、ということを優先順位の一番にせざるを得ない。
 ほかのことは、できる範囲で、遠くを見ずに少しづつ、ということになる。すごく残念なことだが。
コメント (1)
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