すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

セレナーデ

2018-10-11 23:26:21 | 音楽の楽しみー楽器を弾く
 先日、某学校のマンドリン・コンサートを聴きに行った。中等部、高校、大学、OB会のそれぞれのステージに、合同ステージまであって、某大ホールで行われる大掛かりなものだった。
 合同ステージの「ウエストサイド物語メドレー」はなかなか楽しかったが、ほかの、主にクラシックの名曲たちはどれもあまり心に届かなかった。
 ぼくは最近、聴力がだいぶ落ちているので、コンサートは前の方で聴ことにしていて、今回も前から7列目で聴いたのだが、物足りない感じだった。後ろの人を気にしながら、部分的に耳に手を当てて聞いてみたのだが、やはり物足りなかった。
 マンドリンはあまり音量の出ない楽器なので、大ホールでの演奏会はしない方が良いと思った。
 それに、ヴァイオリンを中心とする普通のオーケストラの演奏する曲を演奏しても仕方がないのではないか。表現力から言っても、マンドリン族はヴァイオリン族には太刀打ちできない。
 マンドリンの教則本としていちばん有名なものを書いているオデル自身が、「マンドリンは表現能力が割合に少ない」と言っている。
 以前、バラライカ、ドムラを中心とするロシア民族楽器についても同じことを思ったのだが、演奏者はことさらヴァイオリンの、あるいはオーケストラの名曲・難曲を演奏したがるようだが、太刀打ちできることを示したいのだろうが、聞く方は、ヴァイオリンや通常のオケで聴いた方が心に届く。
 マンドリンにはマンドリンに向いた演奏形態や曲があるはずだ。叙情的な可憐な独特の音色を持っているのだから(これも、ロシアの楽器も同じ)。恋人の窓辺でセレナーデを弾くか、ホームコンサートか、せいぜいサロンコンサートぐらいの規模でやった方が良い。その方が人を感動させることができるはずだ。
 昔の吟遊詩人が街角で弾いている絵を見たことがある。吟遊詩人の楽器は竪琴と思い込んでいたが、イタリアではマンドリンも使われていたのだろう。その場合も、窓辺のセレナーデも、どちらも歌を伴っていたに違いない。
 今はそういうことをするミュージシャンはいないのだろうか? マンドリン専門店イケガクで尋ねてみたが、そのような音源も楽譜もないそうだ。
 ぼくが今18か25くらいだったら、音源も楽譜もなくても、そういう勉強を一から手探りでしてみたいものだが、この歳でそもそも初心者では、せめて何らかの手掛かりか、あるいは先生がいなければどうにもならないね。メロディーを弾きながら一緒に歌うだけでは、ボランティアぐらいはできても、そこから先には行けない。残念なことだが。
 自分の歌う、あるいは人の歌う、歌の伴奏をどのようにしたらよいのか、わからないまま過ごしている。
コメント
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