すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

賽の河原

2018-10-17 10:45:58 | 山歩き
 茅野駅で降りたら小雨が顔に当たった。バスは美しく紅葉した山道を登りながら、ずっとワイパーを動かしていた。
 渋の湯ではまだ小雨。傘をさして片手だけトレッキング・ポールをついて歩きだしてすぐ、濡れた木道でスリップした。沢になったところへ1mほど転げ落ちて右手の甲と左ひざの内側に青あざを作った。すぐに傘をしまって上下の雨具を着て、そこからは慎重に歩いた。樹林が切れて賽の河原と呼ばれる大石のゴロゴロしたところに出ると雨足が強くなった。巨大な一つ目小僧の目玉のような目印をたどりながら、喘ぎながら登った。
 今年は本当に山登りの天候に恵まれず、何度も中止したり雨に会ったりしていて、妹に「よほど前世の行いが悪かったんじゃないの」と言われるくらいだったのを、「前世が悪ければ人間には生まれてないはずだから、今生の行いのせいかもね」などと冗談を言ったのを、賽の河原を辿り乍ら思い出した。
 幸い、尾根が近づくころ雨は上がり、今登って来た谷がはるか下の方まで見えた。上から見ると岩と樹林のコントラストの美しい谷だ。尾根上の高見石の岩場によじ登ると、風花が舞った。南から来た人が、「天狗岳では雪になっている」と言った。
 中央アルプスの三ノ沢岳に行く予定だったのだが、天候が不安だったので比較的何度も歩いていて、山小屋も多くてエスケープルートもある北八ヶ岳に変更したのだった。三ノ沢は天狗よりも200m、高見石よりは600m高い。ぼくの脚で片道3時間ぐらいの往復の間、おそらく人にもほとんど会わないだろう。行かなくてよかった。
 白駒池に降りた。池畔の紅葉はもう終わっていた。白駒荘の新館は2年前にできたばかりで、美しく、気持ちが良い。山小屋風ではないし、宿泊費も高いが、濡れた体にはありがたい。池を真正面に見る個室だ。
 夜、池の上に美しい星々が出ていた。もうぼくは老眼で昔のようには星座を楽しむことができないが、ペガサスの秋の大四辺形は何とか分かった。(10月15日)
コメント
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