すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

余命

2017-07-11 19:45:40 | 老いを生きる
 今までの人生をやり直すことはできない。たとえそれがどれほど惨憺たるものであったとしても。だからそれは、どんなに苦くても、呑み込むほかはない。
 でも、今からぼくが死ぬまでの残りわずかな期間で、ぼくの人生を全体としてみたら最終的には何とか肯定する気になってもよいと思えるようなものにしていくことは、たぶんできなくはない。
 そのためには、今から始めなければならない。
 「残りわずかな期間で」と書いたが、今まで生きてきた時間の長さに比べたら相対的には残りわずかな、という意味であって、実際にどれだけ、とわかっているわけではない。
 ここで、重度の癌かなんかになって、「余命半年ですね」、とか「三年」とか言われてしまったと仮定しよう。
 そうしたらぼくは、その残りの時間をどのように過ごしたらいいか、悔いの無い充実したものにするには何をどうしたらいいか、十分に考え、これから自分のしたいことに優先順位をつけ、できるだけそれを実現できるように努めるに違いない。できることは限られていても、限られていることを思い患って無駄に時を過ごすことはしないだろう。
 ところで、平均寿命というものから考えると、僕の余命は10年ぐらいなものだろう。
 もちろんそれは平均の話であって、実際にぼくが何年生きるかはわからない。
 だが、医者に「余命半年」と言われたってそれよりずっと長く生きる人もいるし、「三年」と言われたってずっと短い間しか生きない人もいる。それだってやはりわからないのだ。
 それならば、僕は余命10年と思うことにしよう。そして、その間に何ができるか、何をすべきか考えて、それに従うことにしよう。
 取り返しのつかない過去のことを考えて過ごすよりずっと良い。
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