18世紀初めのヴェネチアのピエタに今でいうところの“赤ちゃんポスト”があったなんて知らなかった。18世紀と言えばヴェネチアはすでに衰退の色濃く、繁栄の最盛期はもっとずっと前だろうから、以前からあったものだろう。
現代のようには命の意味が重くなかっただろう時代だから驚いた。貴族社会の免罪符のようなものだったかもしれないが、少なくとも赤子の運命について真剣に考えた人たちがいなければあり得なかっただろうから。
ヴェネチアという町は、かつての栄光の記憶を抱えながら残照の中で衰退していく町として取り上げられることが多いように思う。この小説でも、そのように描かれている。
今まであまり興味を引くことのなかった町なのだが、今回、もう少し関心を持ってみてもいいなと思った。
大作だけれど塩野七生の「海の都の物語」を読んでみてもいい。トーマス・マンの「ヴェニスに死す」も読み直したい。アンデルセンの「即興詩人」も、主な舞台はローマだけれど、ヴェネチアにも行っていたはずだ。確か、あの主人公の名前もアントニオで、最後の方でヴェネチアで結婚したのじゃなかったっけ。
バロック音楽の花開いた町でもあるし、舟歌もある。日本では大正時代に「ゴンドラの唄」と「ヴェニスの舟歌」という大流行した歌もある。
ぼくが今からヴェネチアまで旅行することはないだろうが、その土地に行ってみなくても、いろいろ調べたり想像を膨らませたりすることはできる。
フランスでもロシアでもほかのどこの国でも、小説を一つ読めばそこから別の小説へ、音楽へ、歴史や文化へと関心は広がる。初めに一つの歌を聞いた、ということでも同じ。
逆に、例えばカンツオーネを歌う人が、歌だけでなく、食べ物やイタリアの観光名所やファッションだけでなく、イタリア文学やイタリア音楽や、もっと広く、文化や政治や歴史や、の全体に及ぶ広い関心を持っていなければ、その人の歌う歌は物足りないだろう。
シャンソンでも同じ。
ぼくはいまアメリカの音楽、アメリカ文学にかなり関心を持っているが、ほかの国にもいっぱい関心は持ちたい。
最近亡くなった大岡信さんの、「地名論」という良く知られた詩の美しい一節:
外国なまりがベニスといえば
しらみの混じったベッドの下で
暗い水が囁くだけだが
おお ヴェネーツィア
故郷を離れた赤毛の娘が
叫べば みよ
広場の石に光が溢れ
風は鳩を受胎する
現代のようには命の意味が重くなかっただろう時代だから驚いた。貴族社会の免罪符のようなものだったかもしれないが、少なくとも赤子の運命について真剣に考えた人たちがいなければあり得なかっただろうから。
ヴェネチアという町は、かつての栄光の記憶を抱えながら残照の中で衰退していく町として取り上げられることが多いように思う。この小説でも、そのように描かれている。
今まであまり興味を引くことのなかった町なのだが、今回、もう少し関心を持ってみてもいいなと思った。
大作だけれど塩野七生の「海の都の物語」を読んでみてもいい。トーマス・マンの「ヴェニスに死す」も読み直したい。アンデルセンの「即興詩人」も、主な舞台はローマだけれど、ヴェネチアにも行っていたはずだ。確か、あの主人公の名前もアントニオで、最後の方でヴェネチアで結婚したのじゃなかったっけ。
バロック音楽の花開いた町でもあるし、舟歌もある。日本では大正時代に「ゴンドラの唄」と「ヴェニスの舟歌」という大流行した歌もある。
ぼくが今からヴェネチアまで旅行することはないだろうが、その土地に行ってみなくても、いろいろ調べたり想像を膨らませたりすることはできる。
フランスでもロシアでもほかのどこの国でも、小説を一つ読めばそこから別の小説へ、音楽へ、歴史や文化へと関心は広がる。初めに一つの歌を聞いた、ということでも同じ。
逆に、例えばカンツオーネを歌う人が、歌だけでなく、食べ物やイタリアの観光名所やファッションだけでなく、イタリア文学やイタリア音楽や、もっと広く、文化や政治や歴史や、の全体に及ぶ広い関心を持っていなければ、その人の歌う歌は物足りないだろう。
シャンソンでも同じ。
ぼくはいまアメリカの音楽、アメリカ文学にかなり関心を持っているが、ほかの国にもいっぱい関心は持ちたい。
最近亡くなった大岡信さんの、「地名論」という良く知られた詩の美しい一節:
外国なまりがベニスといえば
しらみの混じったベッドの下で
暗い水が囁くだけだが
おお ヴェネーツィア
故郷を離れた赤毛の娘が
叫べば みよ
広場の石に光が溢れ
風は鳩を受胎する
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