すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

祈り

2020-04-15 20:22:41 | 社会・現代
 あなたが遭難しかかっていると仮定する。そして、危機的な状況の中で苦闘しているさなかに、あなたは突然、猛烈に腹が減って喉が渇いていることに気付くとする。
 その時、何を食べたいと思うだろうか?

 「星の王子様」で知られるサン=テグジュペリの「人間の大地」という作品の中に、次のような部分がある。素晴らしい文章なのだが、ここではざっと説明する。ぜひ読んでみて欲しい(光文社古典新訳文庫、他)。

 …“僕”は航空開発期の郵便路線のパイロットとして、西サハラの海岸線を飛んでいる。だが、その夜、機の位置と飛ぶべき方向を指示してくれるはずの地上からの無線が不調で、どこを飛んでいるのかまるで分らなくなる。気が付くと眼下の霧の隙間に海が見える。あわてて向きを変えるが、どれくらい前から海上を飛んでいたのか分からない。どの方向が陸地なのかもわからない。次々に見える、航空灯台だと思ったものはすべて、水平線ぎりぎりに光る星だった。燃料も尽きかけていた。
 そんな絶体絶命の中で、ぼくは、喉が渇いて腹ぺこなのに気づく。もし中継基地に辿り着けたら、満タンにしてカサブランカに戻ろう。街に繰り出し、早朝から店を開けているビストロを見つけよう…
 
さて、“僕”は何を注文するでしょうか?

 新型コロナウイルスで、感染爆発するかどうかの、医療崩壊が始まってしまうかどうかの、ぎりぎりの緊迫した状況が続いている。出口が何時見えるのか想像がつかない。このまま実際に感染爆発に至ってしまうのだろうか? そこまで行かずに収まってくれるのか、まったくわからない。
 だがいつかは必ず、ぼくたちはこの事態から解放されるだろう。三か月になるか三年になるかあるいは十年になるかわからないが、必ず。
 気が早いが、その時のことを考えよう。その時ぼくらは、以前のままだろうか?
 社会・経済・政治などのことはぼくには手に負えない。だからぼくたちの感覚のことだけ考えてみる。
 今回の症状のひとつに、味や匂いが感じられなくなることが言われている(ただし、典型的な症状とまでは言えないらしい)。
 事態が収まった後、ぼくたちの感じる味や匂いは、以前と同じだろうか?
 公園の水道の噴き上げる水の味は、雨上がりの樹々の匂いは、風の音や子供たちの上げる歓声や、空の輝きや、木のベンチの手触りは、同じだろうか? 
 朝のコーヒーの味や、手にした本の重さや、ふと耳にした音楽のフレーズや、友人の話し声は、愛する人の手の湿り気やコロンの匂いは、日々ぼくたちが感じるちょっとした嬉しさや哀しさは、同じだろうか?

 ぼくたちは今回、何気なく日々を送っていたこの現代社会がひどく脆いものであることを知ってしまった。人間の健康が、命が、あっという間に傷つき、失われてしまうようなものであることも知ってしまった。ぼくたちは深淵の上に生きている。この気づきは、東日本大震災・福島原発事故の時もあったのだが、今回もあの時と同じように、あるいはそれ以上に、衝撃的だ。
 そう知ってしまった以上、ぼくたちの感覚は、必然的に、変わるだろう。コーヒーはもっと香り豊かに、風はさらに快く、人はもっと愛おしく感じられるに違いない。ぼくたちの命が失われやすいものであるからなおさら、健康が大切なものであり、日々の生活が大切なものであることが実感される。そしてそうした日々の生活の味わいや健康は個人でなく同時代を生きる誰もが享受できるものにならなければならない。
 そのためには、ぼくたちの感覚が変わることを手掛かりに、さらにそれを磨いていくように意識しなければならない。
 そして同時に、ぼくたちは今までよりももっと思慮深くなるだろう。

 最初の質問、ぼくの身内の答えは、「ステーキと強い酒」だった。バツ。
 正解は、「焼きたてのクロワッサンとカフェオレ」だ。この後をちょっとだけ引用する。

 「…僕に生きる喜びを教えてくれるもの、それは香ばしくて、舌が焼けるほど熱い朝食の最初の一口だ。(略)人は牛乳とコーヒー豆と小麦の味を通して、のどかな牧場、エキゾチックなプランテーション、刈り入れ時の麦畑と結ばれる。人はこの味を通して、自分の惑星の大地と結ばれる。」

 いかにもフランス人だよね、この感じ方。これだからぼくはフランス文学が好きだ。生還した“僕”にコーヒーとクロワッサンはいつにも増して美味しかったに違いない。
 日本人には、こういう日々の味わいの感覚がずっと乏しいように思えてならない。

 この事態が爆発に至らずに収束して欲しい、そしてそのあかつきには、日本人がこの日々の感覚をもっともっと大切に生きるようになって欲しい…これがぼくの祈りだ。
 そして、思慮深くもなく新鮮な感覚もなく生きてきてしまったぼくのこれからの願いでもある。
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