すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

「なんにも愛さなくなったら」

2020-04-13 21:30:57 | 近況報告
 今日は一日冷たい雨。机の上を整理したり片付け物をしたりして、のんびり過ごす。
 山登りは“不要不急”だし、4月から改修オープンするはずだった区立体育館のジムも休館のままなので、ここのところ毎朝、足首に重りを巻いて、リュックに水の入ったポリタンを背負って、近くの林試の森を、なるべくアップダウンのあるところを選んで一時間半ほど歩いている(家族に、「バカじゃね?」とか言われている)。
 今のところ合わせて10キロぐらいだが、夏までには15キロで3時間、には持って行きたい。ぼくの今の体力から言うと、かなり遠い目標だ。
 実際、今はそれだけ歩いただけで、家に帰ると汗びっしょり。汗を拭いて着替えて一時間半ほど朝寝。これで午前中が終わってしまう、という状態だ。
 とちゅう、芝生の広場のベンチで一休みする。お茶を飲みながら樹々の上の青空を見上げる。その美しさに思わずため息が漏れる。
 月並みな言い方だが、「あこがれが空を駆けて」行きそうだ。山では樹々が新緑に輝き始めているに違いない。

 今週は思い切って、高尾山・城山ぐらいには行くことにしよう。4時半に起きて武蔵小山駅発5時20分の電車に乗れば、高尾山口駅に6時40分ぐらいに着く。1時か2時ぐらいに下山すれば、行きも帰りもほとんど電車はガラ空きのはずだ。人に迷惑をかけることも、感染の可能性も極少のはずだ。山歩き自体は、ほとんど濃厚接触のない、オープンエアの安全なスポーツだ。
 ぼくのこの考えは危険だろうか? 外出自粛破り、と非難されるだろうか?

 いまこの状況の中で大いに読まれているというカミュの「ペスト」の中にこういう一節がある。終わりに近いあたり、主人公二人が夜の海で水泳をする(じつは水泳は、当局によって禁止されている)、この小説の最も美しい場面の直前だ

「海水浴をしよう。(略)ペストのなかだけで生きているなんて、つまらないからね。もちろん、犠牲者たちのために戦う必要はある。でも、ほかになんにも愛さなくなったら、戦うことに何の意味がある?」 
(新潮文庫の訳ではなく、「100分で名著」の中の訳。この方が好きだ。)

 …もちろんぼくは「ペスト」の登場人物たちのようにはコロナに対して何も戦ってはいない。一般市民用の防護服なんてないし予防注射もないから、彼らのように志願の保健隊に参加することもできない。自粛することしかできない。
 でも、困難の中で投げやりになったり無感覚になったりせずに、新鮮な感情を持ち続けること、人を・自然を愛するのを止めないこと、それは、たぶん、ぼくたちにもできる、そしてしなければならない、大切なことだと思う。
 
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