すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

渡良瀬遊水地

2019-04-13 22:11:51 | 自然・季節
 家にいるにはもったいない陽気なので、ふと思いついて渡良瀬遊水地に行ってみた。思いついたのが遅かったので、東武日光線の「板倉東洋大前」駅についたのはもう11:00近くだった(家から2時間かかる)。徒歩では回れそうもないので、駅から向かう途中でレンタサイクルを借りた。
 遊水地を囲む堤防に着いて、呆然とした。無茶苦茶広い。想像していたのよりはるかに広い。(南端にある「谷中湖」だけでも面積4.5平方キロ、一周9.2Km、遊水地全体では33平方キロだそうだ。)見渡す限りの水と平地だ。
 とりあえず、湖畔の広い道を南に走る。桜がチラホラ咲いて、木々は芽吹き始めているが、全体としては、まだ枯れた風景だ。路傍はタンポポの群落だ。桜も美しいが、緑の中の黄色い花ほど美しいものはないとぼくは思う。菜の花も、山吹もそうだ(薔薇も、ぼくは黄色い薔薇が好きだ)。ウグイスとシジュウカラがしきりに囀っている。車もバイクも入れなくなっていて、歩いている人か自転車の人だけ、それもチラホラいるだけだから、静かで気持ちが良い。青空が実に広大だ。ここは関東平野のヘソなのだなと思った。
 南端の貯水池機場のそばで湖岸に腰掛けてお昼を食べた。水面の向こう、真北に遠く山並みが見える。左奥から皇海山、日光白根山、男体山、女峰山だ。双眼鏡で見ると、真っ白に輝いているのは日光白根で、谷筋だけ白く、全体としては黒く、いちばん堂々とそびえているのが男体山だ。皇海と女峰は残念ながらやや霞んでいる。
 湖の東側は通行禁止になっているので、戻って湖水を横断する道に入った。
 傍らの木の枝で囀っているホオジロを見つけて止まってみた。顔の縞模様がくっきりと見える。囀るときに顔をあげて天を向いて、のどの部分を広げて膨らませて声を出す。その喉元の震えるのさえわかる。あそこで息の量と強さをコントロールしているのだな。
 湖を渡り切って北岸を西に向かうと、昔の谷中村の跡だ。荒畑寒村の「谷中村滅亡史」に詳細に書かれた、あの田中正造が足尾鉱毒事件で村民救済のために奔走した、廃村を余儀なくされた、あるいは、国策で廃村させられた、谷中村だ。
 自転車を降りて歩いた。
 野焼きで黒く焦げた跡にもう緑が広がり始めている原っぱの中を行くと、かつての寺の、村民の共同墓地のあとの石碑や十九夜塔や無宝塔が点在する草地があり、正造が繰り返し祈ったという神社の跡があり(美しい水仙が二輪だけ咲いていた)、すこし離れて、やや小高くなった村役場の跡がある。
 草の丘の上に大木が芽吹き始めた枝を広げ、足元にはセリ科の白い小さな花が群落をつくり、切り株の周りにヒメオドリコソウが紫の花を茂らせている。失われた夢の跡のようだ。
 原発事故の2年後に双葉町に行ったのも、確か今頃の季節(4月の後半)だった。あの時も思ったことを、今日も思った。
 こんな美しい場所があるのに、住む人はいない。産業資本の都合と、それに追随する政治の強制で住み慣れた土地を離れねばならなかった人たちは、どれだけ無念だったことか。

 再び自転車に乗り、北に広がる広大な葦原のごく一部(とても回り切れないので)を回って、活動センターによってスタッフの人と少し話して、何と一冊100円の図鑑を三種類買って、もう一度湖岸に出ておやつを食べて駅に戻った。あとで気が付いたら、ぼくは渡良瀬川まで行っていなかった。毎度こんなへまをしているが。
 あたり一面の緑になるのはもうあと一ヶ月後ぐらいだそうだ。その頃にまた来たいものだ。さぞ気持ちが良いことだろう。次回はなるべく朝早くこよう。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「鳥の話」 | トップ | 「のだめカンタービレ」 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

自然・季節」カテゴリの最新記事