すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

社会が病んでいる

2018-06-07 21:55:14 | 社会・現代
 またまた悲痛な事件が起きた。
 ぼくの住んでいるこの目黒区で、五歳の女の子がノートに「おねがいします。もうゆるして」と何度も書きながら虐待死させられた。
 こんなことが起こるたびに、ぼくたちはその痛ましさに胸をかきむしられる思いがし、犯人の厳罰と、再発防止の徹底を願う。
 その前には、新潟で、下校途中の女の子が殺され、犯行隠ぺいのために線路に捨てられた。
 新潟の事件はまだ殺害の動機とかが解明されていないが、目黒の事件は親による虐待であるということで、全く異なる性格の事件ではある。でも、どこかで通底しているものがありはしないか?
 アメリカで銃の乱射による高校生の死亡事件がたびたび起こる。そのたびに銃を自由に所持できる社会が問題になり、規制の必要性が叫ばれる。でも結局は、監視の強化が提案されるくらいで、そのうちにまた事件が起きる。
 ぼくたち外国人から見たら、アメリカ社会そのものが病んで壊れているのだとわかるのだが、米国民自身にはそうは見えていず、犯行を起こすのが特殊な異常な人たちにしか見えないのだ。だから監視の強化や対抗措置で解決できるはずと考える。
 これはモグラたたきに似ている。そして、すべてのモグラをあらかじめたたくことなどできない。

 日本で次々に起こる悲痛な事件も、すでにこの社会が深く病んで壊れていて、その症状が次々に発現するのだと考えるべきだ。
 以前、地下鉄の駅で、あたりかまわず子供をののしってひどい言葉で怒鳴り散らしている母親と、泣き叫びながらそれでも母親の後をついていこうとする女の子を見かけたことがある。母親はもう全く自分の心のコントロールを失って、「お前なんかいなくなっちまえ」というように苛立ちと怒りに任せて子供を否定している。
 あの子供は虐待死させられなくても、一生消えないトラウマを背負って大人になって、たぶん自分も心のバランスを欠いたまま生きていくことになるだろう。
 事件として報道されるものの後ろに、そのようにして生きていく膨大な数の子供たちがいる。
 そして、その前に、苛立ちと怒りを抱えて爆発しそうな膨大な数の親が、あるいは大人が、あるいは若者がいる。ぼくたちの身近にも、そうした人がいるかもしれない。
 (あるいは、ぼくたち自身が、そこまでではなくても、自分でも気が付かない鬱屈を抱えて生きているかもしれない。このことは別に書く。)
 
 かれらの苛立ちと怒りは、被害者となる子供によって引き起こされたものではない。子供は、苛立ちと怒りをぶつける捌け口にされているだけだ。
 ダムがだんだん土砂で埋まって浅くなり、少しの大雨にも耐えられずに氾濫を起こしてしまうように、現代人の心の貯水池もひどく浅くなっていて、すぐに決壊してしまう。
 その原因はいくつかあって、ひとつは、自分の欲望や欲求がすぐに満たされるのが当たり前、というように現代人が思わされていること。その元凶はメディアを通じて流されるCMにあると思う。もちろん、企業が利潤を上げられるようにそうしたのだ。イメージ戦略、というレベルをとうに超えて、そのように社会を築いてしまったのだから、引き返すのは困難だ。
 もう一つは、そのように思わされているにもかかわらず、現実には非正規の仕事しかなかったり、仕事があっても安い賃金で、しかも非人間的にこき使われ、取り換えのきく労働力として、生活設計も自己実現の可能性も奪われた境遇の中で貧しく希望もなく生きている人が多いこと。
 この、どちらも資本主義が生み出したものである幻想と現実とのギャップ。
 第三に、ぼくたちはこれまた資本の都合によって、故郷から都会への移住を余儀なくされ、自然をはく奪され、共同体から切り離されて小さな閉ざされた住居に住まわされていること。
 大量生産の安価な安全性の確かでないものを食べるのを余儀なくされ、味覚や好みや自由であるはずの余暇の使い方までも、TVで流れるものに慣らされて当たり前だと思わされている。
 そうして、狭い濁った水槽にたくさん入れられた金魚のように、息が詰まっている。

 アフリカやアジアやアラブで、貧しい人たちをずいぶん見た。彼らの中にも犯罪を犯す人はいる。頭のおかしな人もいる。でも、ぼくたちの社会のように理不尽な、悲痛な事件が日常的に起きることはない。
 ただしぼくの見たのは、20年も30年も前のことで、今は彼らの生活もグローバル化という資本の圧力を受けて否応なく変えられて、ひずみは大きくなっているだろう。だからテロなどが起きる。
 それでも親子の絆は、隣人との絆は、まだぼくらの社会よりは残っていると思う。通訳をしていたころの同僚で、今でもアラブ世界と日本とを行き来している友人がいる。彼が帰ってきたときにいろいろ聞くことができる。彼の話してくれる人々の様子に、ぼくはほっとする。

 …話がどんどん逸れていくし、長くなったので、続きはまた書くことにする。
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