すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

疲労感

2018-06-06 17:59:33 | 老いを生きる
 梅雨の雨が降っている。閉め切って楽器の練習をしていると、汗が噴き出してくる。でもじつは、今日は雨が実際に降ってホッとしている。今日は両神山に友人と登る予定だったのを一昨日の時点で延期したからだ。行けなくなったことをほっとしているのではない。天気予報を見て延期の判断をしたのに当日良い天気だったらがっかりするからだ。そういうことはしばしばある。
 3日の日曜日に棒の折れ山に行ってからここ三日、なぜか体が軽い感じがする。いつもなら、山登りの翌日から3日くらいは、疲れが取れなくてぼんやり過ごしているのだが、今回はそういう感じではない。
 そういえば、前々回の「きれいな空気」は当日書いたが、山に行った当日の夜に、家に帰ってビールを飲んだ後にブログを書くなんて、今まであり得なかった。
 その一週間前に陣馬山に行ったのが効いているのかもしれない。「ハイキングは、高い山でなくていいからなるべく続けて行った方がいい」、とは、よく言われていることだ。
 そういえば、午前中に体育館にトレーニングに行って、お昼ご飯を食べて3時ぐらいまでの長い昼寝をした後は、体が比較的楽な気がする。
 とすれば、ぼくに必要なのは体を積極的に使うことであって、体力の温存を図ることではない、ということになる(こんな話に付き合ってもらってすみませんね)。
 体がだるくて仕方がない時は、打つべき手は二種類あって、寝るかストレッチをするかだ。ただし、ある時にどちらが有効か、どちらをするべきか、は、まだ経験上よくわからない。
 そういえば、疲労感というのは、寝不足だから、とか、体を使っているから、とか、頭を使ったから、とか、ストレスが溜まっているから、とか、ご飯を食べたあとだから、とか因果関係がはっきりしているわけではなく、時々突然どっと襲ってくるもののようだ。
 しばらくすると、ほんのちょっとしたきっかけで、嘘のように消えているのに気づく。それがまたしばらくするとどっと来る。
 この疲労感の間欠性の原因と対策が分かれば、生きていくのがずいぶん楽になると思うのだが、いまのところ分からない。
 夕方から夜の仕事をやめてからまだ3か月ちょっと、ぼくはまだ老人にあるべき1日の生活のパターンができていないのだろう。早起き型に切り替えなければ、と思うのだが、実際に朝は6時前には起きるのだが、昼間疲れていても夜10時ぐらいになると、疲れが取れて体が軽い、ということが多い。それで夜更かしをすると、朝の二度寝や昼寝が必要になってくる。
  
 両神山は11日に延期したのだが、11日も雨のようで、再延期になりそうだ。まあ、この時期は仕方がない。梅雨の晴れ間を見てちょこちょこ登って、体力を何とかしておかないと、毎年高校時代の友人と行っている夏山が、今年は針ノ木大雪渓を登って針ノ木岳・蓮華岳・岩小屋沢岳の2泊3日になった。
 まあ、ぼくたちは登山ガイドで1泊2日の行程を2泊3日にしているし、実際には前夜ふもとに泊まって3泊4日の、客観的に見ればずいぶん優雅な山旅なのだけれど。
コメント
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