すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

「ワールドカップ、やめようよ」

2018-06-25 04:00:20 | 社会・現代
 今から8年前の6月に、ぼくは古いブログに以下のような記事を書いている。
 今、新しい記事を書いている時間がないから、この古い記事を再録しておくことにする。ここに書かれたことはそっくりそのまま今も生きている。
 いや、状況はさらに悪くなっている。マスコミはさらに競争でこれを取り上げ、若者はこれで憂さを晴らす。人々はますます愛国的に・刹那的になってゆく。そして、この社会の現在は、未来は、意識から遠ざけられる。
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 ワールドカップが始まってしまいました。これが始まるとニュースがこれだらけになるんですよね。とくにNHKがひどい。今日の番組表を見ると、19:30~20:45までと、22:00~1:00までがワールドカップ特集。この他に定時の番組で朝からやっている。オリンピックもそうだけれど、「そんなに盛り上がらなくてもいいじゃない」、と思ってしまう。
 オリンピックとワールドカップ、やめようよ。
 あ、訂正。そういう大会自体は、あってもいい。過剰に盛り上がるのは、やめようよ。そして、こんな場面でだけ愛国者になるのはやめようよ。とくにマスコミと、それに振り回されている人たち。
 スポーツでむやみに盛り上がるのは、愚民政策ですよ。
 政策と言うのは正確ではないかな。日本の政権が、意図的にスポーツを盛り上げているとは言えないだろうから。むしろ、経済の都合と言ったほうがいいかもしれない。
 アフリカや中南米などの貧しい国、北朝鮮のような独裁的な国では、政治家や国家が貧しい人たちの不満をそらすために、批判をそらすために、スポーツを盛り上げる。サッカーはその最たるものです。
 だから、報道で過剰に盛り上げれば盛り上げるほど、その国が貧しくて矛盾に満ちている証拠のようなものです。最近の日本は、ちょっとひどい。
 (オリンピックで高橋大輔が銅メダルをとったとき、NHKは19:00のニュースの冒頭から17分間、そのことを報じていた。同じ日にフランスのスキー選手二人が金メダルを取ったけど、フランスのニュースでは後半のスポーツコーナーで2分間報じただけだった。
 また、「今回のワールドカップでフランスチームは決勝ラウンドに進むと思うか?」というアンケートに、57.9%がノンと答えている。ウイは20.4%、わからないが21.4%。フランスの方が、マスコミも大衆も、ずっと冷静です。)

 アフリカに行くと裏町のちょっとした空き地で、あるいは路上で、少年たちが裸足でサッカーをしている。ベコベコに空気の抜けたゴムボールを蹴っているのはマシな方で、ぼろ布や、時にはバナナの葉などを丸めて縛ったものを蹴っている。サッカーは道具の要らない、どこででもできるスポーツである。そうして彼らは、いつかスター選手になり、ヨーロッパリーグでプレーし、大金持ちになり、英雄になることを夢見ている。
 その夢をかなえられなかった人たちは、TVやラジオのサッカー中継に熱中し、声を嗄らして叫び、時にはフーリガンになり、自分たちの貧しさや、社会の矛盾や格差や政治家の腐敗や…を忘れる。
 アフリカだけの話ではありません。さっきフランスは日本より冷静と書いたけれど、例えばフランスへ行くと、パリをぐるりと取り囲む、バンリュー(郊外)と呼ばれる地域があります。移民労働者の家族の住む割合が極端に高い地域です。人々はH.L.M.(低家賃集合住宅)に住み、そこにはろくな文化施設などなく、交通の便が悪いので華やかなパリ市内から切り離されていて、楽しみといったらサッカーに熱中するぐらいしかない。
 何年か前にパリ郊外で警察に不審尋問された少年たちが変電所に逃げ込み、二人が感電死、一人が重傷を負う事件が起きました、三人とも移民労働者の子供で、サッカーの帰りに工事現場に入り込んだのでした。
 (この事件は当時のサルコジ内相の強権的弾圧のせいもあって、フランス全土に騒乱を巻き起こしたので、日本でも報道されたはずです。)
 貧しい階層の子供たちが、サッカーを夢見ている。
 おそらく、ドイツやイギリスのフーリガンたちも、同じように貧しい地域に住む、サッカーに熱中するほかに不満の持って行き場のない人たちなのだろうと思います。

 日本は関係ない話、ではありません。格差がどんどん広がって、失業や就職難が増大していく中で、人々は大勢でTVの前に集まって、声を嗄らして叫ぶほかに憂さの晴らし方がわからなくなっている。あの「イエーイ!」というわけのわからない一斉の叫びは、判断の・思考の停止以外のものではないでしょう。あの人たちが、これからだんだんフーリガン化していく可能性は高い。すでに浦和で、他所で、始まっている。
 サッカーも、他のスポーツも、一流選手になることができ、ヒーローになることができるのは、スポーツ留学などの英才教育を受けられる一部の恵まれた子供たちだけでしょう。圧倒的に大部分の子供たちは、声を嗄らして憂さ晴らしをする若者に、大人に、なるしかない。
 そして、日本全体がだんだんそういう熱狂に浮かされるようになってきている。
 安価な使い捨ての労働力を利用しようとする産業界にとっては、好都合かもしれないけれど。

 もう少し覚めた目で、この国の現在と行く末を見ようじゃないですか。(10/06/11)
コメント
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