すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

補足

2018-06-19 22:39:41 | 社会・現代
 先日から引用させていただいている杉山春さんの旧著「ネグレクト 真奈ちゃんはなぜ死んだか」(小学館文庫)を読んだ。
 これは、2000年に愛知県で起きた、三歳の女の子が段ボール箱に入れられ、ミイラのようになって餓死した事件を追ったルポルタージュで、小学館ノンフィクション大賞を受賞している。
 両親(事件当時ともに21歳)の成育歴だけでなくその親たちの成育歴から追った、たいへん考えさせられるところの多い重い書物だが、今まで書いてきたことの繰り返しになるので、この本自体の紹介はしないでおく。
 そのかわり、と言っては何だが、文庫本解説を書いている野村進氏の文章を引用させていただく。これも、大変重い文章だ。
 野村氏も、ぼくが「社会が病んでいる」(06/07)で書いたのとまったく同じような母と子の姿を目撃したことから書き始めている。そこでは、母親のののしり声は、「早く来いって言うんだよ!てめえ、ぶっ殺されてえのか!」となっている。

 …わたしが付き合う機会の多いアジアの留学生たちからは、こんな質問を受ける。
 「どうして日本人は、親が子供、殺しますか? そして、子供が親、殺しますか? わたしの国では絶対ありません」
 来日して一番ショックだったのはこのことだと、ベトナム人の留学生も、モンゴル人の留学生も、中国人(正確に言えば中国・朝鮮族)の留学生も口をそろえた。私たちは、子殺しや親殺しのニュースに驚かなくなって久しいが、アジアの、とりわけ“発展途上国”から来た留学生にとっては、頭を棍棒で殴られたような衝撃を受けるようだ。
 日本も昔はこうではなかった。明治時代の初期に来日した欧米人たちは、日本人が朝から晩まで子供らの世話を焼き、人目もはばからず我が子を慈しむ姿に感銘を受け、しばしば滞在記に書き留めている。それがいつごろ、なぜ変わったのか。
 次から次へと起きるショッキングな事件をマスコミ経由で知らされる私たちは、異常な事件は、自分とは縁もゆかりもない異常な人間がしでかした凶行と何となく結論づけ、そうやって自分をまたなんとなく納得させて、すぐに忘れ去る習慣を身に付けてきた。…
 
 ここで触れられている、欧米人から見た明治時代の日本人の姿については、「逝きし世の面影」渡辺京二著、に、感動的に記されている(実は、大変分厚い本であって、ぼくも一部しか読んでいないのだが、今度読み直してみたい)。渡辺京二さんは、先日亡くなった石牟礼道子さんを支えた人としても良く知られている。
コメント
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