朝のNHKラジオから~~牧野富太郎物語、
日曜6時代前般「落合恵子の絵本の時間」
昨夜(五日)の深夜放送を聞き眠りについた。
今朝(六日)、6時台のラジオ放送を聞いていると、見出し⇧の内容が耳に入った。
どちらかと言えば、TVはよりラジオ派と言った方がよいかもしれない、縄文人です。
相変わらず、ロシヤがクロアチアに侵攻したニュースで一杯です。
「江戸川土手に、小さい春を求めて(1~9)」の中で、此の記念碑をUPしようとしましたが、
過去において何回か試みていたのでストップをかけた。
しかし、今朝のラジオから牧野富太郎物語を聞き、エイヤー一念発起しました。
【内容】
— 花と恋した生涯を美しい絵本で —
独学で日本初の本格的な植物図鑑を送り出し、
「日本の植物学の父」とよばれた牧野富太郎。
植物を愛し、その魅力を伝えた生涯を
簡潔な文と美しい絵で描く、あたらしい伝記絵本。
生涯
1862年(文久2年)、土佐国佐川村(現、高知県高岡郡佐川町)の、近隣から
「佐川の岸屋」と呼ばれた造酒業を営む裕福な家に生まれた。
幼少のころから植物に興味を示していたと伝わる。
元は「成太郎」という名であったが、2歳で父を、5歳で母を、6歳で祖父を亡くした。
のち親戚の家で育てられました。
植物の事一心で、小学校卒業でしたが、後に東大の研究室にも出入りが許されるようになった。
その後立派な植物学者として学研に励む。
江戸川河川敷、小岩菖蒲園脇に立つ記念碑
植物図鑑から引用
ムジナモとは
浮遊性の水草で、根は発芽時に幼根があるだけで通常はない。
葉はハエトリクサと同じく二枚貝のような捕虫器官になっており、、ミジンコなどの
動物プランクトンを捕食する。
細長い茎を中心にして、捕虫葉が風車のように放射状に輪生する。
▲ 無学から 一念奮起 博士成る
植物のこと 富さん聞きな (縄)
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久しぶりに聞きました。
博士の伝記を読んだのは
もうはるか昔の高校時代でした。
懐かしい!
昨年までは綺麗な土筆が林立している場所ですが、今年はポツポツと3本・・・いがやっていました!
あっ・・・いがやって?=こちらでは素直でない歪なと言う意味で使います。
牧野富太郎博士や、岡山出身の内田百閒の子どもの頃のような自然は・・・何処へ行ってしまったのでしょうね!
災害も多発し、また人の手で破壊されていく!
この先、世界はどのようになっていくのでしょうねぇ~
牧野先生のあの図鑑に導かれて・・・・と言うのも見えの張りすぎでしたね。
先生の力作の「植物図鑑」は難しい言葉がちりばめられていて大変読みこなすのが難しかったです。
まずはポケットブックあたりから見当を付けてから牧野植物図鑑で確認するというやり方しかできませんでした。
先生は植物以外にも故事来歴に大変お詳しくて、記憶力抜群の方だったようですね。
小生的には植物学のアインシュタインという位置づけでした。
≫≫≫とは言っても道具で穴を開ける作業は手こずりますね・・・。
そうでしたか。
我が家にも穴あけ気がありますが、やはり苦労してそれ以来マルチは使っていません。
あの穴あけ器、火であぶって熱をかけたらどうでしょう。
ビニールを熱で焼き切るのが簡単だと思いました。
明日ジャガイモ種の植え付けです。
▲ 土手つくし 子らハンカチに 包み帰路 (縄)
プーチンも困ったものです。
号令一過、何をしでかすか、狂乱者に等しい。
牧野先生のあの図鑑に導かれて・ページを開きましたか!!
いやこれはスゴイです。
植物学博士という事、無学から博士になられた…と言うくらいしか心得ていません。
今度図書館に行ったとき開いてみましょう。
小学校中退で小学校の代用教員したり、頭が良かったのでしょうな。実家は裕福な醸造家、祖母と番頭さんに経営を任せ、実家の収入で研究生活を続ける。実家は没落。その後は借金を重ねる。帝大では安月給で助手、講師を47年間。植物標本40万枚、命名1500種、奇人、変人。そういう人でないと偉業はできない。
、
ふと足元を見ると 動かなくてもたくさんの【雑草】
牧野富太郎博士から 叱られますね。
まだ真っ暗の北九州です。今日もいい日でありますように・・・
≫≫雑草という植物はない。
そうでしたか…!!?
昭和天皇がよく口にしていたのでなき昭和天皇かと・・・・・・。
▲ 為せば成る 無学の身でや 博士号 (縄)