感動 !! 善兵衛樋の跡を見る
(現在は排水樋菅設置)
何時も通り過ぎていた掘割でした、改めて見入る
探検ルートは、
水神碑➡民家の聞き込み(有力情報)➡石井善兵衛翁の生家確認➡水神碑に戻る。
一応の目安が着きました。善兵衛翁方の生家確認した。
江戸川土手右岸は一体どうなっているのだろうか、土手を超えて探検することとした。
善兵衛樋跡を発見、そこは排水路となっていた。
今まで漫然と通り過ぎた場所でした。
水神碑の脇にあったタンポポ見納めて土手に向かう・・・・。。
水神の碑、裏面
もう一度石垣から流れ落ちる滝を眺めた・・・・。
江戸川土手に向かう。
横断歩道路は、金町~蔵前道路(市川橋西詰)を結ぶ区道です。
階段を上りて、江戸川の右岸土手です。
江戸川右岸からの眺めです。真中を江戸川が流れその先は江戸川左岸、
里見公園から続く崖線です。
江戸川土手からの佐倉街道、親水公園方向を見る
江戸川の対岸の矢切方面を見る。
排水路。
ありました!! 【善兵衛樋菅】の5文字を発見
せめてもの石井善兵衛翁の形見とでもゆうべき文字。
感動感動又感動。
此処は何度となく通り見過ぎていましたが、関心を持ってみなかったので素通りでした。
石井善兵衛館の場所を確認できただけで、大きな収穫。
有志糺合し協心同心して明治11年竣工成った善兵衛樋を通水して江戸川から、乾田の田畑に水を引く、どんなに心が躍ったことであろうか。・・・がしかし、水は高きから低きに流れ田畑を潤す。高低差はどのくらいなのであろうか、濠雨や台風などで余分な水は入ってこなかったのであろうか、防水堤は如何なっていたか疑問は沸くが、排水場所の善兵衛樋跡&その生れた家を確認大満足の探検でした。
OPEN
昨日はコメントが開かなかったのです。
祝い竣工
・ 善兵衛樋協働和心用水路 (縄)
乾田が、実り豊か
・ 用水路村民挙げての偉功也 (縄)
明けたり閉めたりで申し訳ありません
「石井善兵衛の樋を読み解く」シリーズ完成ご苦労様でした。
心地よい疲労と、充実感に浸っていらっしゃることでしょう!
故郷のため池を拝見し、私の実家近くにもこのような溜池があります。
実家は田圃の多い家で、溜池の水を使って田植えをするほとんどの田圃が実家のものでしたので、「家の池」ぐらいに思っていました。💦
疎開をしていた大阪の従弟半の兄弟が、もう亡くなりましたが、生前「池の碑を抜いて爺さんに烈火のごとく怒られた」話を良くしていたのを思い出しました。
・ 心地よし善兵衛樋を検証し
出来が7分で良いよしOK (縄)
とんちゃんのコメを読み終えて身がブルット来ました。
≫生前「池の碑を抜いて爺さんに烈火のごとく怒られた」
管理している人から見れば、天水、湧き水ををこぼさぬように、逃げぬように1年がかりで貯水し5月になると放水し、田んぼの代掻きですね。
子等はこのようにして成長するのでしょおう。
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江戸時代には水が低いところから、高いところに流れるような不思議な時代だったのでしょうか?
それはないですよね。
そこのところの原理が良く判りません。
「水撃ポンプ」(ウォーターハンマー)という仕掛けもあるそうですが、こういう原理を使ったのでしょうか。
それですと余程頑丈な素材を使い、密閉装置にする必要がありそうです。
しかも取り入れることのできる分量は全流水量の数パーセントでしかないということですから、そんなことで良かったのでしょうか。
物理的な詮索は擱くとして、古の風情を現代でも伺えることのできる素敵な場所ですね。
・ 低きから高くに上がる水激ポンプ
人間の知恵凄いものです。youtubeでその画像を見ました。
人間の知恵は大したものです。
また情報が集まりましたらUPします。
部分部分で観ているのと違って全体像が分かりやすく
縄文人さんが感動なさったことが伝わりました。
やりがいのある調査でしたね。
江戸川土手に向かう4番目の写真は私が見慣れている
遠賀川の土手も同じ・・・・川のある風景はいいですね。
有難うございました。
現場で眺めていたらその次、ハイその次…と問題が解決していきました。
momomamaさんも土木工事のお仕事の事務?ときいていましたが現場の人はそれ相当に苦労があることでしょう。
仕事長期休みですか・。。・・・?
5番目の画像の対岸のもrで家庭菜園をしていました。
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