北原白秋、極貧➡雀に餌を与え続けた。
きっと、雀が私を助けてくれる
仕事場の前庭に(スズメの楽校)
7~10匹、多いときには群れを成し舞い降りる。
これによくした勤務員が、朝夕に餌を撒いて、可愛がり”雀の楽校”と呼んでいる。
せんべい、鳥の餌を買い求めて、時間を決め与え、訪れるのを待ち戯れています。
白秋の雀に対する思いやりを読んで、・・・・・。
仕事場に群れを成して集まる雀たち。
紫烟草舎を拝見し、北原白秋の遍歴をたどると、
仕事場の雀に対する見方に大きな変化を感じざるを得なくなった。
白秋は、「この道」「ペチカ」「カラタチの花」「城ヶ島の雨」等々
数々の優れた童謡・詩歌や短歌を世に送り出しています。
その遍歴の中で結婚離婚と何回かを繰り返し、暮らしにおいても極貧の生活でした。
紫烟草舎の庵【葛飾郡小岩村小岩田の三谷という(現在の江戸川区小岩町8の263で】
『雀の生活』『雀の卵』著わしています。
その中には、妻・江口章子との生活の中でこんなことが・・・・・。
<寂しさに堪え、貧しさに堪えて>
創作と推敲に打ち込む白秋を慰めたのが、住み替わる先々での雀でした。
雀に遊んで貰い、慰めて貰いながら、
乏しい苦しい中で米櫃の白玉を与えて、白秋と雀たちの暮らしは続きます。
その哀歓を、感謝と愛情を込めて綴ったのが、この記録(雀の生活)。
長編散文詩として、小さな雀の大きな本となりました。
また著者自ら、貧しい者の霊(たましい)の記録とも述べています。
この時期、苦楽を共にした章子夫人が
「若しもあなたが立ち行く事も出来ず、もう餓死するばかりだと云ふ場合が来ましたら、
この雀達が一粒づつでもお米を咥えて来て、きつとあなたをお助けすると思ひますわ。」
と白秋を慰めたエピソードが、語られています。
「なるほど、三年後になつて、雀がお米を一粒づつ咥えて来ました」
と、謝している通り、雀が助けてくらた。
この書物の出版から、徐々に窮乏生活を脱する事が出来たようです。
『雀の生活』の第一章より。
白秋の雀への思いやり、雀との対話に感動した。
唱歌の中にも、雀を扱ったものが数多く見られます。
雀の心の中までもくみ取り、一挙手一動作を観察して
対話・気持・洞察して作品に仕上げる。
「きっと、雀が私を助けてくれる≫
と言うことの意味を知る事が出来ました。
白秋(作家)の人間愛、ものの見方や想いに、心を盗まれた。
「白秋祭」なども行われ、親しまれていますが
一時期は姦通罪などで告訴された時期には
顰蹙(ひんしゅく)を買っていたこともありました。
そういうつらい、極貧の時代に雀との対話で
自己を見つめ直し、新しい境地を見つけ出していったのでしょうね。
朝ぼらけ一天晴れて黍の葉に
雀羽ばたくそのこゑ聞こゆ
その頃の歌でしょうか。
いい記事を読ませていただきました。
ブログは、長い文章は禁物……
ということを分かっていながら書き綴ってしまった・
白秋を紫煙草舎に何回か見に行ってはいますが、その人生遍歴については全くの無知でした。
調べて綴っているうちに、白秋の人間味に傾注して、
長くなってしまいました。
一つのものを仕上げるということは、
惚れこんで、わき目を振ることなく、目的に向かって・・・・そんな気持ちに駆られました。