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富士山の高さ

2020-02-14 23:24:16 | 標石
 朝日新聞・土曜日の別刷be、2月8日


(はてなスコープ)富士山の高さ 測量法の歴史とともに変化
 2月23日は富士山の日。富士山の標高は一般的には3776メートルとされていますが、より
詳しくいうと3775・51メートルです。この「高さ」は昔から何度も測られ、これまで何度も
変わってきました。
 国土地理院の資料によると、江戸時代、伊能忠敬(1745―1818)が測った高さは3928
メートル。地上での距離と方位、見上げた角度から計算したとされます。
 伊能は日本全国の地図を作る際、遠くから見える目印として日本一の高さの富士山を使っていた
ようです。三重県志摩市は、伊能が富士山を測量した本土最南端の地です。富士山を望む海岸には、
その業績を紹介する碑が建てられています。
 伊能の後も、シーボルトら幾人もの人が計測に挑戦してきました。今知られている3776メー
トルになったのは、1926(大正15)年の参謀本部による測量です。大まかな原理は伊能と同じ
ですが、正確な高さを求めるため、より厳密な方法が採られました。
 日本での高さの基準は東京湾の海面です。実際には海面は潮の満ち引きなどで変動するため平均値
をとり、東京・永田町の国会の前庭にある「日本水準原点」を陸上での基点として使っています。
この日本水準原点は昨年末、国の重要文化財に指定されました。
 
 明治政府はこの日本水準原点から、主な道路沿いに精密な物差しを立て、その間の標高の差を測る
水準測量を繰り返し、まず「水準点」の高さを決めていきました。
 この方法は0・1ミリ単位で高さが決まる正確なもので現在も使われています。ですが、ベテラン
の測定員でも1日に2~3キロしか進めず、手間がかかります。
 そこで使われるのが「三角測量」です。三角形の辺の長さと角度の関係を使った方法です。平らな
場所で測った2点の間の距離と、その辺に対する次の点への角度を測ると、三角形の全ての辺の長さ
がわかります。近くの水準点から頂点の一つの標高を決めれば、そこから二つ目の頂点を見上げたり
見下ろしたりした角度と距離からこの頂点の標高も決まります。これを繰り返して整備したのが全国
の「三角点」で、網の目のように日本全体を覆っています。
 国土地理院測地基準課の岩田昭雄課長によると、大正の富士山測量は、標高が分かっているふもと
の二つの三角点と、山頂の火口の近くに設けた南北の二つの三角点を使いました。火口の三角点に立
てた目印をふもとの三角点から望遠鏡で見て角度を求め、高さを決めたあと、火口の三角点同士で高
さの差を調べて結果を確認しました。剣ケ峰にあたる南側の三角点の方が高く、この値が富士山の標
高です。
 
 実は、このときの値は3776・29メートルと、今の値より約80センチ高かったのです。しかし、
三角点の標石が露出し、火口に崩落しそうになったことから、62年に新しい三角点が3775・63
メートルの高さに設置されました。これが今の三角点です。さらに、国土の高さは長年の地殻変動の
影響で変わるため、2014年に12センチ低い3775・51メートルに修正されました。
 ちなみに、富士山の最高地点はこの三角点ではありません。三角点から北側に12メートルほど離れ
た岩の塊が61センチ高く、3776・12メートルとのことです。富士山研究で知られる田代博・
日本地図センター相談役は「高さは、どこまで遠い場所から山が見えるのかを知る上でも重要。
センチメートルの単位では大して影響はないが、精密に、日本一の『究極』の高さを知りたい」と
詳細な標高データの意義を話しています。(杉浦奈実)

■これから
 国土地理院は今年度から、国土の標高を全地球測位システム(GPS)で測るための調査を本格的に
始めました。2024年度に全国で、誤差5センチ以内の計測ができるようにすることをめざしていま
す。ですが、これまでの測量方法の精度は高く、富士山の高さに大きな変化はないだろうとみられています。

◎江戸時代、伊能忠敬も富士山の高さを測っています。
1803年、3928mでした。
仙台市の星仲間のIさんからの情報
毎日新聞に「没後200年 伊能忠敬を歩く」が連載されているとの情報がありました。
柴田町図書館に主要新聞のバックナンバーが保管されていて、
第1回:2018年5月~第19回:2020年1月
のコピーを入手できました。
連載はまだ続いています。