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宮城県産パプリカが国際宇宙ステーションへ

2020-05-31 23:28:27 | 宇宙
宇宙航空研究開発機構(JAXA)から5月26日プレスリリースがあった。

「こうのとり」9号機に搭載した生鮮食品について
 5月21日に打ち上げ、26日に国際宇宙ステーション(ISS)に結合した「こうのとり」
9号機によって、以下の生鮮食品をISSに搭乗する宇宙飛行士へ届けましたので、
お知らせいたします。




生産地、 品目
宮城県、『パプリカ』、   「こうのとり」7、8号機に続き3回目の搭載

群馬県、『キウイフルーツ』、今回初搭載
愛媛県、『河内晩柑』、   「こうのとり」5号機に続き2回目の搭載
愛媛県、『清見』、     「こうのとり」5号機に続き2回目の搭載
愛媛県、『レモン』、    「こうのとり」6号機に続き2回目の搭載
佐賀県、『温州みかん』、  「こうのとり」6、7、8号機に続き4回目の搭載

参考:生鮮食品の「こうのとり」への搭載経緯等について
1.「こうのとり」への生鮮食品搭載の目的
 ISS計画では、補給船を保有する国が分担してISSに長期滞在する宇宙飛行士に生鮮
食品(果物及び野菜。以下同じ)を届けています。JAXAでは、国産生鮮食品を調達し、
「こうのとり」でISSに輸送、宇宙飛行士に提供することにより、宇宙飛行士が抱え
る長期宇宙滞在による様々なストレスを緩和し、パフォーマンスの向上に繋げたいと
考えています。
 また、併せて、“食”という身近なテーマを通じてISS/宇宙飛行士の活動を多くの人
に身近な存在として認識いただくとともに、「こうのとり」ならではの国産生鮮食品
の輸送を生鮮食品の産地の皆さまとともにアピールすることにより、ISSプログラム
における日本のプレゼンスが向上することを期待しています。
2.選定方法
 都道府県農林水産省担当者連絡協議会を通じて全国の都道府県に、生鮮食品(野菜、
果物に限る)に関する情報提供(特産、収穫の時期等)を依頼し情報提供を受けました。
 提供された情報を元に、調達可能時期と打上げ時期が合うこと、調理性、保存性、
衛生性、安全性、食品残さ、搭載量の制約等の技術的要件※から候補品を複数選定の
うえ、味(官能評価)を評価し、選定委員会にて選定を行いました。
※搭載する生鮮食品の技術的要件
調理性:生食が可能なこと
保存性:HTV搭載時の種子島宇宙センター及びHTV与圧部の温度環境を模擬した環境に
    おいて、4週間以上の保存が可能なこと
衛生性:除菌後、一般生菌数が10,000CFU/g以下であること
安全性:種子を食べる食品でないこと、喫食の際著しい果汁の飛散が無いこと、アレ
    ルギー等の表示対象食品でないこと
食品残渣:喫食後の食品残渣が極力少ないこと
搭載量の制約:規定のスペースに搭載可能であること
調達時期:保存試験の実施を考慮し、2月~5月を通して調達が可能な食品であること

3.「こうのとり」9号機への搭載について
 搭載する生鮮食品は、5月9日に種子島宇宙センターに納品されました。受領後、
洗浄、除菌を行い、細菌数検査を経て合格を受けています。
 4週間の長期保存を達成するために、細菌やカビの発生を抑制する除菌や生鮮食品
の呼吸をコントロールさせる包材を使っています。キウイフルーツは、除菌や包材
に加え未追熟品を調達し、保管中に追熟させることで、4週間の長期保存を達成して
います。
 また、梱包を終えた生鮮食品は5月17日未明、レイトアクセスとして「こうのとり」
9号機に搭載しました。計画通り打上げされ、宇宙飛行士がおいしく食べられる状態
で届けることができました。
4.搭載された生鮮食品に関する連絡先
 各県までお問い合わせください。
① 宮城県農政部 園芸振興室 先進的園芸推進班
② 群馬県農政部 農政課
③ 愛媛県営業本部
④ 佐賀県流通・貿易課


雪形200531

2020-05-31 22:42:42 | 仙南地区
 今日の宮城蔵王・水引入道の雪形です。

今日もはっきりと雪形が見えました。


白石市福岡深谷の国道4号脇から見た雪形。
すっかりと細くなっています。
5月の集計
雪形がはっきりと見えた 19日
雪形の一部しか見えない  2日
雪形が見えない      8日
欠測(雨天等)      2日

2020年(4月~5月)の集計
雪形がはっきりと見えた 36日
雪形の一部しか見えない  5日
雪形が見えない     16日
欠測(雨天等)      4日

水引入道の名前の由来は、5月頃のコガ沢付近の残雪が、頭巾をかぶった僧侶の姿に似ていること
から、この雪形を「水引入道」、別名「種まき坊主」と呼んで、白石地区の人々は農作業の目安に
してきたそうです。
残雪量は積雪量や気温に左右され、その後の用水の多寡にも反映されるため、天候や災害の予測、
豊凶占いにも用いられました。
積雪量が少なく雪形が早く消えた年は水不足が懸念され、またいつまでも消え残る年は冷害が予見
される。
水引入道では、杖がはっきり現れる年は豊作といわれています。

今年(2020年)は、
積雪量が少なく、雪形が早く消えたので、水不足が懸念されます。
入道の杖がはっきりと見えたので豊作となるでしょう。


船岡・新栄通りから見た船岡城址公園。

2010年から本格的に写真撮影を行っていて11年目となり、
今日で雪形、船岡城址公園の写真撮影は終わりです。
また来年も続けたいと思っているところです。


船岡・俵石6

2020-05-30 23:39:18 | 之波太:柴田
 俵石の使われ方の第3回目です。
今回は、曹洞宗 岩松山恵林寺です。
寛永5年(1628)、登米市東和町米谷の東陽寺11世用山全應大和尚によって
開山(初代)されています。明治5年(1872)の火災で焼失するまでは現在の
無縁塔の所に本堂があったとされています。
本堂の裏には、原田甲斐を供養したと伝えられる碑が建立されています。
明治維新後、五輪小路(現、柴田町役場付近)の品弟山普門寺福性院が廃寺となり、
同寺にあった虚空蔵菩薩が本寺に祀られています。

山門

本堂の右、柴田町名木古木に選ばれた「恵林寺の黒松」は枯れて今はない。

本堂の左に説明板が設置されています。

本堂の裏に

原田甲斐供養碑と伝わる俵石の石碑があります。
寛文事件(伊達騒動)(寛文11年(1671))の中心人物の一人である原田甲斐
宗輔の原田家はお家取り潰しとなりました。また菩提寺の東陽寺が登米市東和町米谷へ
移されました。
事件後、船岡の民衆は甲斐を不憫に思い、事件のほとぼりがさめた元禄5年(1692)、
且つ伊達家に配慮し、甲斐の名前は刻まず恵林寺の本尊「南無阿弥陀佛」の名を彫り、
甲斐の御霊安らかならんことを念じ、供養したと伝承されています。



碑の両側には船岡村の住人と思われる平乃屋、駒村屋、渡辺屋などの名前が見られます。



船岡・俵石5

2020-05-29 23:44:34 | 之波太:柴田
 俵石の使われ方の第2回目です。
今回も大光寺です。
大光寺は、柴田家の菩提寺で、寛文事件当時(寛文11年)は、登米郡米谷
(現登米市東和町米谷)にありました。
寛文事件の10年後・天和元年(1681)、江戸・大老酒井雅楽頭邸での
原田甲斐宗輔による刃傷事件の拡大を最小に留めた功労者とされた柴田外記
朝意の嗣子中務宗意(6代)が米谷から舟岡へ移封された。
領主の移動と伴にその菩提寺もまた移動するという武家社会の通例に従って、
柴田家の菩提寺の大光寺は、登米郡米谷から柴田郡船岡へ移った。
寛文事件で舟岡領主の原田氏が断絶、原田氏の菩提寺の東陽寺は現在の大光寺
のところにありましたが、東陽寺は柴田氏の菩提寺(大光寺)として接収され、
原田氏に関わるものは墓石をはじめとして、総てのものが破壊焼却されている。
行き場を失った東陽寺は、大光寺のあった米谷に移っている。
大光寺の寺格は柴田家中の家老格とされ、知行高は1貫500文でした。
末寺はありません。
柴田家の墓所
柴田家五代外記朝意夫妻、六代中務宗意夫妻の墓所は館山沼ノ入の御霊屋にあり
ました。明治初め、朝意夫妻、宗意夫妻の遺骨および墓石は、柴田家の菩提寺
大光寺に移りました。
墓所の一番奥に、柴田町内で唯一と思われる板碑型墓塔(供養碑)があります。
この碑に刻まれている五十嵐蔵人とは、五代外記朝意の実兄です。
五代朝意夫妻はじめ柴田家累代一族の墓所であります。

本堂裏のイチョウの木の脇の石段を登ります。

柴田家墓所の石柱

ここから柴田家の墓所となります。

柴田家墓所の案内図

歴代の領主、夫人の墓石に俵石が使われています。

左手前が板碑型墓塔です。