座間コミニティー

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今日の聖人の記念日

2014年10月15日 16時36分14秒 | キリスト教

聖テレジア(イエスの)おとめ教会博士

1515年-1582年

 テレジアは、スペインのカスティリア州のアビラに生まれた。19歳のとき、高い理想をもってカルメル会修道院に入ったが、当時の修道生活は、規律・修道精神が緩慢となっていた。そのことに失望したテレジアは、幻滅、悲哀、霊的乾燥、信仰に対する疑問などに襲われた。しかしこの苦しみをとおして、「魂の奥底で、神とともに生きる」祈りと瞑想の深い神秘の体験をした。

 1562年、本来の会則に立ち返った「女子跣足カルメル会」をアビラに創立し、10数人の修道女たちとともに厳しい生活を始めた。彼女の改革に反対する人びとも多かったが、十字架の聖ヨハネなどの援助によって17もの女子修道院を建て、当時の社会に大きな影響を及ぼし、16世紀におけるカトリック教会改革の原動力ともなった。

 テレジアは、多くの本を書いたが、中でも自分の神秘生活を著わした『完徳の道』、『霊魂の城』は、今もなお多くの人びとに読まれている。シエナのカタリナ、幼きイエスのテレジアとともに、女性としてはただ3人の教会博士の中に数えられている。「イエズスのテレジア」「大聖テレジア」「アヴィラの聖テレジア」とも呼ばれている。


◆ただし、ろばの初子は羊で贖わなければならない。

2014年10月15日 16時34分52秒 | 聖書

もし、贖わないなら、その首を折らなければならない。(出エジプト三四・二〇)

すべての初子は、主のものでなければならない。しかし、ろばはきよくないため、いけにえとしてささげることができなかった。ろばは神のものである。しかし神はそれを受け入れてくださらない。神は要求をお捨てにならないが、そのいけにえをお喜びになれない。それゆえ、贖いのほかに道がない。その動物は、小羊を代償とすることによって救われなければならない。贖われないならば、それは殺されなければならない。
私のたましいよ。ここにおまえに対する教えがある。そのきよくない動物とは、おまえのことである。おまえは、おまえを造り、守られる主の所有物である。しかし、おまえは非常に罪深いので、神はおまえを受け入れることをお望みにならず、またそれは不可能なことであった。そのため神の小羊がおまえの代わりに立たなければならなくなった。そうでなければ、おまえは永遠の死に落ちなければならない。傷のない小羊はすでにおまえのために血を流し、致命的な律法ののろいからおまえを贖い出してくださった。この傷のない小羊に対するおまえの感謝を全世界に知らせよ。
イスラエル人にとっても、ろばを殺すべきか、小羊を殺すべきかが時々問題となったのではなかろうか。人間のたましいの価値と主イエスのいのちとは、もちろん比較にならないものである。しかし、それにもかかわらず、小羊が死なれ、ろばのような人間が救われた。たましいよ。おまえ自身と他の人類に対する神の限りない愛をたたえよ。虫けらにすぎない者が、いと高き御子の血によって贖われた! ちり灰にすぎない者が、金銀よりもはるかに高い価をもって贖われた! この豊かな贖いがなかったら、私はどんな運命に陥ったことか! 
ろばの首を折ることは瞬間的な刑罰にすぎない。しかし、来るべき無限の神の怒りを、だれが測ることができるだろう。私たちをこのような運命から贖われた栄光の小羊の、言い尽くすことのできない愛よ!

 


「彼はハンナを愛していたが、

2014年10月15日 16時32分35秒 | 聖書

主が彼女の胎を閉じておられたからである」(Ⅰサムエル1:5)

ハンナは非常な苦しみの中にいた。
子供が与えられない苦しみ。当時は迷信があり、不妊は神の祝福が無い事と思われていた。
人々からそういう目で見られた。
それに加え、ペニンナの陰湿で執拗ないじめがあり、極度の圧迫状態の真っ暗闇な苦悩の中で「なぜこの事態が?」「なぜ自分に?」と必死に神に問うて行く中で、状況から目が離れ、神に焦点が向いて行った。
そして「今の時に、この場に、この状況に」自分を置かれている神を見い出した。
神のご計画と目的を認識した。
胎を閉じられたのは神であり、ペニンナからのいじめも御心の内であった。
苦悩の中で神にまっすぐに向き合い、神の心を悟った。
神は祈りの器としてハンナを選び、用いられたのだ。
当時、人々は放縦に歩んでいた。
社会は腐敗し、正義はなく、神から離れ、堕落し、祭司はおらず、神殿で不品行が行われていた。
神は、民を神に立ち返らせる、霊的指導者を起こそうとされた。
そのサムエルを、祈りによって生み出す事を計画された。
ハンナはそのために器として用いられたのだ。
あなたも、今、何もかもが閉じられているか。
今の状況の中で、あなたへの神の計画がある。
神に焦点を合わせ、神の心を悟れるように祈ろう。
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なぜだろうと思う事ばかりで思い通りにならない時、やっと神様に尋ね、信仰を働かせるのではないだろうか。
神様は愛して下さっている。
御言葉を聞き、神様の視点から今を見て歩めるなら平安に守られる。


◆あなたを裏切る者

2014年10月15日 07時48分04秒 | 聖書

苦難の日に、裏切り者に拠り願むことは、
悪い歯や、なえた足を頼みとするようなものだ。(箴言二五19)

金だけが裏切らない助けだ、たよりだと思いこんでいて、みごとに金に裏切られる人が何と多いことでしょう。あなたの金は、あなたのまわりに裏切り者をひきつけ集めると言いたいくらいです。
退職後、ばったり人が訪ねてこなくなったと世をはかなんで、ある役所の高官だった人が自殺したという記事を新聞で読みました。元大臣・元社長・元何々・前何々の肩書きが肩書きだけになった時、どんなにたよりにならないものでしょうか。権力や地位こそたよりになると多くの人は思いますが、実は、はかないものです。
これに対して聖書は、「鼻で息をする人間をたよりにするな」(イザヤ二22)とすら言うのです。
「苦しい時の神だのみ」とか「おぼるる者はわらをもつかむ」などといって、神をたよるのは弱い者のすることだ、女子どもと年寄りのすることだと、ばかにする人が実に多くいます。しかし私は、こう思うのです。うわっつらの富や権勢にこびるのではなく、目には見えませんが正しくきよい神の御目の前で、神の真実・きよさ・愛だけによりたのみ、神に従って生き抜こうとする、ほんものの信仰は勇敢です。真に力強いものだと、私はいつも感じます。
神は言われました。「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう」(エレミヤ三三3)と。その同じ神は、またこう言われるのです。「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう」(詩篇五〇15)。

 


◆だれが、

2014年10月15日 07時47分18秒 | 聖書

この方の来られる日に耐えられよう。(マラキ三・二)

主が初めて来られた時に、外に現れる華やかさや力の誇示はなかった。しかし、それにもかかわらず、そのテストの力に耐えることのできた者はほとんどいなかった。ヘロデとエルサレム中の人々は驚くべき誕生の知らせを聞いて動揺した。主を待ち望んでいると思われた者たちは、実際に来られた主を拒否し、自分たちの告白が偽りであったことを暴露した。主の地上におけるご生涯は、ふるい分ける箕であって、多くの宗教上の告白をふるい分けた。それに耐えることのできた者はほとんどいなかった。
しかし、主が再臨される時はどうだろう。それを考えてみることさえ、罪人は耐えられない。「(主は)口のむちで国を打ち、くちびるの息で悪者を殺す。」主が「それはわたしです」と言われただけなのに、兵士たちは地に倒れた。それなら主があらわにご自身を現される時の恐怖はどれほどだろう。主の死は地を震わせ、天を暗くした。それなら、主が生ける救い主として死者と生者を御前に集められる時の恐ろしい光景はどうであろう。ああ、その恐怖が人々に罪を捨てさせ、神の子の怒りをなだめるために主に口づけするまでになるように。
主は小羊であられるが、ユダ族から出た獅子であられ、獲物をばらばらに引き裂かれる。主はいたんだ葦を折られないが、鉄の杖で敵を打ち砕き、焼き物の器のように粉々にする。その敵は一人でも主の怒りのあらしの前に耐えることができず、その憤りのひょうから姿を隠す。しかし、主のいつくしみを受け、その血によって洗われた民は、その現れを喜びをもって待ち望み、恐れることなく主と共になることを願う。彼らにとって、主は今も金の精錬者であられる。そして、主によって精錬された者は、純金となって出て来る。
今朝私たちは自らを探り、主の再臨が私たちの心に暗影を投ずることのないよう、私たちの受けた召しと選びとを確かなものとしよう。ああ、すべての偽善を去って、主のおいでになる時、純真で非難されるところのない者となる恵みを得たい。

 


第2サムエル記22章31-37節

2014年10月15日 07時45分58秒 | 聖書

22:31 「神、その道は完全。主のみことばは純粋。主はすべて彼に身を避ける者の盾。
22:32 まことに、【主】のほかにだれが神であろうか。私たちの神のほかにだれが岩であろうか。」



 苦しみにある時、人は神様の恵みを覚えることが少なくなってしまいます。

不安と恐れの中で、心が暗闇にうごめいてしまいます。

また、心の焦りの中で、行くべき道がわからなくなってしまいます。

 こうした中で、主の導きと助けにより、道が開かれて参ります時、人はそこに光を見いださせて頂きます。

そして、だんだんと自分の本当の助けは、自分の知恵でもないし、また人の力でもないということを知って参ります。

 さらにこのお方により頼むことを学んできますと、その主の導きと守りは完全であるということを知らされるのです。

ダビデはそのことを学び続けてきました。

 そして今、彼は心から、「神、その道は完全。主のみことばは純粋。」と、語り得るものとされたのです。

主の導きこそ真の導きであり、また主の約束こそ、真に頼りがいのある約束であると知ったのです。



イザヤ書58章13~14節

2014年10月15日 07時42分40秒 | 聖書

★13 もし、あなたが安息日に出歩くことをやめ、わたしの聖日に自分の好むことをせず、安息日を「喜びの日」と呼び、主の聖日を「はえある日」と呼び、これを尊んで旅をせず、自分の好むことを求めず、むだ口を慎むなら、
14 そのとき、あなたは主をあなたの喜びとしよう。「わたしはあなたに地の高い所を踏み行かせ、あなたの父ヤコブのゆずりの地であなたを養う」と主の御口が語られたからである。

ヘブル人への手紙8章10~12 節
10 それらの日の後、わたしが、イスラエルの家と結ぶ契約は、これであると、主が言われる。わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつける。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
11 また彼らが、おのおのその町の者に、また、おのおのその兄弟に教えて、『主を知れ』と言うことは決してない。小さい者から大きい者に至るまで、彼らはみな、わたしを知るようになるからである 。
12 なぜなら、わたしは彼らの不義にあわれみをかけ、もはや、彼らの罪を思い出さないからである。」

■O:今日のコラム
10月14日の朝です。今日1日も主に期待して、主御自身との交わりを喜びとしていきましょう。神様の御国とその義とを第一に求める時、それに加えてすべてのものが与えられるからです。

僕には、たくさんの趣味や好きなことがあります。釣り、ギター、コーヒー、らーめん、バスケットボール、キャンプ、色んなモノの収集などなど。これらに興味をもたせて下さり、好きという感情を与えてくださり、やる技術をも少なからず与えてくださったことを主に感謝しています。しかし、これらの主が与えてくださった良いことも、これらが主よりも上になってしまうなら、それは偶像礼拝です。

僕は、どんな時にも主を第一としていきたいのですが、できない時ばかりです。特に以外と、礼拝やその前後の時間に大きなチャレンジがきます。本当に悔い改め続けていきたいです。今日の箇所を読み、ますます悔い改めなければという強い想いと、強い飢え乾きがきました。

何故ならば、イエス様が、僕のために十字架に架かってくださるほどに、僕を愛してくださっているからです。イエス様の十字架の贖いによって、主を信じる者の不義はあわれまれ、全ての罪は天のお父さんである神様の前に「思い出されないもの」となりました。復活されたイエス様は、天から聖霊様を僕らの内側に住まわせて下さいました。聖霊様によって律法を思いの中と心に書きつけてくださるのです。主である聖霊様が、僕らに主を教えてくださいます。

だから、僕らは、主の平安の中に入っていきましょう。主の安息を喜びましょう。礼拝の時を大切にしていきましょう。自分の好むことではなく、主の喜びを喜びましょう。主が僕らを養って下さいます。主の御言葉の約束です。今日、主と過ごすことを楽しんでいきましょう。


■A:考えてみよう
主を第一としていきましょう。主が第一でないことに気付いたら、悔い改めましょう。主の平安を受け取っていきましょう。主を喜びとしていきましょう。


10月14日(火)のつぶやき

2014年10月15日 01時35分57秒 | キリスト教

◆私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、 goo.gl/8jYxnF


第2サムエル記21章15-17節 goo.gl/XzQaBT


実施は自治体まかせに/生活保護への学習支援 goo.gl/Nj7ygL


神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。 goo.gl/LHHHyy


◆この世と調子を合わせてはいけません。 goo.gl/oUf24w