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◆だれが、

2014年10月15日 07時47分18秒 | 聖書

この方の来られる日に耐えられよう。(マラキ三・二)

主が初めて来られた時に、外に現れる華やかさや力の誇示はなかった。しかし、それにもかかわらず、そのテストの力に耐えることのできた者はほとんどいなかった。ヘロデとエルサレム中の人々は驚くべき誕生の知らせを聞いて動揺した。主を待ち望んでいると思われた者たちは、実際に来られた主を拒否し、自分たちの告白が偽りであったことを暴露した。主の地上におけるご生涯は、ふるい分ける箕であって、多くの宗教上の告白をふるい分けた。それに耐えることのできた者はほとんどいなかった。
しかし、主が再臨される時はどうだろう。それを考えてみることさえ、罪人は耐えられない。「(主は)口のむちで国を打ち、くちびるの息で悪者を殺す。」主が「それはわたしです」と言われただけなのに、兵士たちは地に倒れた。それなら主があらわにご自身を現される時の恐怖はどれほどだろう。主の死は地を震わせ、天を暗くした。それなら、主が生ける救い主として死者と生者を御前に集められる時の恐ろしい光景はどうであろう。ああ、その恐怖が人々に罪を捨てさせ、神の子の怒りをなだめるために主に口づけするまでになるように。
主は小羊であられるが、ユダ族から出た獅子であられ、獲物をばらばらに引き裂かれる。主はいたんだ葦を折られないが、鉄の杖で敵を打ち砕き、焼き物の器のように粉々にする。その敵は一人でも主の怒りのあらしの前に耐えることができず、その憤りのひょうから姿を隠す。しかし、主のいつくしみを受け、その血によって洗われた民は、その現れを喜びをもって待ち望み、恐れることなく主と共になることを願う。彼らにとって、主は今も金の精錬者であられる。そして、主によって精錬された者は、純金となって出て来る。
今朝私たちは自らを探り、主の再臨が私たちの心に暗影を投ずることのないよう、私たちの受けた召しと選びとを確かなものとしよう。ああ、すべての偽善を去って、主のおいでになる時、純真で非難されるところのない者となる恵みを得たい。

 


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