座間コミニティー

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

◆いのちの泉はあなたにあり……。

2014年10月16日 15時59分57秒 | 聖書

(詩篇三六・九)

私たちの信仰上の経験において、人の助言も、同情も、聖礼典も、私たちを慰め助けないことがある。なぜ私たちのあわれみ深い神が、このことを許しておられるのであろうか。おそらく、私たちが神を無視して生活しているので、私たちが習慣的に頼りにしているものをすべて取り去って、ご自身のもとに引き寄せようとなさるのであろう。泉の源において生きることはすばらしい。自分の皮袋に水が満ちている時、私たちはハガルやイシュマエルのように満足して荒野に行くが、水が渇いてしまうと、「あなたはエル・ロイ(ご覧になる神)」と言うほかに慰めをもたない。
私たちは放蕩息子のように、豚小屋を愛して父の家を忘れている。記憶せよ。私たちは宗教上の儀式からさえ、豚小屋やいなご豆を作り出せる。宗教上の儀式はよいものだが、私たちがそれを神の位置に置く時、それは全く無価値なものとなる。どんなものでも、それが私たちを神から隔てる時、それは偶像になる。青銅の蛇すら、もし私たちがそれを神の代わりに拝むならば、ネフシュタンとして軽蔑されるベきである。
放蕩息子は、父の胸に追い込まれた時が最も安全であった。なぜなら、それ以外の場所では食べるにも困ったからである。主は私たちに、さらにご自身を求めさせるために、私たちの国に飢きんをもたらされる。クリスチャンにとって最上の状態は、神の恵みに全面的に直接により頼んで生活している時である、すなわち「何も持たないようでも、すべてのものを持っています」との最初の立場にいる時である。
私たちは片時たりとも、自らの立場が自己の聖潔、禁欲、徳、感情にあるなどとは考えないようにしよう。そうではなく、キリストが全き贖いをしてくださったゆえに、私たちが救われていることを知ろうではないか。主にあって私たちは完全だからである。自分に頼るべきは何ものもなく、ただイエスのいさおしにのみ私たちは憩う。主のご苦難と聖いご生涯が、私たちの確かな基盤である。愛する友よ。渇きを覚える時、私たちは必ず、熱心にいのちの泉を求めるようになる。

 


今日の聖人の記念日

2014年10月16日 06時54分47秒 | キリスト教

 聖マルガリタ・マリア・アラコクおとめ

1647年-1690年

 マルガリタは、フランスのブルゴーニュのロトクールに裁判官の娘として生まれた。8歳のときに父を亡くし、修道院で教育され、彼女も修道女となることを望んだが、11歳のときに重い病にかかり、家に戻って4年間の闘病生活を送った。22歳のころに、いくつかの縁談が持ち上がったが、マルガリタは修道者となることを選び、1671年にパレーの訪問修道会に入った。彼女はどちらかというと、動きが人よりも鈍く、いろいろな面で苦しんだが、忍耐深く修行した。

 1673年に、彼女が祈っているとキリストが現われ、「ごらんなさい。人びとを愛するために多くの苦痛を忍んだわたしの心を。それなのに多くの人びとは、この愛に対して冷淡で、受けた恵みを忘れています」と言われ、「み心の信心」を広めるように命じられた。初めは、多くの反対にあったが、次第に「み心の信心」は広まり、マルガリタの死後、この信心は全世界に広がった。1856年、教皇ピオ9 世によって「み心の祝日」が定められた。

 聖ヘドビッヒ修道女

1174年-1243年

 ヘドビッヒは、ドイツのアンデックス出身で、ダルマチア(現在のクロアチア)の侯爵の家に生まれた。彼女はハンガリーの聖エリザベト(11月17日)の叔母に当たる。12歳のとき、ヘドビッヒはシレジア(現在のポーランド南西部からチェコ北東部)の侯爵であり、ポーランドの王家の家長であるヘンリー1世と結婚した。幸せな結婚生活を送ったが、7人の子どものうち、3人は幼いとき、1人は落馬して亡くなった。

 彼女の敬虔さ、賢明さは国の政治にも影響を与え、当時の周辺国における権力争いを憂い、ヨーロッパに平和が訪れるよう尽力した。またチッテンゲンにシトー会の修道院をはじめ、多くの観想修道会、病院が彼女によって立てられ、こうしてドイツ文化がシレジアに広まった。後に、ヘンリー1世の土地分割に不満だった王子と兄弟の間で争いが起こり、ヘドビッヒの心を痛めた。彼女は、多くの時間を犠牲と祈りにささげ、愛徳のわざを熱心に行った。

 ヘンリー1世が1238年に亡くなると、ヘドビッヒはシトー会の修道院で生活し、修道者ではなかったが、多くの犠牲と自己放棄、病人や貧しい人を助けて隣人愛を実践した。神との親しさを求め、内的生活においても熱心に励んだ彼女は、周囲の人びとから「聖人」と言われるほど模範的な生活を送った。

 彼女は1243年10月15日に修道院で亡くなり、彼女の死後多くの奇跡が起こった。1266年、教皇クレメンス4世によって列聖された。


◆ほんとうの思いやり

2014年10月16日 06時53分23秒 | 聖書

心配している人の前で歌を歌うのは、
寒い日に着物を脱ぐようであり、
ソーダの上に酢を注ぐようなものだ。(箴言二五20)

リビングバイブルでは、「気が沈んでいる人のそばではしゃぐのは、寒さに震えている人の上着を盗み、傷口に塩をすり込むようなものです」と、分かりやすく訳しています。
「心配している人の前で歌を歌う。」――ひょっとして私も、時々そんなことをしているのではないかと反省させられます。
山形県米沢に行った時、クリスチャンである、ある医師の夫人から心を打たれる話を聞きました。ご近所のまだ五十歳前の主婦ががんで入院されました。お見舞いをしているうちに、「元気出してね。そのうちによくなるわよ」という自分のことばの薄っぺらさ・思いやりのなさに気がついて悩みました。祈りに祈った後に彼女は、自分の力や知恵にたのむのではなく、神の愛にたよって、死んでも滅びることのない永遠のいのちを得るべきことを話し出したのです。神が愛し、最善をなし、永遠の天国に携えてくださること、また、残される家族にも最善をしてくださることを話しました。勇気がいることだったでしょう。しかしそのがんにかかったご婦人は、とうとう神とその愛を見いだして、口に言い表せない平安をいだいて、魂は天にがいせんしたのです。お葬式の時、遺されたご主人やお子さんたちと顔を合わせて、ぽろぽろ涙を流しながらも、共に喜ぶことができました。そう話してくださった方の目にも、涙が光っていました。
私は、ほんとうの思いやりは何かと考えさせられました。それと共に、ラザロの墓の前で泣き(ヨハネ一一35)、ひとり息子を失ったナインのやもめの肩に触れ「泣かなくてもよい」(ルカ七13)と言ってくださり、そして最後に、私たちのため、すべてを与えつくしてくださったキリストの愛といやしの力をも考えさせられたのです。

 


◆イエスは彼らに言われた。

2014年10月16日 06時52分33秒 | 聖書

「さあ来て、朝の食事をしなさい。」(ヨハネ二一・一二)

「さあ来て、朝の食事をしなさい」とのことばは、同じ食卓、同じ食物を意味する。そして時に肩を並べて座り、私たちの頭を救い主の胸にもたせかけることを意味する。それは私たちを贖いの愛の旗がひるがえる饗宴の席に連れて行くことである。
このことばは、私たちにイエスと一体になるというビジョンを与える。イエスと共に食事をする時、私たちが食することのできる唯一の食物はイエスご自身だからである。ああ、なんという結びつきか! 私たちがこのようにイエスを食するという真理は、とうてい理性をもっては測ることができない。「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります。」
イエスのこの招きは、また聖徒たちとの交わりを楽しむためのものである。クリスチャンはみな、一つの霊的食欲をもつ。私たちはみな同じように感じることができなくても、同じように天から下ったいのちのパンを食することができる。イエスといっしょの食卓において、私たちは一つのパン、一つの杯にあずかる。愛の杯が回るとともに、互いに兄弟の誓いを新たにする。イエスに近く歩め。そうすれば、同じ天のマナで支えられているあなたの兄弟と、さらに霊的に密接に結ばれていることを見いだすであろう。もしイエスに近づくならば、私たちは互いにさらに近づくのである。
私たちはまた、今朝のみことばの中に、すべてのクリスチャンにとっての力の源泉を見る。キリストを見つめることは生きることである。しかし主に仕える力を得るために、あなたは「来て、食事を」しなければならない。私たちはこの主の教訓を無視するために、多くの不必要な弱さの中に労苦する。だれも悪い食事に甘んずる必要はない。むしろ福音の油によって肥え、それによって得たあらゆる力をもって主の奉仕に励むべきである。あなたがイエスに近づき、一体となり、その民を愛し、イエスによって力を得ようとするならば、信仰によって主のもとに来て、共に食事をとれ。

 


第2サムエル記21章18-22節

2014年10月16日 06時51分05秒 | 聖書

21:19 ゴブでまたペリシテ人との戦いがあったとき、ベツレヘム人ヤイルの子エルハナンは、ガテ人ゴリヤテの兄弟ラフミを打ち殺した。ラフミの槍の柄は、機織りの巻き棒のようであった。



 ここには、4つのペリシテ人との戦いが記されています。

それらの戦いの人々は、皆ペリシテ人で、ガテのラファの子孫であったと語られています。

このガテの子孫は、一人はガテ人ゴリヤアテの兄弟ラフミであったと言われています。

以前、ダビデと戦ったゴリヤテの兄弟であったというのです。

つまり、巨人でありました。

さらに語られているのは、手の指また足の指が、それぞれ6本もあった人のことです。

この人も、異常なあり方で強さを持っていた人でした。

そこには4人のこうした力ある人々がいたことでして、皆、ラファの子孫であったと言われています。

ラファというのは、巨人の先祖に当たる人のことでありました。

それぞれの強い人々は皆、この人から出ていたというのです。

ところが、こうした大きな強い人たちであったにもかかわらず、彼らは皆、ダビデの僕達に滅ぼされたのでした。


へブル人への手紙9章12節(イザヤ書59章)

2014年10月16日 06時47分32秒 | 聖書

★また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。

■O:今日のコラム
モーセの幕屋では、大祭司だけが年に1度だけ血をたずさえて至聖所に入りました。

しかし、それらは神に近づく者を完全にすることは出来ませんでした。

神様がご計画された方法は、御子イエスキリストを砕き、傷のない御子をいけにえとして捧げることでした。

イエス様の肉体という垂れ幕を裂くことによって、私たちのために至聖所への道を開いて下さいました。

イエス様は、なぜこのような十字架の苦難の道を選ばれたのでしょうか。イエス様には罪が全くなかったのです。

なぜ聖い神の子羊が罪深い私たち人間のためにいけにえとなってその身を捧げて下さったのでしょう。まったく割に合いません。そもそも贖いとは、割に合わないものなのです。
愛のゆえにしかなしえません。

最大の理由は、こうであると信じます。

イエス様は父と子の関係の中にただ従順されたかったのです。父に栄光を帰すためだったのです。

イエス様は常に「私」ではなく「あなた(父)」でした。真の息子となれるように、その事にのみ焦点をあてました。

イエス様は神の御子ですが、私たちも神の子供とされました。神の子供として、父なる神様にどのように従順すべきかをイエス様の反応とアクションを通して学ぶ事が出来ます。

イエス様が天の父から与えられた究極の使命は、罰せられ、神に打たれ、苦しめられることでした。私たちのそむきの罪のために刺し通され、砕かれることでした。そして、その懲らしめと打ち傷によって私たちにいのちと平安をもたらすことでした。

イエス様はこの使命に従順されたのです。

イエス様がそうであったならば、私たちも天の父の使命に従順すべきです。

召された道に従順する中で、様々な試練や葛藤や苦難を通ることもあるかもしれません。しかし主は、涙の谷を過ぎる時もそこを泉のわく所として下さると約束して下さいました。

神へのいけにえは砕かれた魂、砕かれた、悔いた心。

礼拝は、砕かれた時に涙と共に溢れ出てくるものです。

そして、砕かれた心を通して父の深い臨在の中へと招く生ける道が開かれ、真の父と真の子供の関係の中に入っていくのです。

イエス様がご自身を犠牲にしてまでも私たちに示したかったことー。

それは、私たちが天のお父さんにとって真の息子、真の娘になることでした。


■A:考えてみよう
天のお父さんはあなたが生まれる前からあなたを抱いていました。失敗してもそれでも神様は愛して下さいました。全ての時にまず初めに愛して下さいました。

この大きな父の愛に応えませんか。

真の息子、娘になれるように、父と子の関係の中に従順していきませんか。


■P:祈り
私が知りたいのは、神学でも教理でもありません。ただ、あなたを知りたいのです。ただお父さんと出会いたいのです。
どうか、あなたとの仕切りとなっている私の側の垂れ幕を砕いて下さい。そして、あなたの深い臨在の中に入らせて下さい。
そして、あなたの真の息子、娘とさせて下さい。

イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン


イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。


10月15日(水)のつぶやき

2014年10月16日 01時33分54秒 | キリスト教