座間コミニティー

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

◆この世と調子を合わせてはいけません。

2014年10月14日 16時02分07秒 | 聖書

(ローマ一二・二)

もしクリスチャンが、この世と妥協しながら救われるとすれば、少なくとも火の中をくぐってきた者のようにして救われる。そのような危ない救いは、望ましいものではなく、恐れなければならないものである。友よ。あなたは絶望の死の床の暗やみからこの世を離れて天国に入りたいのか。それならこの世と調子を合わせて、拝金主義者の中に入れ。キリストの辱しめを身に負い、宿営の外に出て行くことを拒絶せよ。
しかしあなたは、上に天国をもつとともに、この地上においても天国をもちたいと願うか。すべての聖徒と共に、愛の広さ、長さ、高さ、探さがどれほどであるかを理解し、人知をはるかに越えたキリストの愛を知りたいと思うか。主の喜びの中に豊かに受け入れられたいと思うか。では、拝金主義者の間から出て行き、彼らと分離せよ。汚れたものに触れてはならない。
あなたは、信仰の十分な確信に到達したいと願うか。罪人と親しく交わっている限り、それは不可能である。熱烈な愛に燃えたいか。あなたの愛は、未信者の社会の湿った空気にしめらされるであろう。あなたは偉大なクリスチャンになることはできない。恵みの幼児になることはできるかもしれないが、キリスト・イエスにあって決して完全な人になることはできない。あなたがこの世の実業家の処世訓や方法をまねている限りはできないことである。
天国の相続人が、地獄の相続人と親交をもっているのはよくない。小さな矛盾でも危険である。小さなとげがやがて大きな腫れものを生じさせ、小さなしみが立派な服をだいなしにし、些細な軽薄さや悪ふざけが、信仰から多くの喜びを奪うようになる。
罪から少ししか離れていない信仰告白者たちよ。あなたはこの世と調子を合わせることにより、どれほどの損害を受けているかを知らない。それはあなたの力のもとを断ち、そのためにあなたは走るべき時に、はって行かなければならない。クリスチャンになろうとするなら、あなた自身の慰めのため、あなたが恵みに成長するため、旗色を鮮明にしたクリスチャンになれ。

 


神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。

2014年10月14日 15時59分56秒 | 聖書

「あなたは、どこにいるのか」』(創世記3:9)

アダムとエバが、善悪の知識の木の実を食べた時、罪が入った。
彼らが主の声を聞いた時に、以前あれほど慕わしい麗しい御声だったのに、恐れて避け隠れた。
主は、その時に「あなたは、どこにいるのか」と問われた。
人は心にとがめがある時、神を避けて隠れる。
善悪の知識が入ったので、罪を犯したゆえ、神に顔向け出来ない事を知った。
私達も経験する。余りにも自分はダメで失敗だらけで、罪ばかり犯し、神に近づけなくなる。
距離があるのだ。
どうにもできず近づけない私達に、なぜ隠れているのか、なぜ失敗がいけないのかと問うて下さっている。
神は「あわれみで胸が熱くなっている」お方だ。
十字架に神の痛いばかりの愛と完全な赦しがはっきりと現されている。
この私のために死んで下さったお方がいる、ここに立つ時、自分が良い時も悪い時も、どんな中でも立てる。
「あなたはどこにいるのか」自分を見て落ち込んでいないか。
十字架の愛と赦しに立ち返ろう。
全面的に受け入れられ、愛され赦されている。
--------------
ダメなままでよい。いるべき場所は今日も十字架のもとだ。
愛と赦しが溢れ流れて出ている。
「全き愛は恐れを締め出す」恐れを取り除くのは愛だ。
身に浴して受け取ろう。


今日の聖人の記念日

2014年10月14日 07時30分28秒 | キリスト教

聖カリスト1世教皇殉教者

在位217年-222年

 宮廷奴隷であったカリストは、主人から預った多額の金を無くしてしまい、恐ろしさのあまり逃げ出したことから、公金横領の罪に問われ、捕えられた。一時は赦されたものの、彼がキリスト信者だということが分かると、サルディニアの鉱山に送られた。その後、キリスト教に寛大な皇后マルチアの計らいにより、自由の身となり、ローマに戻った。彼は、時の教皇ゼフィリノから目をかけられて助祭となり、教会全体の監督を任せられた。教皇が亡くなった後、カリストは16代目の教皇となり、キリスト教の宣教に力を注いだ。彼は、キリスト教徒に対する暴動中、虐殺されたといわれる。


◆偽 り の 証 言

2014年10月14日 07時27分45秒 | 聖書

 隣人に対し、偽りの証言をする人は、
こん棒、剣、また鋭い矢のようだ。(箴言二五18)

もし友人が殺人罪で裁判にかけられている場合、自分はその友人が犯人ではないとはっきり知っているのに、「この人こそ犯人です」と偽りの証言をしたらどうでしょう。そんなことは、まさか私はしないだろうと、多くの方がお思いになると思います。
しかしどうでしょうか。友人が殺人犯として裁判にかけられている場合、私は、友人が犯人ではないとはっきり知っていながら、かかわり合いになりたくないのでだまっている。――そういうことは私にもありそうだと、お思いになりませんか。「うそ」を言う偽りの証言もあります。しかし、だまって言わない偽りの証言が、それ以上にありましょう。そのような偽りの証言も、同じように、あなたの隣人に対して、こん棒となり、剣となり、鋭い矢となるのです。
キリストはすべての人を愛し、すべての人の罪をゆるすために十字架にかかられました。それなのに、罪を悲しみ、絶望して立ちあがれない人に、神の愛と救いをあかししないでだまっていることは、どんなに罪深いことか知れません。しかし、かかわり合いになりたくないとか、めんどうなことになりたくないのでだまっている。――そんな人間の心の弱さを、私の内に覚えます。
イエス・キリストは、「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、……地の果てにまで、わたしの証人となります」(使徒一8)と言われました。
真実な証言をすることは、考えてみると、そのために上からの力・神の愛の力が必要なのです。

 


第2サムエル記21章15-17節

2014年10月14日 07時27分00秒 | 聖書

21:17 しかし、ツェルヤの子アビシャイはダビデを助け、このペリシテ人を打ち殺した。そのとき、ダビデの部下たちは彼に誓って言った。「あなたは、もうこれから、われわれといっしょに、戦いに出ないでください。あなたがイスラエルのともしびを消さないために。」



 再びダビデは、ペリシテ人との戦いにかり出されました。

彼は連日の働きで、大変疲れていました。

そのことを知った、身体が大きくて強い、ベノブというペリシテ人は、ダビデを倒す良い機会と思い、攻勢に出ました。

 しかしその時、アビシャイはダビデを助けて彼を打ち倒し、ダビデはそのお蔭で助かりました。

 こうした事件が起こったあと、ダビデの家来達はダビデに向かって、あなたは私達と同じように、敵との戦いに出ないでくださいと願いました。

というのは、ダビデが倒れたら自分たちの希望が失せてしまうからだと告げたのです。

ここでは、彼らはダビデのことをイスラエルの灯火であると伝えました。

希望の灯火です。

それが消えたら、自分たちの希望も失せてしまうと言ったのです。

彼は、それほどに慕われる者となっていたのです。


◆私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、

2014年10月14日 07時23分37秒 | 聖書

いっさいのことを損と思っています。(ピリピ三・八)

キリストに関する霊的な知識は個人的な知識である。私は他の人が主を知っているその知識によって主を知ることはできない。私は自分自身で主を知らなければならない。
それは理知的な知識である。私は幻や夢の中で主を知るのではなく、みことばが啓示する主を知らなければならない。私は主のご性質、その神性、および人性を知らなければならない。私は主の職分――その徳、働き、恥辱、栄光――を知らなければならない。私は、「すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知る」に至るまで、主について黙想しなければならない。
それは主についての熱愛の知識である。事実、もし私が主を知るならば、主を愛さずにはおられない。一グラムの心の知識は、一トンの頭の知識に相当する。
主についての私たちの知識は満足を与える知識である。救い主を知る時、私の心は縁まで満たされる。たましいがあえぎ求めてきたものを得たことを感じる。
同時にそれは刺激的な知識である。愛する主について知れば知るほど、私のうちにさらに知りたいという思いが起こる。高く登れば登るほど、私を招く山頂はさらに遠く見える。多くを得れば得るほど、私はさらに多くを得ることを願うであろう。
要するにこれは、キリスト・イエスを知る知識が、最上の幸福だからである。事実この知識は、私を高めて、時にはすべての試練、すべての疑惑、すべての悲哀を完全に超越させる。なおその知識は、私がそれを楽しむ時、私を「女から生まれた人間は、日が短く、心がかき乱されることでいっぱいです」という人以上の何ものかにするのである。なぜなら、それは永遠に生きる救い主の不朽のいのちを私の周りにまき散らし、主の永遠の喜びの金の帯を、私にまとわしめるからである。

 


10月13日(月)のつぶやき

2014年10月14日 01時38分10秒 | キリスト教