トシコロのありのままの暮らし


  世田谷カフェとの交信の必要性で、登録しました。それ以外の皆さんもよろしくお願いします。

夢の中のファースト・コンタクト

2021-11-12 14:52:40 | 日記
  昨夜の睡眠中の出来事。その夢の終わり近くに、色は焦げ茶色、首はなく、頭と胴体が一緒。日本のアニメのオバQみたいな形をした宇宙人が現れ、まずは「友人の所に連れて行ってあげる」と日本語で話しかけ、懐中電灯みたいな形をした瞬間移動機械を出し、誰か女性の友人の所に一緒に行く。その人は風邪引いている。僕が宇宙人に「君たちの医学ならば、風邪は簡単に治せるだろう」と言うと、宇宙人は「彼女は必要があって風邪ひいている。だから治さない」と返事した所で、目が覚めている。

  たかが夢かもしれないが、そのメカニズムは解明されておらず、また、筋ジストロフィーという難病で早くに他界した二人の友人がいまだに時々、天国から会いに来るように、夢に出てくるから、これは本当に宇宙人訪問かもしれないとも思うわけだ。彼らの科学はものすごく発達しているだろうから、夢の中に入り込み、相手と意思疎通できてもおかしくないわけである。もし、本当に宇宙人が姿を現すのならば、その前に人を選んで夢の中で意思疎通し、次第に増やしていく事も考えられるから。無論、オバQみたいな姿の宇宙人もかなりいると思われるし。

 因みに、その女性友人は誰かは判らなかったが、あるいは、コロナも同じだと僕に、地球人に訴えようとしたのかもしれない。何かの必然があり、今は流行っていると。我々にはその理由はまだわからないが、何年か後には判るのだろう。

  それにしても、今までの地球人の「うまいものを食べて、楽しく」という文明価値観を見て、どう思っているのだろう。真偽は判らないが、アメリカ人、ポール・アンカの従兄弟のダリル・アンカという人が、エササニ星人のバシャールという人と交信した本も読んだ事がある。「BASHARシリーズ・ダリルアンカ著・VOICE出版」だが。この中でそのバシャール氏は「かつてはエササニ星人たちも肉をおいしく食べた。でも、魂のレベルが上がるに連れ、肉はおいしいと感じなくなり、菜食になった。地球人もやがては肉食を止める時が来る」と言っているわけだ。僕のコンタクトした宇宙人はエササニ星人ではないかもしれないが、似た事を言う気もする。「地球人も気が付き始めたように、うまいものを食べて楽しくという価値観は悪くはないが、程度は低いものだ」と。そう言えば、世界的にヴィーガン=菜食の人々が増えている。肉食が許されているユダヤ・キリスト・イスラムの間にも。その面から見れば、地球はエササニ星社会みたいになりつつあるのかもしれない。

  夢を見た当日に書きくて、書いた。 いつか目の前で宇宙人と交友したいものである。

放火テロ事件犯人たちの気持ちを察する

2021-11-12 10:43:04 | 日記
  日本では、一昨年の京都アニメーション放火事件以来、「死刑になりたいから」という理由の若者による虐殺事件が多発している。僕も最初は「死刑になりたければ自殺すれば良いのに。多くの他人を道連れにするのはおかしい」と思っていた。でも、犯人はいずれも20代の若い世代であるが、彼らの小さい時からの生活を察している内に、そう思っても仕方ない事があるのではないかと思うようになった。彼らは小さい時から楽しみと生き甲斐に無縁だったかもしれないから。その前に1956年に生れた僕の小さい時からの事を少しだけ話そう。

  まず、食べ物関係。1960年代の日本はまだ食が貧しく、鶏肉とバナナがご馳走だった。僕も特にこの2つが一番おいしいものだと思い、それらを食べる日はご機嫌だった。70年代はそれが牛肉とメロンに移ったが、昭和=1980年代までは、ご馳走なるものは滅多に食べられない点では各世代共通していた。また、もう一つ、これも食べ物に関係する事だが、当時は毎日家族で食べるのが当たり前だったし、他に学校関係の仲間での忘年会や新年会で母親と児童たちが一緒に会食することもあり、これも楽しい思い出になっている。食べ物以外でも、1日30分だけ放送された民放のアニメや15分間のNHKのひょうたん島の人形劇も楽しかった。70年代後半以降は、繁華街にゲーム機も置かれ、僕も時々して楽しんだものだ。

  でも、時は移り、平成=1989年以降。スーパーマーケットが発達し、ご馳走も安く大量に売られる。マンゴーやパパイヤ、フォアグラ、キャビアでさえも。それらをそれまで食べられなかった世代は非常に喜んでいるが、その中で育っている子供たちにとっては何だろうと。例えば、マンゴーが好きな子は毎日でも食べるわけだから、ご馳走だとは思わなくなるのではないか。次第に飽きて、好きだったものも嫌いになる。おいしく感じる食べものがなくなり、生きるための義務として食べるようにもなる。しかも、社会崩壊も進み、学校関係での忘年会みたいな事もない。なおさら、食事は義務にもなる。また、今はITでいつでも好きなだけアニメも見られるし、ゲームもできる。僕も80年前後にゲームをしたが、3年くらいで飽きていた。今はゲームには関心もないわけである。ならば、子供の時から毎日見る・やるをすれば、アニメも、ゲームも飽きてしまう子も多いと察している。かと言って、ふれあいが減った以上は恋愛の楽しみもないだろう。学問、宗教、芸術にも楽しみや生き甲斐も見出せない。

  ならば、自分の人生はもちろん、社会自体も「無価値。消えれば良い」と思い、まず放火して、社会を破壊し、自分も破壊しようとしたとも考えられる。ヒットラーや麻原も最大に悪いが、それらとも違うものがあるように見える。自分や社会に価値を感じなくなっていた人は少し前までは新興宗教に行っていたが、それらの情報もネットで早く知り、飽きると言おうか。僕の察した通りならば、極めて難しい心理があるし、死刑で解決できる問題でもないわけだ。

  さらに言うと、食べることやゲームみたいな遊びが人間の生きがいになるだろうか。その事も問われている。「うまいものを食べて、楽しく」という文明価値観が問われているのだろう。新しい文明が起きるまで、そのような意識は社会にあり続け、同じような事件も今後も世界各地で出るかもしれない。まさに「文明の膿」。膿は出し切らないといけないわけである。