相手をよく見ないで関わる。恐らく、その場合、介護という労働行為に意識を集中させるわけだから、相手が身障者であろうが、高齢者であろうが、乳幼児を扱う感覚になるのだろうね。手話通訳の時の聴覚障碍者への対応も同じで。外国人とのやりとりにしても、「言葉のやり取り」という一種の労働行為に集中して。
もちろん、僕は労働行為を否定しているわけではない。その点は誤解のないようにしてもらいたい。一番大切な事は、「相手をよく見る」事である。聖書にも、仏典にもいくらでも書かれている事だと。他の古典の教えにも。相手を見ないでは、何もできないわけである。
相撲でも、立ち合いの時に相手を見ないと、相撲にはならないが、それにも通じる事である。