手鞠唄気付けば独りぼちなりき
(てまりうたきづけばひとりぼちなりき)
突然、母が花嫁姿で出て行くのを見たあの日・・・、
幼い私には一切知らされないまま、ことが進んだようです。
以来独りぼっちになりました。
昨年、ツイッターで詠んだ句に、こんな写真をつけました。
近所の公園の門の上に、置き忘れられていた人形です。
手毬唄逸れたるままの六十路かな
(てまりうたそれたるままのむそじかな)
これも、昨年詠んだ一句に写真をつけてみました。
あの日以来、手毬が逸れたままの人生だった気がします。
しかし見ていると子どもは泣いて母親を追っかけて行きます。
子供は母親が一番ですね。
孫を見ていても、悪さをして怒られても、やはりママが一番いいようですし、理屈でなくて子の母親を思う気持ちは強いですね。
思い起こせば色んな苦労を乗り越えて来て、今が有るのですね。何かしらの役にたっているのでしょうね。
母親の嫁ぐ日を知らされた
感受性の強い鎌ちゃん少年、
ぐっとくるものがあります。
何でもないような縫いぐるみの人形と
手鞠唄が絶妙に哀感を誘いますね。
手毬唄逸れたるままの六十路かな
こちらはひょうきんな一面が窺え
ほっ!です。お茶目な六十路ですね。
>手毬唄逸れたるままの六十路かな
幼い鎌ちゃん少年には大変なショックだったでしょう。
独りぼちなりき・・と詠まれた気持ちが切々と伝わってきます。
そんな時代を乗り越えて辿りついたこの六十路・・
精々謳歌していきましょうか・・(笑)。
お辛いことだったでしょうね。
手毬歌に哀歓がこもっていますね。
こんな巧い写真を添えたいですね。
置いてけぼりにされた人形の心情を詠んだものと解しました。
単純すぎるでしょうか。
< 手毬唄逸れたるままの六十路かな
私も母は同居していたものの、祖母に育てられた様な
ものですので!
鎌ちゃんのお気持ちは良く解ります!
祖母に気兼ねして、口には出さずとも、
子供にとって、母親は絶対的な存在ですね♪
祖母は、それが解るので!
「孫飼うより、犬コロ飼え」と、愚痴っていました!
鎌ちゃんにも、お優しいお婆様がいらしたんですものね♪
特別な存在ですね。
日本では、子供に大人の事情を何も知らせずに事を運ぶ
事例が多いと思いますが、かえってそれが子供を深く傷つける
場合のほうが多いような気がします。
深く理解はできないとしても、きちんと説明してあげた方が良いと
私は思っています。
鎌ちゃんの深い心の傷が今なお疼き続けていらっしゃるのが
切ないです。
でも、だからこそ鎌ちゃんは子供の心に寄り添うことのできる
教師になられ優しさも育まれたのだと思います。
手毬唄といえば、「あんたがたどこさ」でしょうか。
子供の頃を思い出します。
手鞠を踏みつける狛犬ですかね?
上手く切り取られましたね~
「手毬唄逸れたるままの六十路かな」
悲しい思い出ですね。
気がつけば独りぼっち・・・などは大人になっても切ないものです。
近年とみに人生とは・・・などと思い巡らすことが多くなりました。
大小に関わらず、事柄に関わらず、何かが与えられているように思えます。
それも、修行なのでしょうね。