鎌ちゃんの一日一考

写真と俳句(短歌)に取り組んでいます。
どちらも修行の身ですので、宜しくご指導お願いいたします。

手毬唄

2014-01-12 19:34:31 | 写真俳句

手鞠唄気付けば独りぼちなりき

(てまりうたきづけばひとりぼちなりき)

突然、母が花嫁姿で出て行くのを見たあの日・・・、

幼い私には一切知らされないまま、ことが進んだようです。

以来独りぼっちになりました。

昨年、ツイッターで詠んだ句に、こんな写真をつけました。

近所の公園の門の上に、置き忘れられていた人形です。

 

手毬唄逸れたるままの六十路かな

(てまりうたそれたるままのむそじかな)

これも、昨年詠んだ一句に写真をつけてみました。

あの日以来、手毬が逸れたままの人生だった気がします。



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12 コメント

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物事理屈では解決できませんね。 (silkcotton)
2014-01-12 19:52:03
よく母親が怒る姿がすさまじくて、それを見た方があそこまでしなくてもいいのにと嘆いておられるのを聞いたことがあります。
しかし見ていると子どもは泣いて母親を追っかけて行きます。
子供は母親が一番ですね。

孫を見ていても、悪さをして怒られても、やはりママが一番いいようですし、理屈でなくて子の母親を思う気持ちは強いですね。
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Unknown (さくらえび)
2014-01-12 20:27:17
手毬歌ですか。。。あ~歌おうと思ったら忘れてしまっています。いつも手毬を持って遊んでいました。懐かしい♪
思い起こせば色んな苦労を乗り越えて来て、今が有るのですね。何かしらの役にたっているのでしょうね。
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Unknown (れいん)
2014-01-12 20:50:06
手鞠唄気付けば独りぼちなりき

母親の嫁ぐ日を知らされた
感受性の強い鎌ちゃん少年、
ぐっとくるものがあります。
何でもないような縫いぐるみの人形と
手鞠唄が絶妙に哀感を誘いますね。

手毬唄逸れたるままの六十路かな
こちらはひょうきんな一面が窺え
ほっ!です。お茶目な六十路ですね。
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Unknown (kemm)
2014-01-13 06:27:05
>手鞠唄気付けば独りぼちなりき
>手毬唄逸れたるままの六十路かな

幼い鎌ちゃん少年には大変なショックだったでしょう。
独りぼちなりき・・と詠まれた気持ちが切々と伝わってきます。
そんな時代を乗り越えて辿りついたこの六十路・・
精々謳歌していきましょうか・・(笑)。
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Unknown (ヒコ)
2014-01-13 06:51:36
おはようございます。
お辛いことだったでしょうね。
手毬歌に哀歓がこもっていますね。
こんな巧い写真を添えたいですね。
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Unknown (たんと)
2014-01-13 08:51:48
公園で遊んでいて人形を置いたまま帰ってしまった子供と
置いてけぼりにされた人形の心情を詠んだものと解しました。
単純すぎるでしょうか。
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Unknown (桜姫)
2014-01-13 09:30:26
 < 手鞠唄気付けば独りぼちなりき
 < 手毬唄逸れたるままの六十路かな

私も母は同居していたものの、祖母に育てられた様な
ものですので!
鎌ちゃんのお気持ちは良く解ります!
祖母に気兼ねして、口には出さずとも、
子供にとって、母親は絶対的な存在ですね♪
祖母は、それが解るので!
「孫飼うより、犬コロ飼え」と、愚痴っていました!
鎌ちゃんにも、お優しいお婆様がいらしたんですものね♪
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Unknown (ポージィ)
2014-01-13 09:52:15
子供、特に幼い子にとって母親は無条件の信頼と愛を寄せる
特別な存在ですね。
日本では、子供に大人の事情を何も知らせずに事を運ぶ
事例が多いと思いますが、かえってそれが子供を深く傷つける
場合のほうが多いような気がします。
深く理解はできないとしても、きちんと説明してあげた方が良いと
私は思っています。
鎌ちゃんの深い心の傷が今なお疼き続けていらっしゃるのが
切ないです。
でも、だからこそ鎌ちゃんは子供の心に寄り添うことのできる
教師になられ優しさも育まれたのだと思います。
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手毬唄 (楽子)
2014-01-13 10:06:30
鎌ちゃん、こんにちは。

手毬唄といえば、「あんたがたどこさ」でしょうか。
子供の頃を思い出します。

手鞠を踏みつける狛犬ですかね?
上手く切り取られましたね~
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Unknown (太郎ママ)
2014-01-13 13:18:39
「手鞠唄気付けば独りぼちなりき」
「手毬唄逸れたるままの六十路かな」

悲しい思い出ですね。
気がつけば独りぼっち・・・などは大人になっても切ないものです。
近年とみに人生とは・・・などと思い巡らすことが多くなりました。
大小に関わらず、事柄に関わらず、何かが与えられているように思えます。
それも、修行なのでしょうね。
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