一八七六(明治九)年といえば、士族から刀を取り上げる廃刀令が出た年である。そんな年に行われた野球の試合。スコアが残っている。「11対34」▼対戦したのは日本の学生チームと米国チーム。九人そろわず八人で戦った米国に日本は大敗した。日本の野球伝来は一八七二年ごろで四年後の試合と思えば、よく戦ったともいえるが、そのスコアはやはり悪夢である▼「11対34」のスコアが「うまくなりたい、強くなりたい」という約百五十年分の思いと研究を重ね、昨日の「3対2」にたどりついたのだろう。WBC決勝戦。日本は米国に勝利し優勝を果たした▼一人足らぬどころか名前を見ただけで震えあがる米国の陣容にひるむことなく勝ちきった。大谷が強打者トラウトから三振を奪ったスライダー。村上の本塁打の美しい放物線。窮地にも声をかけ合う選手たち。思い返してまた胸が昂(たかぶ)る▼栗山監督は「知将」と呼ばれた三原脩(おさむ)監督の野球を信奉していると聞く。不振だった村上をスタメンで起用し続けた栗山監督には選手を信じチームを鼓舞する力がおありなのだろう。「励将(れいしょう)」とでも呼びたくなる▼優勝にとうに亡くなった野球ファンの父親を思い出す。子ども時分、戦前の中河美芳(みよし)の守備のうまさを何度、聞かされたことか。日本の勝利を野球というゲームの素晴らしさを、百五十年分のファンと語り合いたくなる。
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