謹賀新年。本年も小欄、お引き立てのほどを。あらたまにふさわしき話題をと探せば、作家の村上春樹さんがおもしろいことを書いていた。「『旅館・正月』みたいなのがあれば、いいんだけど」…▼どんな場所か。正月を過ごすための専用旅館ではない。一年中いつでも、正月気分を味わえる旅館だそうだ。「いつも門松が玄関に飾ってあってお雑煮を出してくれて、テレビでは箱根駅伝のビデオが流れているとか。そういうのがあると楽しそうなんだけど…」▼一茶の<正月の子供になりて見たき哉(かな)>をふと思い出す。正月気分をつくるのは日常から離れた開放的で朗らかな空気なのだろう。「旅館・正月」を訪れれば、<正月の子供になりて>、懐かしい匂いがかげるかもしれぬ▼俳優の森繁久弥さんが終戦直後の正月の様子を書いていた。大みそかの夜。芋のとけた粗末なかゆに決心し、質屋に走る。長年愛用の時計を曲げて家族六人分の卵を買う▼元日朝、目覚めるとおモチがある。卵焼きがある。裏の川でとったザリガニのフライがある。うれしさと妻のやりくりに胸がいっぱいになったそうだ。いいお正月だっただろう▼してみれば訪れたい「旅館・正月」にぜいたくはいらない。ただ、必ず備わっていなければならぬのは、いうまでもなく平和、平穏なる時間だろう。二〇二〇年。幸い、まだ、その旅館は無事である。