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今日の筆洗

2017年08月08日 | Weblog

 世阿弥が「風姿花伝」に五十歳を超えた能役者の演じ方を教えている。「五十有余。此(こ)の頃(ころ)よりは大方、為(せ)ぬならでは、手立てあるまじ。麒麟(きりん)も老いては土馬(どば)に劣ると申す事あり」。ようするに「何もしないでいる以外に方法がない」とは厳しい▼十五世紀の能役者の五十歳が、現在の野球選手の何歳に当たるかは知らない。が、盛りを過ぎ一時は引退を決意した四十二歳の投手は「為ぬ」に背を向け、まだまだと、もがく道を選んだのであろう。中日の岩瀬仁紀投手。その道は通算登板試合九百五十の大記録につながっていた▼大半が先発登板だった米田哲也投手らの記録とは時代が異なり、一概に比較はできぬ▼されど緊迫した場面での登板や連投、いつでも投げられる準備-。救援投手の厳しき役割を思えば、あの頃のタフな大投手に似合った「鉄腕」なる称号よりもこの救援左腕には「鉄心」「鉄魂」の方がふさわしい▼さむけの走る鋭いスライダーは消えたかもしれない。「ピッチャー、岩瀬」。そのアナウンスに心配がまったくないわけではない。それでも抑える。打ち取る▼<さりながら真に得たらん能者ならば(中略)花は残るべし>。世阿弥はそうも教えている。かつて咲かせた花は残る。技術、知識、覚悟、喜び、悲しみ。野球人生で培った、すべての「花」を一球に込め投げる、それが今の岩瀬の魔球である。