次は我らが箱根神社か?と思わせる企画展の推移。
確かにこの3社が古代よりずっと崇拝されていたことをある意味不思議に思っておりました。
普段はこういった視座から系統的に神社の由来を学ぶことは稀なので、折角の機会とこちらへ伺いました。
それにしても渋三の道の繋がり、随分と詳しくなってきたような…
さて展示について言うと、先ずはジオグラフィックに、伊豆半島と伊豆諸島は日本本土の成り立ちと同一でなく、フィリピンプレートが運んだ陸地が南から本州にくっ付いたものなんだ、というところから始まり、最初の”へえー”。
以前1万メートル上空からでその“謎”に迫った💧伊東の大室山も語られます。
その土地の“記憶”がそうさせるのか、「大宝律令(701年)」に因って神社の格が定められ、「延喜式(927年)」において国が関与するとリストアップされた「式内社」2861社の中でこの地域に存する神社の数が異様に多い、と展示は語ります。
その後の展示構成は以下に羅列💣の写真の列の中にパネルがありますので、それをクリック、追いかけていただければお分かりになる仕掛け😅💁♀️
特説すべきは、下田にある伊古奈比咩命神社(白濱神社)が三島大社に先駆けての神社であったこと。そして今その鳥居は伊豆諸島を向いている…
それでは、上の記述も参考にご覧ください。
最後に…
大型スクリーンで放映されていた伊豆諸島、白濱神社、三島大社のビデオ、素晴らしかったです。
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