tokotoko花日記

富山発 我が家のガーデニング便り
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終末期医療について思う

2013-11-20 | ブログ

今日は少し重い話題です。

父が他界して、色々思うところがあり、綴ってみました。

父は、特別養護老人施設に入所中に、肺炎にかかり、提携の老人病院へ移りました。

2年程前に、胃ろうを作り、2回目の交換の直後の事でした。

胃ろうを作ったのは、しゃっくりが酷くて、一度出始めると、何日も続き、食事もままならない状態になってしまう為、栄養が不足して身体が衰弱する事を懸念して、決断しました。

老人病院へ移ってからは、肺炎の再発の可能性を考えると、胃ろうを使って栄養を補強する事もままならず、点滴だけで約2ケ月を過ごした後、他界しました。

入院した当初は、問いかけに反応していましたが、徐々に体力が失われ、やせ細り、どんどん衰弱して、全く反応が無い状態で、静かに眠るだけの日々が続きました。

素人の私には判らなかったのですが、看護師の妹に尋ねると、点滴は水分補給のみの物で、栄養補給の無いものだったそうです。

そのような状態で、最後を迎える事が、どういう事なのか、私には良く解りませんでした。

妹の話では、自分が勤務する病院では、点滴で栄養補給もするとの事でした。

どうすれば、父の苦しみを和らげる事が出来たのか、私はずっと疑問に思っていました。

ふとしたきっかけで、インターネットの「yomiDR.」の「いまこそ考えよう 高齢者の終末期医療」というコラムが目にとまりました。

私は、そのコラムを全て読みました。

その中の、「胃ろうも点滴もしないで、苦しくないのか」というタイトルの記述が、私を救ってくれました。

その内容を次に掲載します。

「お腹がすいて苦しいのが“飢え”で、飢えで死んでいくのが“餓死”です。

空腹を強く感じるからこそ苦しいのです。

終末期の高齢者は食欲がほとんどありません。

胃腸も弱り、食べ物も受け付けません。

かりに何か食べたいとしても、ほんの少し食べ物を口にするだけで満足します。

つまり“飢え“や“餓死”ではありません。」

「胃ろうも点滴もしないで、眠るように安らかに亡くなる、という事実を裏付ける研究があります。

動物を脱水や飢餓状態にすると脳内麻薬であるβエンドルフィンやケトン体が増えます。これらには鎮痛?鎮静作用があります。

自然な看取りで亡くなった方にも同じ事が起こっているはずです。」

もしそれが本当なら、父は苦しくはなかった事になります。

ただただ、1日でも、1時間でも、長く生きて欲しいという家族の願いは、時として、本人の苦しみを反って長引かせる事になるのだと思うと、やっぱりこれで良かったのだと、自分を納得させる事が出来ました。

今年は、健康を損ねたり、私にとって、精神的にも肉体的にも、つらい1年となりました。

主人が、「お前は、出来る範囲で最善を尽くしたのだから。

お前以上の事は、他の誰にも出来なかったと思うよ。」と言ってくれても、

「本当に最後がこれで良かったのか。」という思いを拭い去る事が出来ずにいました。

でも、今は吹っ切る事が出来ました。

嫁に行った身でありながら、一時でも、実家の父を引き取って、一緒に過ごす配慮をしてくれた、主人や姑へは、感謝の気持ちで一杯です。

父の過ごしたこの家で、父のぬくもりを感じながら、自分に恥じない生き方をしようと思います。

父は、いつも私の傍で、私の生き方を見ていてくれると思います。

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