昨日は終戦の日でした。
13日にお墓参りに行った時に、姑から富山大空襲の時の話を聞きました。姑の家は、雑貨屋を営んでおりました。その日は、夕方から空襲警報が発令されていたので、防空壕に避難していたそうですが、防空壕といっても名ばかりで、爆弾に耐えられるようなものではなかったようです。
夜中に、危険を察知した父親の「逃げろ!」の一声に、一家ばらばらに逃げたとのことです。姑は、火の粉が降りかかっても燃えない様に、川で着ていた浴衣を濡らして、逃げたのですが、恐怖で足が思うように動かず、無我夢中で少し離れた学校の木の下で震えながら夜を明かしたそうです。
翌朝、家の方に戻ってみると、家は焼けて跡形も無く、焼け残った中から出てきた食器を手に取ってみると、一見形のまま残っていたお皿が手に取った途端に、粉々になったということです。
又、一角に飴のような物があったので、よく見ると、商品として販売していた大量のラムネが、一固まりになって溶けて飴のようになっていたというのです。
3歳の弟が近くの田んぼの中の木に縛りつけられていて、迷子にならないように、誰かが、そうしてくれたのだろうと思ったが、後に両親から、長女だった姑が何故弟を連れないで、一人で逃げたのかと、叱られたとの事でした。
幸い、家族は誰も怪我ひとつ無く、逃げ伸びることができた事は、本当に奇跡的なことでした。
焼夷弾で一部が欠けたものの、形を留めていた鉄の入れ物だけが今も残っています。その入れ物を何に使っていたのかは、定かではありませんが、我が家ではアヤメの鉢としてガーデニングに使っています。
家庭菜園では、花オクラが今年も咲きました。
草ぼうぼうになっているのですが、むしる元気が無いので、そのままになっています。熱中症になるといけないし・・・と、言い訳をして自分を納得させています。
そんな状態の中でも、季節が来ると次々と忘れずに季節の花が咲くのは有難いことです。
この花は、名前がわからなくなってしまったのですが、調べたところ「リオン」という花に似ている様です。
長い夏季休暇も、お盆も終り、また、普段の生活に戻って来ました。[E:sign02]
トコさんのブログにも、相当、ご無沙汰して、失礼致しました。[E:coldsweats02]
休暇中は、私のブログも、オーナーの休暇に合わせて、半ば、回転休業の状態で、
更新も、コメントもなかなか出来ずに、皆さんに、不義理しております。[E:coldsweats02]
毎年、このお盆の、終戦記念日の時期になれば、普段、みんなが忘れている事が多い、
戦争がニュースになり、マスコミの話題になり、報道され、悲しい、辛い、悲惨な、大きな大きな、
出来事だったんだ・・・との、過去形で通り過ぎて行く・・・繰り返しですね?[E:sign02]
毎年、思いますが、尊い、たくさんの犠牲者のお陰様で、われわれは、今、平和な社会で、過ごさせて戴き、
生かさせて戴いてることに感謝しております。[E:sign03]
トコさんの姑さん達のような、戦争を体験され、語り継いで下さる方が、段々と、少なくなってきましたね・・・?
年数も、終戦から、65年間と言う、長い年月が経過した証拠ですね・・・[E:sign03]
私も、そう言う、厳かな気分の終戦の記念日の一日を、私のブログの記事に投稿しておりますが、
我が家の実家の、宗派の本山である、京都の「西本願寺」に、ご先祖の供養に、参拝してまいりました。[E:think]
その時の、「西本願寺」の写真等も、掲示していますので、お暇なときにでも、お立ち寄り下さい。[E:heart04]
8月に入ると、どこのテレビ局も終戦の日の特集番組を放送します。
楽しいはずの夏のバカンスを、暗い気持ちにさせてしまいがちではありますが、やはり、過去の過ちに思いを馳せることも必要でしょう。
私の実の両親は、市街地から離れた場所で暮らしていたので、被災することもありませんでした。
又、父は、召集令状が届いてから、あいなく終戦となり、取り合えず集合場所の基地へ出向いたものの、ほとんど人気が無く、すぐに帰ってきたと聞いています。
風化しつつある戦争体験を、身近な人から聞ける内に聞いておくことも必要でしょう。