東京大学運動会ヨット部

東大ヨット部の現役部員によるブログです。練習の様子、レース結果、部員の主張から日記まで。

徒然なるままに

2018年11月07日 15時05分44秒 | 引退ブログ

元スナイプクルーの田原です。

 

全日本インカレが終わりました。

 

リザルトの通り2日目に叩きました。壊滅的なケースやトラブルがあったわけではなく、自分では必死にコースを考え、船の状態も早い状態を維持できるように、頭はオーバーヒートしそうなくらい使って。

 

今となっては考え過ぎてたのかな、もっとシンプルにエッジに出して風を掴みにいけば、左右差が見えない中で、72艇も予選を勝ち抜いた人たちが集まっているレースで、ボートスピードは普通にあると思っていたけどそうそう走り勝てなくて、同じスピードの大学にはクルー力で負けていたな、そんなことずっと考えてます。

 

11レース、最後までヨットを楽しんで晴れやかな気持ちで終わると思っていた。でも、もっとシビアに、もっと前を狙って、もっと練習から… 京都大学が前を走ってるのを見て、嬉しい気持ちと羨ましい気持ちと悔しい気持ちと、いろいろぐるぐるしていて、支えてくれた西坂、水石、サポートメンバーには申し訳ないけど、やっぱり全日本で前を走りたかったというところが、正直大きかった。

 

今回レースに出たメンバー7人のうち4人来年も残る。過半数も。彼らがレースに出られなかったメンバーや1年生を普段の練習から引っ張ってくれる。そして470チームにもしっかりと今回の経験を還元して、来年は今年叶わなかった両クラスで、全日本で戦える、そんなところまで連れて行ってくれる。

 

 

 

託して信じることしかできないって思ったよりもどかしい。

 

 

 

ヨット部4年間(実際は3年半)は短いようで長く、でもやっぱり短かったなと思います。

本当に色んなポジションをやったな。

スナイプクルー → バウマン → マストハンド・タクティシャン → ヘルムスマン → ピット・タクティシャン → スナイプクルー

上には書いてないけどスナイプスキッパーも練習でやらせてもらった。

自分としてはその時その時で最善の選択をしたと思ってるし、ヨットレースの色んな側面が見ることができて楽しかった。でも一つポジションに打ち込む同期を見たり、他大に比較できるライバルを見つけられなかったり、それはちょっと寂しかった。海外遠征も、実は一度も行けなかった。

 

ディンギー班に戻る前はこのまま辞めたほうが楽なんだろうなと考えたりもした。最後の1年は動作で下級生を引っ張ることもできない未熟なクルーで、最後まで申し訳ない気持ちでずっと乗ってた。それでも小野に「田原さんが帰ってきてくれて本当に良かった。ありがとうございました」と言われた時、本人の前では平然としてたけど、泣きそうでした。本当に救われた。こちらこそありがとう。

 

後輩達にこの3年半でどう命を燃やすのか、ちゃんと見せられたのだろうか。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

徒然草に今の自分の心に沁みる文章がいくつもありました。昔も今も人間って変わらないですね。

折節の移り変わるこそ、物ごとに哀れなれ

季節の移り目は美しい。

これだけ心残りがある自分が、この連綿と引き継がれてきたバトンを美しく渡せたかは分かりませんが、きっと後輩達が証明してくれる。

 

梅の匂ひにぞ、古の事も、立ちかへり恋しう思い出でらるる

ヨット部なので海の匂いが、これからの人生、この4年間を思い出させてくれる。

 

このごろある人の文だに、久しくなりて、いかなる折り、いつの年なりけむと思ふは、あはれなるぞかし … 手のわろき人の、はばからず文書き散らすはよし

去年の先輩たちのブログを読み返しました。自分もブログ書くのは苦手でしたが、後輩たちにはその時その時の気持ちを、下手でもいいので書き記してほしいと思います。自分が読み返して、後輩が読み返して、引き継がれていく想いが確かにある。

 

静かに思へば、よろづ過ぎにしかたの恋しさのみぞ、せむかたなき」 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

徒然なるままに書いてます。読み返すと恥ずかしくなりそうなのでこのまま最後まで突っ走ります。


2年生の時「その代の真価は次の年に見られる」という言葉を聞きました。3,4年生の間は後輩に何が残せるのだろうか、何を教えることができるだろうかと考えていましたが、今は自分たちの背中を見てこれまでついてきてくれた後輩を信頼して、期待して、LBという立場から見守る。当たり前のことかもしれませんが、そういうことじゃないかなと思います。 

 

 

ヨット部4年間で本当に多くの人に支えていただきました。

着艇後、かけつけていただいた先輩に「田原は1,2年生の時に辞めると思っていた」と言われました。それだけ当時は辛そうに見えたのだと思います。少しショックでしたが、先輩と衝突しても、練習が辛くても、レース結果が最悪でも、ヨット部をやめたいと思うことはありませんでした。ヨットの楽しさを教えてくれた人達がいて、活動を後ろから支えてくれた人達がいて、右も左も分からない自分に厳しくも優しく接してくれた先輩達がいて、慕ってくれた後輩達がいて、そして最高の同期達がいて、本当に楽しくヨット部を続けることができました。本当にありがとうございました。

ヨット部に入れて幸せでした。

 

 

ヨット部は引退しますが、インカレ終わって2日後にはKAZIを読んだりJ24の世界選手権のHPを見て心踊ったりしているあたり、まだまだヨットの魅力に取り憑かれているようです。


海上での再会を願って。

 

 

田原 建人


最新の画像もっと見る

コメントを投稿