お世話になっております。2年470クルーの槇枝です。
先週末に行われた秋季六大学戦の結果を報告します。
470リザルトは以下の通りです。
49-4829 北村/槇枝 22-25-21-25-25-19-20. 計157点 23位
50-4791 松本/山本 21-19-15-RET-RET-21-16 計158点 24位
51-4579 澤田/五熊 26-18-13-20-28-18-15 計138点 20位
249-4692 安藤/西間 24-23-29-22-21-26-26 計171点 26位
251-4452 成相/秋田 28-29-24-27-24-24-28 計184点 28位
予想していた通り、4年生のいないチームでのぶっつけ本番で、他大学について行くこともできずに、完敗という形になってしまいました。六大学戦のはずなのに、東大内での部内戦と思われるほど、戦う相手が決まっていました。5艇がほとんど同じレベルにあり、これから大幅なチーム改善をしていく上で、参考になる結果となりました。
私は唯一の2年ペアで、一番艇に乗っていました。なんで??これは六大学戦の配艇を決める際に、2年スキッパーの二人の実力を見るために、あえて良い艇環境にするという意図があったからです。東大内はもちろん、他大学にも艇番で引けを取らない4829に乗ることによって、艇環境以外の要素がどれほど結果に影響するかを試す機会と解釈していました。29に乗るのが怖くて、ぶつけないことばかり考えていました。()
代替わりをして個人的にも節目を迎えたので、私も少しこれまでを振り返ってみます。
去年の11月。
琵琶湖帰り後の代替わり。
憧れの最上級生が引退するも、新4年生にはインカレ経験豊富なクルー3人が残っており、高天さんという経験者もいる470チームの中で、自分がどのように一年間を過ごすかということを考えねばなりませんでした。
大野さんに一年の目標は何か?と聞かれた時に弱腰発言しかしない私に対して、「2年生からレギュラー取ること考えないと」というお諭しをいただきました。経験量で劣る自分が活躍できるチャンスがあるとするならば、それは動作しか残されていない。
「動作で信用されるクルーになる」
これが一年間の目標でした。
初めての練習、そして八景レースはひろきさんとでした。体育会気質の強い(気がする?)ひろきさんとのヨットは毎日が成長の日々に思えて、モチベが爆発していました。ひろきさん楽しかったです。ありがとうございました。
年が明けてもモチベが暴れていた一月は、オフも自主練に行ったりして、ヨットを楽しんでいました。
2月、3月。
寒くて辛い(はず)の春合宿は一瞬でした。この期間は、上級生の艇番選考レースが主で、一番艇が確定していた高天さんと我々2年クルーがレースに出させてもらえる期間でした。八景での東北戦や、学連レース。嫌な顔一つせず、ペーペークルーを乗せていただき、ありがとうございました。
4月、5月。
そうしているうちに気づけば新歓シーズンを迎えてしまいました。新歓担当で、2年生の私は練習どころではなかったです。新歓やばいよやばいよとNさんにプレッシャーを頂きながら、合間に自主練に行って、少しでも何かを掴みたかったです。合宿所に住んでいたイツクマくんとゆーたくんには及びませんでしたが。二人の自主練量は本当に感服です。
無事にたくさん新入生が入部してくれたおかげで、新歓は終わりましたが、同期クルー4人に対して、同期スキッパー2人で、乗艇機会に恵まれない環境は変わらず、変える何かを探していました。
6月。
江ノ島シーズンは、ずーまーさんと過ごしました。5番艇から上位艇を抜かそうと、奮闘して、スタート攻めに攻め。BFD2回などの失敗もありましたが、一上をシングルで回ったあのレースは忘れられません。気持ちよかったなあ、、ありがとうございます。
関東個選終わりに、ペアと艇の見直しが行われ、たまたままたたかまさんとレースに出られることになりました。92で関東470決勝。南微風から微風でしたが、上ピン即タックからの右振れで一上シングル。2R連続で10番台をとりました。初めてレースで前を走る感覚を知りました。今思えば、この時期が一番調子が良かった気がします。ちょっと自分が上手くなった気がしました。気がしただけです。
7月。こんな調子で七大学戦にも最終日1R出させていただきました。初めて大学を背負って出る大会。ただ動作するだけクルーのはずなのにビブスを着て緊張している私を「楽しんでおいで」と声をかけてくれた四年生はやっぱり凄いです。しかし、二下で京大に抜かれ5位フィニッシュ。470は4位で終わりました。悔しいです。陸で、運営で来てくださっていたいくさんに、ガイバック足りてなかったよと言われ、まだまだだなと思いました。
8月。この時期が想像よりも辛かった気がします。夏合宿が始まると、高天さんと29ペアを仕上げるべく練習をしていました。この時期はひたすらがむしゃらでした。コース練や動作練でも一番艇としての責任を感じ、今までのヨットの感覚とは全く別物でした。常に緊張した状態。しかし、成績に伸び悩み、その度に私の緊張状態が増して、良くない方向に向かっていってしまう感じがしました。なんで自分が一番艇に乗っているのだろう。一番艇の自覚と葛藤。この時初めてヨットに乗るのが怖くなりました。
もう一度ペア協議があり、9月からは私は一番艇のクルーではなく、四番艇のクルーとして、レギュラーを下から支える予備クルーへ変更となりました。閖上で行われた全日本470はレスキューボートから見ていました。ゴールドフリートのナショチとそれに食い込む早稲田の神々の戦いを間近で見る貴重な経験になりました。来年こそは江ノ島でこの舞台に立つと誓いました。
そしてすぐに迎えた秋イン決勝。なんとなく自分の出番があるかもなぐらいに思っていたら、色々あって前日夜に出ることが決定。もう一度レースに出られるチャンスをいただきました。前日夜の緊張感は一気に増して、夜はなかなか眠れませんでした。出ますと自分で言ったものの、出艇までガチガチに緊張していました。いろいろな人に励まされたけれどそっけない返事しかできませんでした。すみません。余裕がありませんでした。秋インの雰囲気に飲み込まれていました。
コースは全て高天さんが引いてくれて、自分は何も考えずに動作に集中するだけ。それでもレースが始まるまでガチガチでしたが、たかまさんが大丈夫と何回も言ってくれました。不安だった微風軽風でも、走れるレースは走れて、小松さんにも褒められて、ほっとしていました。
三日間はあっという間に過ぎました。5Rしか消化できずに、6RもN。からのAPA。9位。細かいミスの積み重ね。これが実力なのであると、自分の無力さを痛感しました。ハーバーバック中泣きたくなりましたが、なんでお前が泣くねんとなるのが嫌で、堪えました。
レース終わりは悔しさしか頭に残っていませんでした。その夜、逗子駅付近の沖縄料理屋で、早く切り替えた者勝ちだなという話を同期として、先週の六大戦を迎えました。
これまで上手いコースの引けるスキッパーと組んだことしかない私にとっては、自分でコースを引く初めてのレースとなりました。しかもほぼ初めての北風。どうやってコース引こうと思いながら。
1R目。オスカー。ゴタゴタして空いているところからのスタートにはなったものの、悪くないスタート。でもすぐに他の船のボートスピードに圧倒されました。パンプ虚しく一上から下位。リーチングとランニングは相方の技量と艇番の良さのおかげで数艇抜くも、クローズが課題で、他大学のOP艇に負ける。予想通りでしたが、自分の実力を突きつけられました。
この後のレースからは10knt以下の北風が続き、ふれが激しい海面のコースに苦戦しました。コースは客観的に見れば、フレッシュを意識した逃げタックが多く、戦う船に対して有利な展開に持ち込みたい考えが強かった。レースを重ねていくにつれて、コンパス角度の明確な基準を設けてのタックタイミングで、シフトを大外しはしないコツを掴んだり。北風はコンパス、ブローイン、シフト、タック。また、ブロー群の降りてくる方向が周期的で、右のブローが残りやすい。けど左のブローは入ったら強い。こうした感覚を味わうことが良い経験になったと思います。
最終結果は冒頭の通り。これからやることはたくさんあるようです。先々週の秋インで敗退し、470は代替わりです。自分も3年生の立場になるようです。もっと、メンタルに余裕があり、引っ張れるクルーにならなければなりません、、
この一年間。特に後半の半年間はたくさんのチャンスをいただきました。高天さんありがとうございました。実力も自覚も足りないのに、最後まで2年クルーの自分を信用してくれました。たくさん前の景色を見させてもらいました。この経験を来年以降に活かす。もう一度、もっといい景色を見るために頑張ろうと思います。
それではまた。
2年 470 クルー 槇枝大祐
P.S.
乗艇機会に恵まれていない時にたまたま話が舞い込み、機会をいただいたゆなさんは、今年最大の転機となりました。求めているクルーは、100%自分のレベルではないことはわかっていましたが、一回で打ち切りになることを覚悟で乗りに行きました。下手すぎて話にならないはずでしたが、何回も練習に付き合って下さりました。強風関東フリートと、閖上のナショチ合同練習も参加しました。自分には勿体無い最高レベルの練習でした。これからもロッキング、ウーチング、パンプ、カット頑張ります。ありがとうございました。