Kou Farm

畑の話と日々の雑談

2016

2016-12-30 21:51:10 | 自然
前回を上回る大きな揺れ
僕は地震を連れて帰ってきてしまったようです(笑)
テレビ画面に映る震源地から てっきり高萩断層かと思ったのですが
今回は未知の断層が動いたそうです

たしか このブログで県内でも過去に大きな地震があり 気をつけよう といった記事を載せたと記憶してますが
まぁ すっかり油断してました

しかし実感として思いますのは
まず震源の近くだと緊急地震速報は間に合いません
震度6クラスだと その瞬間何もできません
事前にこうしよう ああしようと考えていても できるのは揺れが収まってからです
重要だと思えるのは とにかく家が倒壊しない事 壁が崩れようが 屋根瓦が落ちようが
とにかくペシャンコにならない事 傾いても捻じれてもいいから人が逃げ出すまで生存できるスペースが確保される事
震度6以上になると 人は無力だと思った方が良いと思います

それと もう一つ
マスコミの取材姿勢です
伝える義務があるのは分かりますが 緊急時の対応にテンテンコ舞 場合によっては人の命が係わる事だってあるのに
無遠慮な取材攻勢 今回実際に経験した知人の話では 事情を説明して断っても繰り返しかかってくる取材の電話
他の重要な連絡があるかもしれないのにホントに困ったそうです
特に酷いのがNHKだったそうです 
熊本地震の時も 見るに堪えないエゴまる出しの取材に不愉快になった事を思い出します
こういう話は あまり表に出ないかもしれませんが
良い番組も沢山あるのに なんだかガッカリしてしまいます 組織としての硬直化はないでしょうか 
あるいは 組織人になりすぎてはいないでしょうか 改善を期待します

さて

今年最後の記事が地震で終わるのも何なんで

新しい畑をもう一枚借りました

来年早々から土作りの準備に入ります
2月に帰ってきて以来 気候を感じ 種を蒔き
ほどほどに暑くなり ほどほどに寒くなるここは 十分野菜作りができると 手ごたえを感じました
商売になる手ごたえは まだですが(笑)
来年も挑戦の年になります

今年はお世話になりました
来年も どうぞよろしくお願い致します

良いお年を~
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無事です

2016-12-28 22:13:20 | その他
地震大きかったです

揺れた後に緊急地震速報です 遅っ!

おそらく高萩断層でしょう

多少ものが落ちましたが 被害はありません

僕は無事です

取り急ぎ
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県北スタイル

2016-12-22 22:13:11 | 畑の事
試作のために播いた種
収穫の時を迎えています
まぁ おおむね良好
大根も大きくなってきました

予想より早まって 1月上旬には採れるかもしれません

ホウレン草も良好

幾たびかの霜で 尋常じゃないくらい甘くなりました 果物並みです(驚)
せっかく良くできたので 近所の直売所(のようなもの)で売ってます
商売とはとても言えない量ですが まぁまぁ売れてます


さて 最近 気付かされた事があります
この街が右肩上がりの頃に育ち 去年まで上り調子のつくばで営農していた僕は
人口流失が続き寂しくなったこの街を 何とかならないか・・と思っていました
分かり易く言うと ちょい上から目線です

そんな僕が ハッとしたのは 何気ない会話をしてて
『あの山にたらぼを採りに行くんです 沢山採れるんです 美味しいんですよねぇ』 たらぼ とはタラの芽の事です
お婆ちゃんとの会話ではありません 若い女性です
音楽好きの今時の人です 特別古風なわけでもありません

あ~なんて豊かな土地柄なんだ・・と思いました
同時に 上から目線だった自分のいやらしさに気付き ちょっと恥ずかしかったです(笑)

たしかに よそ行きの服や靴を買うには ひたちなか市のファッションクルーズか水戸のウチジャス
(内原のジャスコの事 今はイオンモールに名称変更してると思う)
にお金をだして高速に乗るか 1時間前後かけて一般道で行くしかない不便さはあります
それでも 自然が一杯あってゴミゴミしてない生活環境を気に入っている若者たちが多数いるのです
それに 出かけなくともネットでも色々買えますしね

街が街として機能するためには ある程度の常在人口が必要です その為には経済的な活気が必要です
それはそうなのですが それだけじゃないんですねぇ
山菜は都会でもスーパーや百貨店で買えば なんなく手に入るものですが 自分で摘むという事は
山の色 風の匂いを感じながら「今年も採れるかなぁ~」などと 期待を胸に山道を行く
山菜採りという目的に付属して 種々雑多な経験と楽しみが加わるわけです
そんな場所がある事 日常の一コマとして経験できる事は なんと贅沢な事でしょう
それを「自然と人の共生社会 高萩」なんてキャッチコピーみたいな表現をしたら 
「な~にカッコつけてんだぁ~ ごじゃっぺ言ってんじゃねェ あだりめ(当たり前)だっぺぇ」と言われそう(笑)
ここでは 特別ではない 当たり前の事だから 美辞麗句で飾るあくどさはいらないのです


ライブハウスで演奏してた人が 翌日は山で山菜採り
いいなぁ~と思います
これが 高萩スタイル 
いやいや 最先端の県北スタイルなのかもしれませんねぇ


そうそう 昨日は冬至
家に帰ると 山の様に柚子が積まれてました
母が友人からもらったそうです
使い切れるはずもなく ご近所さん お友達に配って歩いてました
お蔭で 夜は柚子風呂 いい香りでした
これも県北スタイルかな?(笑)
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2016-12-15 22:02:16 | 日々の事
ときどき 道具を忘れて畑に行ってしまう事がある
手で土を掘ろうとするが 固くしまった土は掘れるものではない 逆に爪が剝がれそうになる
その辺に落ちてる棒切れでガシガシやっても時間を食ってしょうがない
結局 取りに戻る(笑)

今では古典的な道具になってる鋤や鍬も 鉄製のそれが普及した当時は
今の大型トラクターが出たほどの驚きと感動があったのではないでしょうか
そればかりか 鉄は刀や槍となり 強力な武器は大きな権力を生み出したと想像します
大きな権力が生まれた事で 大量の人を集め使役できるようになり 田畑の開墾もより大規模となっていきました
大面積がとれる平地でも湿地帯の水を抜き美田に変えた等の話はよく聞きます
江戸中期には人口増加と農業土木の発達もあり 新田開発がより盛んになったそうです

鉄鉱石を使う現代製鉄とは違い 昔は砂鉄を原料に使ってました
砂鉄から鉄を作るためには 大量の木炭を使います 木炭を作るためには さらに大量の木が必要となります
一山禿山が冗談ではないぐらい木を伐りだすのです

鉄の先進地帯であった中国では砂漠化が進み問題になりましたが
温帯モンスーンに位置する日本でそうならなかったのは 豊富な雨による森林再生が可能であったからだそうです
そして その雨が米をも育てるわけです
この国の地理的位置が その成り立ちに大きく関わっている事が分かります

さて 鉄が農業にとても大きい変革をもたらしましたが
現代においてはどうでしょう
バイオテクノロジー 新エネルギー ソーシャルメディア などなど・・
昔は無かったもの これからの開発が期待できるもの 色々あります
鉄に匹敵する何かが生まれるかもしれません

そんな現代に 古典的な農法をベースにやってる僕は・・
弥生人・・いや 新弥生人と呼んでください(笑)


畑では 8時を過ぎても消えない霜

冬ですねぇ~
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雪に思う

2016-12-09 22:25:33 | 日々の事
先日の雪
高萩では小雪 中雪 大雪 でした
海に近い平野部(と言っても猫の額だが)は降るには降ったが積もるほどではなく
少し山に入った辺りは 薄っすら雪化粧
山間部の標高400mぐらいからは15cm以上積もって 除雪車がでた模様
同じ市内でも 標高差に加えて 海風の影響で様々な表情を見せてくれます
500mほどの山にいた僕は 降り積もる雪に ホントに遭難するんじゃないかと思いましたが
前日に履き替えたスタッドレスタイヤのおかげで無事下山
街に帰ってみれば 雪のかけらも無く 山中での大雪が まるで夢でもみていた様でした


今回 つくずく不思議に思いましたのは山間部の集落です
住人が減り続けてはいますが まだ そこに住み生活をしている人達がいます
今でこそ道路は舗装され広くなりましたが 一昔前はすれ違うのがやっとなうえ
険峻な山道では不便でしょうがなかったでしょう
その上 雪が積もれば 閉じ込められて 正に陸の孤島
どうして そんな所に何百年 あるいは数千年 人が住み続けてきたのだろう?

山間をぶらぶらしてると山肌から浸みだしてくる水をよく見かけます
そして 先日の雪
・・もしかして

以下 僕の想像

大昔 人力だけで田や畑を耕せる面積はしれたもので それなりの広さがあれば十分
それよりもまず水である
冬に積もった雪が山に充分な水分を与え 春には山裾から染み出る幾筋もの細流
山間部の自然の傾斜を利用すれば田畑に容易く その水を引き込める
しかも 目の前の山には肥料になる落葉が文字通り山の様にある
(弥生時代の稲作は無肥料と言われるが 僕は疑っている)
労力の小さかった初期農業では山間部の方が利便性に富んでいたのではなかろうか
また 面積当たり収量も現代よりずっと少なかったと思われ 米以外の食料を得るにも山は都合が良い

そして そこに強烈なインパクトを与えたものがある

『鉄』

である

続く・・

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