Kou Farm

畑の話と日々の雑談

雨と晩夏

2018-08-30 18:07:09 | 畑の事
10時を過ぎると 暑さと湿気で止まらない汗 池に落っこちた犬の様に情けない姿で畑を徘徊
も~ダメだと作業を止める
多少涼しくなった3時頃再開 気が付くと天までとどきそうな大雲が雷鳴と共に迫ってくる
まだ大丈夫と呑気にアホずら下げてると あっちに落雷 こっちに落雷 大迫力の雷鳴
突然 天地がひっくり返ったかのような豪雨が追い打ち
もう 逃げ帰るしかない
翌日も 同じ目に
もう大丈夫だろうと思うと 今度は梅雨のようなシトシト雨が降ったり止んだり
猛暑の7月 雨降れ 雨降れ との願いが 今頃になって叶いました・・必要以上に(笑)
まぁ 何とか冬野菜用の堆肥撒きが滑り込みで終わったのが幸い


8月も末 夏野菜の収穫も終盤
作業も冬作の準備に軸足を移してる
いつもながら あっという間の夏だった~(笑)

秋冬野菜

人参 キャベツ ブロッコリー ジャガイモ
9月になれば葉物の種蒔き
無事育ちますように~ と願いたいが・・昨今の天候不順
なるようになりますように~(笑)
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甲子園

2018-08-23 21:47:20 | 日々の事
甲子園では大阪と秋田の決勝戦
球児たちの熱戦は大阪桐蔭の優勝で幕を閉じました

ご存知でしょうか 甲子園大会は大阪だけではないことを
なんと 福島県でも熱戦が繰り広げられていたのです
場所はいわき市 ここまで言えばお判りでしょう(笑)
そう フラガールズ甲子園です
なんと 今年で8回目 7都県から24校 約260名が参加
今回の最優秀賞は地元の湯本高校(初)
上位入賞校はスパリゾートハワイアンズの舞台でエキシビションで踊れるそうです

この大会は常磐ハワイアンセンター(現ハワイアンズ)初代ソロダンサーで初代リーダー
後に常磐音楽舞踊学院教授となる方の発案だそうです

一時はダンサーのなり手がなく 地元では 勉強しないとハワイアンズにやるぞ!と
まるで吉本興業のような扱いだったそうで(笑)
実際 結婚出産で引退したダンサーをバイトで再雇用 体験フラでは親子共演なんて事もあったそうです
それが 今では相当な倍率で なりたくてもなれない子がたくさんいるそうです
ホントに不思議なものです

何時頃からでしょう 日本いや世界的なフラブーム そして映画フラガールの成功 この影響が凄かったそうです
この様な追い風と 震災復興の強い動機が フラガールズ甲子園を生んだ訳ですが
やろうと決意する人がいなければ始まらないが それだけでも実現はしない もちろん8年も続かない
不可思議な風というか 流れに乗ればこそなのだと思えるのです
まことに不思議と言わざるを得ない

そうは言っても 野球やサッカーなどメジャーなスポーツとは比べものにならないのですが
そのくらいのサイズ感も悪くはない
大きくなって完成してしまうと 途端にパワーを失い味気ないものになってしまうのは多々ある事
頑張ってる途中の姿が魅力を生む事もあるのです

どこの業界でもレベルアップを求められる昨今ですが ハワイアンズがディズニーランドやUSJ
になっては欲しくない
売店の娘さんや受付のお嬢さんが福島訛りでも良いのです 垢ぬける必要もないのです
創業からの伝統である 手作り感 必死の手作りがオリジナルの魅力を生み出すように思えてなりません


協調性 創造性 表現力 努力
10代の若者が青春を燃やすには もってこいの部活じゃないでしょうか


しかし なんですねぇ
随分と語ってきましたが 子供の頃親に連れられて行った事を除けば
たったの一回しか行ってない
よくも こんなに書けるもんだ(笑)
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8月15日

2018-08-16 11:46:42 | 日々の事
昨日は終戦記念日
ここのところ 特別番組が多い
なかでも胸が痛かったのが 戦災孤児をあつかった番組
戦争が終わり 両親を失った子供達が駅で着の身着のまま 助けも無いままにすくんでいる
餓死する子 病死する子 生きるために盗みを働く子
その過去を告白するお爺ちゃん お婆ちゃん 自ら傷口を開けるような痛みと共に語る姿は 見るに忍びない
きっと 告白しようにも 決して表には出てこれない様な人生を歩いてしまった人達も少なくないかった
事でしょう

まことに 戦争が落とす蔭は深い

日本では明治になって 初めて国民が生まれたと言います
それまでは ○○村の伝助 とか✖✖藩の右衛門 とかだったわけです
しかし 片田舎の百姓が 唐突にあなたも日本国民ですよ といわれても
何だっぺそりゃ?さっぱり分からん 何て人が沢山いたと想像します
幸い 当時から識字率の高かった日本ですから村の知識人(富農とか大商人)が説明したり
都会の文物を手に入れ 皆で読んだかと想像します
きっとデモクラシーという言葉に夢を感じた人達もいた事でしょう
一方で ますます重くなる年貢(税金)と農民や町人まで戦に駆り出される徴兵制に
国民てのは踏んだり蹴ったりだと 嘆いた人達も少なくなかったでしょう

貧しい暮らしに耐え 日清・日露の戦争に勝利し国民であることに誇りを感じ始めたのも束の間
日中戦争から太平洋戦争で この国を亡ぼすに至りました

子供の頃に聞いた 父の言葉を今でも覚えています
『国の言う事は鵜呑みにはできん』
敗戦を経験した人の言葉です 当時 国(政府や軍)が何をしてきたかを良く表してると思います

痛々しいまでに 無邪気で少年の様だった国民は敗戦の痛みをしって 初めて青年になったのかもしれません
そして73年 僕達は中年ぐらいにはなれたのでしょうか それとも幼稚園までもどってしまったのでしょうか
年を追うごとに 生の証言を聞く機会は失われていきます

戦争はいけない 当然です ではそれは何故なのか 
学校で学ぶ近現代史 政治をなぞるだけではなく その時の百姓町人 庶民が何を考え
何が起きていたのか 色々な角度からスポットを当ててほしいと思います
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左へ右へ

2018-08-09 20:40:58 | 畑の事
再びの台風
同じようなコースで北上し 今回は右へターン
作者でもいるんじゃないかと思える様なシンメトリー
今回は ほぼ直撃だろう
うちのひ弱なハウスが風速40mに耐えられるわけがない

なかのトマトは終盤に入ったとはいえ あと一週間 上手くいけば10日ほどは少量ながら採れるのですが
あきらめる
ビニールをはがし トマトは吊っていた紐を切って横倒し

張ったままだと 骨組みのシチューごと飛ばされるか 折れ曲がって 復旧の手間と時間 お金は
残りのトマトの金額を遥かに上回る
ここは 諦めが肝心・・ですが 前回の台風が もし 右にターンし茨城を直撃していたら
はたして こうも容易く諦められたかは・・疑問 当時はMやLサイズ 商品価値の高いモノがまだ残っていた
きっと 迷いは今回よりずっと深かったでしょう
台風にしても 大雪にしても 南岸低気圧にしても 極端な気象変動に対しては 特に冷静な態度が求めら
れます 
しかし そこに売り上げへの執着が絡んでくると 時に判断を誤る 僕も例外ではない
う~ん・・ トマトは一年一作だけに なかなかすんなりとはいかない 
まぁ しょうがない 人間だもの(笑)


そして 台風一過

さすがに 骨だけにしておいたので ほぼ被害なし
思ったほどの風は吹かず やや拍子抜け
が そのままだったら心配で夜も眠れなかっただろう(実際は寝てしまうが 笑)
取り越し苦労は無事であった証拠
ともかく よかった よかった
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過去からの叱責

2018-08-02 19:57:25 | 畑の事
もう8月 まだ8月
日によって変わる

今夏は いきなり真夏がやってきた 週末からは暑さも一息つけるそうな
秋が来るのじゃないか・・と勘違いしてしまう(笑)
野菜の生育も色々あった 生理障害 病気 虫害 毎年少なからずある事ですが
出方が違う 
原因を探っていくと 植物の繊細さと複雑さに気ずかざるを得ない

なぜか 僕が社会人1年目の時の上司を思い出します
渾身仕事の様な人で 変人じゃないかと若き日の僕は思ったものですが
あの頃 投げかけられた言葉が 今更ながら僕の仕事に生きている事に気ずきます
暑い 疲れた・・と怠け心が顔をもたげると この1~2年 元上司の怖い顔が浮かび 
そそくさと勉強を始める僕がいます(笑)
もちろん怖かっただけではなく その人の仕事と人への姿勢が蘇り 僕のモチベーションを刺激するのです
ともに働くという事 言葉だけでは伝わらない何事かを教えてくれる 今は そう思えます

不出来で不義理をしてしまった僕で もう向ける顔も無いのですが
風のうわさで 会社でもっとも責任の重いポジションで仕事をなさっているとか

年を重ねた今 僅かな期間でも 部下であれた事に感謝をしています


オクラが花盛り
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