Kou Farm

畑の話と日々の雑談

陸前浜街道そして伝承館へ 3

2023-01-26 17:35:15 | 日々の事
大熊町に入り 右手に福島第一原発の林立するクレーンを眺めながら さらに北上し
双葉町に入る
一軒だけ営業してるガソリンスタンドを右折 
約16mの津波で広大な更地になった風景を見ながら約1.5km
双葉町産業交流センターが見えてくる

双葉町復興の中核施設 町民 来訪者 企業 などなど幅広い人々が交流する場
東日本大震災・原子力災害伝承館はそのすぐ横に建っている
駐車場で車を降りると 訪れた人だろうか 幼稚園児ぐらいの子供を連れた若い夫婦がのんびりと歩いてる
後にこの風景に この時とは全く違った印象をもつ事になるのだが

伝承館は近代的で綺麗な建物
中に入ると



順路に沿って行くと 詳細な当時の記録を知る事ができる
福島第一原子力発電所は1973年に運転が開始されました
大した産業の無いこの地域では 農業従事者の多くが冬は都会に出稼ぎに出て生計を立てていたそうです
それが原発ができたおかげで一年中家族が一緒に居られるようになりました
今となれば複雑ですが まことに切ない話です
高度経済成長期が1955年頃から1973年頃ですから 乗り遅れていた特急列車にやっと乗れたといった
ところでしょうか たしか全国的に兼業農家率が高くなったのもこの時期だったと思います 
時代の波だったんですね

この施設では 震災語り部講話 と言って体験者のお話を聞く事ができます
初老の女性で 当時は会社の営業職で外回りをやっていたそうです
あの日 請戸地区で担当の家々を周ってる最中に震度6強の揺れに見舞われ 
お客様の高齢のご夫婦を安全な場所へ移るよう促したり 
何とか会社と連絡を取ろうとしたり あたふたしながらも 仕事を続けようとしていたそうです
これは 僕にも身に覚えがあって 揺れの後暫くは途中になっていた人参の種を播いてました
それが あるお客様に こんな時に何してるんだ 早く家に帰りなさい と叱責され 
我に返ったそうです
慌てて車を自宅に向けて走らせましたが すでに橋は段差ができて渡れない
そうこうするうちに津波が迫り 周りは一面の水
もうダメかと思いましたが 幸いそこまでは水が上がらず助かったそうです

震災後 何度か請戸を訪れたのですが 冷静ではいられなかった・・と

講話の後 少しお話をさせて頂いきました
話をされている姿が とても辛そうに思えたので
僕なら 嫌な事 辛い事は できるだけ思い出さない 忘れようとするのですが
繰り返し話をする事は辛くはないのでしょうか・・といった事を質問しました
今思えば 踏み込み過ぎた質問で 失礼な事をしたと後悔してるのですが
彼女は 逆なんです 話してる方が楽になるんです と
この言葉が とても重く思えました
僕も つくば市で震災を経験しましたが それでは想像もできない体験があった
TVの向こう側のニュースではなく 生の声が それを よりリアルに感じさせたのかもしれません

そして 彼女から時間があれば 請戸小学校に行く事を勧められました
当時の事がよく分かりますから との事
あとは浪江焼きそばを食べて 帰路に就こうかと思っていたのですが
彼女の話が身体に残ってもいましたので 焼きそばは後回しにして いってみる事に

続く
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陸前浜街道そして伝承館へ 2

2023-01-19 17:57:34 | 日々の事
陸前浜街道は明治になってからの呼称 そんなに古くは無い
大昔 平安前期には東海道(あずまかいどう)と呼ばれていたそうです
征夷大将軍 坂上田村麻呂が通ったかは分かりませんが 蝦夷討伐のため多くの兵士
や荷駄が往来したことの想像は許されるでしょう
街道沿いの住民は 食料の提供や人夫としての徴用があったかも 国の事情など知らない 
庶民にとっては ただ災難だったかもしれませんね
定住し農耕に参加する事で同化していった蝦夷も多くいたでしょうが 頑なにそれを拒み抵抗した
者達が討伐の対象になったのでしょうが 僕には是とも非とも言えず ある意味きのどくなような気がします

そんな時代におこったのが
869年の貞観地震
三陸沖を震源に M8.4と推定される巨大地震
津波の新水域は3.11の津波と酷似しており その大きさを想像させます
それ以前もそれ以降も 大小津波を伴う地震の常習地なのですが それでも人は住み続けた
何故住み続けたのか・・不思議に思っていたのですが
思えば 時代を遡るほど その土地風土と生活が密接に繋がっていた
米作りにしても 山の幸にしても 海の幸にしても その地域の地形 気候の強い影響下にあり
その微妙な変化を感じ取りながら収穫を得ていた
なので 勝手のわからない遠方に移動するのは よほど勇気のいる事だったのではあるまいか

そんなこんなを考えてると 小名浜を過ぎ 四ツ倉へ 
この辺りも 津波被害が大きかったのですが 初めて来た僕にはまったく分からないほど
旧に復していました
立ち寄った 道の駅よつくら港の柱

このタイルが当時を物語っています
7.5mの津波 原発事故による避難
この道の駅も津波に呑まれ全壊
この日は 平日ながら沢山のお客さんで賑わってました
お惣菜やお弁当が美味しそうです

四ツ倉を過ぎて まもなく双葉郡
北から国道沿いに
広野町
楢葉町
富岡町
大熊町
双葉町
浪江町
やや内陸に
川内村
葛尾村

国道を北上しながら眺める風景は よくある海岸沿いの田舎町
お店や会社 点在する民家には人の気配があり 車の往来もそれなりです
事故当時拠点になった楢葉町のJビレッジの屋根を微かに見ながら
大熊町近辺に至ると それが一変する
人気が無く 放置された建物に人影はない
唐突な変化に 被災地の生々しさを見せつけられたようだった

続く
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陸前浜街道そして伝承館へ

2023-01-12 21:26:52 | 自然
ここ数年都合がつかなくて行けなかった
東日本大震災・原子力災害伝承館
にやっと今日行けました

立地する福島県双葉町まで80km強 そう遠い場所ではありません
震災以来 かの地の事はTVや動画サイトでは見る機会も多いのですが できれば生で見たい
そして体験者の生の声を聞ければ と思い出発しました

せっかくなので常磐自動車道は使わず 陸前浜街道(国道6号線)をゆっくりと
福島県四ツ倉の 道の駅 四ツ倉港

福島県双葉郡双葉町の 東日本大震災・原子力災害伝承館

福島県双葉郡浪江町 震災遺構浪江町立請戸小学校

に立ち寄ります

茨城県と福島県の県境
勿来の関のトンネルを抜ければ そこからは古(いにしえ)蝦夷の国
車を北へと走らせます

続く
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兜の緒

2023-01-05 18:11:53 | 日々の事
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

年末年始 良く晴れて 大風も吹かず 畑の心配もすることなく
良いお日柄でした
とは言え 今年も去年の延長にあるわけで
何が起こるか分からない
日露戦争時 連合艦隊司令長官東郷平八郎が日本海海戦を終えて読んだ 連合艦隊解散之辞
その最後の一文
『勝って 兜の緒を締めよ』
勝ってはいないが(笑) 兜の緒を締めよ
これを 忘れないように と思います
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