Kou Farm

畑の話と日々の雑談

年末に

2017-12-28 21:41:14 | 日々の事
収穫したカブをガブリッ
こ・・これはリンゴか!うまい!

なんて事は大げさで カブがリンゴであるはずがない もりもり盛ってます(笑)
でも 僕の心象としては そのぐらいのインパクトがありました
このカブの特性が十分に発揮されていたのです

そして 我に返りました
その時の事は 気ずく とか 知った とか 見つけた ではなく 我に返る が より正確と思えます

野菜作りの方法は ホントに様々で 僕も僕なりの方法でやっているのですが
数ヶ月 時には数年を経ないと結果が分からない野菜作りでは それが正解であるか確証を持てないまま
作業だけ進めていく事が多々あります(期待と不安がないまぜになりながら)

例えば 堆肥も購入せずに自分で作るのは畑に良いモノ(自分が思う)を作るため(経費削減の意味も大きいが 笑)
ある期間はほぼ毎日温度を確認 その変化から発酵の状態をイメージする 今はあの菌が活躍してる
そろそろ この菌にバトンを渡しそうだ 空気が足りなくなってきた切り返しをしよう・・などなど
それでも この時点では思惑通りにできているのか確証があるわけではありません

そして土に入れ 種を蒔く 除草をして成長を見守り 
遂に収穫 ガブリ! ここで初めて僕の仕事の成否が判明するわけです
そして思うのです
僕は この野菜が そのポテンシャルを十分発揮できるよう環境を作ってきただけなのだなぁ・・と
野菜作りにおいて 僕は設計者でありますが 作業者でもあります 作業をしている時は その事しか考えて
いません 工場でエンジンを組み立てる人の様に ボディーを塗装する人の様に

そして かじった その味が 一瞬にして 数々の手順を統合し 結果がそれまでの作業を俯瞰させるのです
冒頭の 我に返る とはそういう事です


ともすれば 理想というカタチにはめ込んでしまいそうになりますが
やはり その野菜が持っている個性 ポテンシャルを十分に発揮する その環境作りに専念する
それなんだ と 思えた事が 今年一年のしめとなりました

良いお年を

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おにぎり

2017-12-21 19:19:16 | 日々の事
大きな課題に気ずいてしまった・・
僕にとって それを理解するのは難しい どんなに考えても額に油汗が浮かぶばかり

ツナマヨネーズおにぎり・・てっ う~ん・・何?

コンビニでは高いシェアを誇っているそうな
二個入りのおにぎりは大抵一つはそれ 買う気になれない・・困っている
おにぎりの具の最高峰といえば 鮭 それも塩の塊の様な昔のしおびき
そもそも携帯食であるおにぎりは発酵食品ではなかろうか
アツアツのご飯に塩をまぶし 握って圧力をかける ご飯のタンパク質の一部が分解され
旨味成分であるアミノ酸に変換する(と 勝手に思っている)
鮭も同様に塩味が丸くなって旨味が増す(そう感じるのは僕だけではあるまい)
ゆえに 握りたてを食べるなんてもってのほか 朝握ったら 少なくとも昼までは待つ
海苔もしんなりして具合がいい パリパリなんてありえない(笑)
茶碗の飯では味わえない もう一味の醍醐味

ツナマヨでは その醍醐味が感じられないのです

僕は料理人ではないのですが 食に携わる者として なんか気になる
もしかしたら ツナマヨがうける理由を探っていけば 現代の諸相の一端でも垣間見れるのでは
そんなアホみたいな事を真剣に考えております(笑)

もっとも 鮭おにぎりだって 出てきた当初はきわもの扱いだったかもしれません
おんなじ事か?
まぁ しょうがない昭和のおっさんだから・・(笑)
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良くも 悪くも

2017-12-14 19:26:05 | 畑の事
一段と冷え込んだ空気は 無数の槍で攻め立てられるよう
思わず逃げ出したくなるのですが
うちの畑は強者ぞろい 槍をはじき返して意気盛んです

その筆頭 大根が

ほど良いサイズになってきました 
両足を踏ん張り 両手で持って 折らないように垂直に引き抜きます
誰も信じてくれないのですが 見事に抜けると音がします
スポッ か ズポッ か ゾポ か そんな音
僕の技量がまだまだ及ばないのか 多分もう数千本抜いてますが 聞いたのは数回
しかし 本当に聞いたのです 疲労でおかしくなったのではありません 信じて下さい(笑)

旬を迎えたホウレン草
これは堆肥を鋤きこんで十分な養生期間をとらず あせって播いたもの

ろくすっぽ発芽しませんでいした

これは長雨で 多分酸欠になったもの

まともな発芽とは言えません

これらは年末のかき入れ時を狙って播いたもの
ヤバイ・・どうしよう・・何とかしなきゃ・・
で これがハウスに播いたもの

そうそう こうでなくちゃ
が 年末に間に合うかは う~ん・・心もとない

いずれも 種まきする時の土のコンディション問題
当時は行けるだろう と播いたわけですが やはり程度というものがありまして
無理な時は無理なのです その見極めが重要なのですが まだまだ一人前の域には届いていません
完全に無理であれば まったく発芽しません この様にまばらな発芽は微妙だったという事
まことに 難しい
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昭和のオッサンだから・・

2017-12-07 17:16:55 | 日々の事
山の向こうに姿を隠すには まだ間があるにもかかわらず
3時を過ぎたあたりから お天道様が黄昏始める
同時に頬を撫でる風も 谷川の水の様に僕の身をすくませる

冬が来たなぁ~

そんな この頃ですが
いそがしい
去年の今頃は あちこち気まぐれな猫のようにブラブラできたのですが
以前の半分にも満たないとはいえ 少しずつ畑を増やし 野菜も気まぐれに収穫するのでは
追いつかなくなりました

まぁ そうは言っても フル稼働とまではいかず 多少の余裕があります
その分 丁寧に畑をみれて これまで見落としていた事に気ずいたり
日射の影響
気温の影響
そして土の影響

作物は気候の賜物だ

今では 品種改良 資材の発達 で同じ野菜を南でも北でも作れます
分かり易い例を上げれば 野菜工場 場所も時間も関係なく世界中どこでも再生産が可能です
弥生時代の人が見たら卒倒してしまうかもしれません(笑)

これらは生産者 消費者に少なからぬ恩恵を与えています
一方で ダイナミックな自然との関りを身体的なモノから観念的なモノにする傾向があるのではないか?
野菜が育つ理屈は お日様の下だろうが工場だろうが同じであろうから理解を深める一助になるだろう

ちょっと引っかかるのは 収穫の祭り という発想は生まれてくるのか?
収穫を感謝し 神様に供え 共に食べ 共に歌い 共に踊る
暑い 寒い 心地よい 収穫にいたるまでのストーリーを身体感覚はとても分かり易くする
だから皆の共有が進み 祭りが生まれる・・と勝手に推測

平成も終わろうという時代に こんな事を思うのは 古臭いと言われるかもしれない
が しかし 昭和のオッサンだものしょうがない(笑)
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