Kou Farm

畑の話と日々の雑談

繋がってバランス

2023-02-23 16:57:24 | 日々の事
マクロとミクロ と言って経済の話ではない
ものの見方 考え方 といったところ
最近 そのバランスが大事 だがなかなか上手くはできない と感じてます
ざっくり言うと より大きな時間軸と空間で考察するのをマクロ 小さいものをミクロ

例えばミクロだと 日常の事 仕事であったり対人関係であったり
気が付いたのは 感情に流されやすいという事 怒ったり不安になったり 喜んだり感動したり
良くも悪くも アップダウンが激しい

対してマクロは 過去であったり未来であったり 或いは社会的な背景を基に人やモノを見る
目の前の事ではないので冷静に考察できる
しかし ただの思考なので それだけでは妄想になりかねない(笑)

やはり日常(ミクロ)と繋がってこそのマクロ
そうしますと活動できる事 日常がある事は辛い事が多くても
僕にとっては 無くてはならないもの なんですね
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薩摩芋

2023-02-16 17:09:27 | 畑の事
昨年秋 収穫した薩摩芋
掘り上げの時点で2/3が痛みが入りダメ
残り1/3の中から厳選して12月頭に保存
保存は地面に深さ1mの穴を掘って・・力尽きて70cmになる
籾殻と共に埋める
一番上は雨水が入らないようビニールで蓋をして


そして 今月 満を持して掘り上げた

しかし

やはり傷みがでてます

無事だったのは 結局2本だけ 凄まじい歩留まりの悪さ(笑)
ともかく アルミで包み ストーブに載せてじっくり焼いてみた

画像はちと汚いが 味は・・甘い 美味い
保存前にも食べてみたが 糖度は間違いなく上がってる
薩摩芋は一定の温度帯で保存すれば 酵素の働きで糖度が上がる
それで大汗かいて穴掘って埋めた訳です

今回のテスト作で
畑は肥えていてはいけない
微生物や虫が活動しないよう 土中有機物は十分分解させなければならない
歩留まりを上げるには キュアリング処理が必要
という事がわかりました
そして どう活用するか・・う~ん・・それが問題だ
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あとがき

2023-02-09 17:19:06 | 自然
日帰りの 小さな旅でしたが 受けた印象の強さに驚く
まだ その余熱が残っている

震災から間もなく12年 帰路 愛郷とは何なのだろう そんな事が頭にちらついた
生活をベースに 人間関係を尊重し愛する事
と書くと 何だか分からない
すでに生活も人間関係も無くなっていたとしても 生まれ育った場所に戻れば
何がしかの感情が生まれる
又 偏狭になれば排他的に 失えば寂しさが

かの地では あの時以来 予想もしていなかった無数の物語が生まれ 今も続いてる
それを思うと 愛郷 を言葉で説明する事の難しさを知るばかりです

そう言えば 子供達の進学率が上がったそうです
震災以前は 原発や関連企業 それに依存する仕事などに 高校を卒業すれば就職するのが
一般的だったそうです
理由はよく分からなくて 避難して環境が変わり刺激を受けたのか
それとも自立心が強まったのか
教育長は 悪い事ばかりじゃない 子供達の可能性が広がった事は嬉しい とおっしゃっていたそう 

これからの双葉郡が どう変わっていくのか・・僕には分かりませんが
ふと 森の話を思い出しました
森では自然発火で山火事がおきる 燃え尽きて木々は灰になる 
それまで届かなかった太陽の光が一面を照らし 新たな生命 芽が顔を出す
やがて新しい緑が灰を養分に成長し 新たな森をつくる
古い森は 目に見えるモノとしては消え失せてしまったが
新たな森と共に生きている


以上で今回の小さな旅の話はおしまいです
結局 浪江焼きそば は食いぞこねてしまった
いつの日か もう一度行って食べるしかあるまい・・もちろん大盛で


尚 伝承館 請戸小学校 での撮影は制限がありますので 事前に許可を得て
行ないました


こんな記事を書いてたら トルコでの大地震
犠牲になられた方々のご冥福をお祈りすると共に
一日も早い復興を願います
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陸前浜街道そして伝承館へ 4

2023-02-02 15:02:16 | 日々の事
伝承館からは車で5分程 隣町の浪江町に震災遺構に指定された
請戸小学校があります
一階は当時のまま 吹きっ晒しの寒さが あの時も寒かったんだろうなぁ と思わず見入る



海から300m 児童 教職員 合わせて95人が ここで地震に見舞われました
1.5km離れた大平山へ向かう 山の麓で4年生の男の子が近道を先生に伝え
間一髪 全員無事避難 津波は麓まで押し寄せた
震災後 奇跡としてメディアに取り上げられましたが
小さな学校で 給食は全学年一緒 普段から縦横の関係が醸成されていて 先生達も情報の共有で
担当外の子供達も良く知っていた
なので 小雪舞い 余震が続き 泣き出す子もいるなか 上級生が誰に言われるでもなく自然に下級生
の面倒を見て 先生も子供を信頼し助言を受け入れ近道をとった
そんなベースがまずあった そうです

そして 床上まで浸水した2階に上がると そこは綺麗に改修されて
展示スペースになっています
もっとも 展示物は半分も見れませんでしたが
そこにいらっしゃったスタッフの方と閉館まで30~40分話し込んでしまったのです
彼女は僕と同世代でしょうか 震災直後から避難のため各地を点々とし
最終的に隣県に落ち着き そこで8年過ごしたそうです
旦那さんは仕事で地元に残り 小学生のお子さん二人と三人暮らし
当時は 避難民である事 父親が家にいない事 それで子供達が引け目を感じないよう
一人二役 父親の分まで懸命に頑張ったそうです
それでも週末しか父親に合えず 寂しそうな子供の姿は切なかったと
やがて 子供達は進学で親元を離れ 彼女は地元に戻り ここで僕と話をしてるのですが 
地元に戻るのは複雑な心境だった 子供達は新たな生活で友達もでき その地に愛着もある
今更戻るのは親のエゴになってしまうのではないか・・
僕は 聞くばかりで一言もない 思うに これが福島県双葉郡の特殊なところで
帰りたくとも 復興したくとも 立ち入りが許されない その間時間は流れ それぞれの事情は変わっていく
そこにあるのは やるせなさだったのか 怒りだったのか 不安だったのか 僕の想像力では及ばない
そう言えば 仮住まいしてる間 今もそうかもしれませんが 年賀状を書けなくなった 子供達の為に
クリスマスパーティーをしても心底からは楽しめなかった
そんな言葉が印象に残ります
最後に また失礼な事ですが 話して思い出す事は辛くないですか と尋ねました
あの時の事は 忘れるも何も 今も鮮明に覚えてる 辛いよりも話したい 伝えたい との事

突然に 日常を生活を失うとは どうゆう事か分かりますか

そんな問いかけ 或いは忠告を 我が身を犠牲にして言われてるような気がして
何とも言いようのない想いに駆られました

閉館を告げる放送が流れ 話を聞かせて頂いた事を謝し 表に出た
外はもう夕暮れ時

建設中の復興祈念公園からくる建設車両 その道を今度は来た時とは逆に南へ向かう
浪江町は 震災前2万1千人の住民がゼロになり 今は2千人
帰還を果たした人 新規で移住した人もいるが 大半は役所の人だという
ゼロになるとはこういう事なのか・・
薄暮から闇に変わり 暫く走ってやっと街の灯りが見えてくる
正直ホッとっした
人の気配 生活の灯りに こんなにも安堵を覚えるとは

ふと 伝承館の駐車場で見た 若い親子連れを思い出した
今は遠くにいても この地に縁有る人達なのでは・・
我が子に故郷を伝えるため 決してこの地を忘れてはいない 
やがては この地の灯りとなるために

おわり

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