Kou Farm

畑の話と日々の雑談

折り合い

2022-10-27 19:23:12 | 日々の事
折り合いをつける
それで苦しむ

こっちを立てれば あっちが立たない

相手に合わせれば 自分が苦しむ

とかく対人関係でありがちな事
苦しみながらも 最終的には自分と折り合いをつける事になる
最初は対外的な事であったのが 自分と向き合う事に追い込まれ 対内的な問題に

思いますに 自分と向き合うというのは苦しくもあり
ゆらゆら揺れて なかなか明確な答えは導き難い
後になれば その答えは変わったりもする

白か黒か はっきりさせれば気は楽になる
が・・しかし物事は グラデーションだったり 斑模様であったりする 
そこに留まるのは骨が折れるが・・

時には必要なのかもしれない
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猪 その後

2022-10-20 18:20:10 | 畑の事
猪 その後ですが
あちこち掘り起こすというのは ほぼ無くなりましたが
新しい足跡が更新されてる
なので 使ってない農業用パイプで塞いでみた

が・・翌日 新しい足跡が

全面囲ってるわけじゃないので・・
言ってみれば 道の片方にだけバリケードを置いた様なもの
そりゃ入るわな(笑)

よく足跡を見てると どうも親子ずれでは と思われる
ウリ坊と思われる小さな足跡が 意外と活発にウロウロしてる
市役所で再度問い合わせてみると すでに猟友会に依頼
罠を仕掛けたとの事
来てほしい所には来ず ほしくない所には頻繁に来訪
野生というものは 侮れません


役所の担当者に市全体の出没例を聞いてみると やはり山から随分下ってきてる様子
一昔 二昔前の人里の構造は 低地の川周辺に田んぼが広がり
少し高い台地に畑や集落が 深山との境界付近は薪炭用の森が広がる
よく日本の原風景と言われるのが この構造
燃料の薪や肥料用の落葉を拾うため 森はうっそうとした原生林ではなく
手入れがされて 獣が身を隠すような場所ではなかった

薪は明かりであり 暖をとったり煮炊きをする大事な燃料でしたが
電気やガスに換わり置き捨てられれば 当然獣の隠れ家となる原生林に戻っていく
更に耕作放棄地が増えれば活動範囲は広がる
今の僕達の生活を続ける以上 獣の進出は当然なのかもしれない

そして 今回の様に駆除をお願いする訳ですが
捕まれば殺されるのです 有難く食料として利用されるのは一部の例
ただ殺される事を思うと 依頼人ながら心の痛みが無い訳ではない
う~ん・・

しかし 地方に見られる過疎化が進むと ハンターも減っていく
逆に人間が 防獣用の電気柵に囲われて暮らす様になるかもしれない
そんな事はないと思いますが(笑)
どうも 何かが気になる そんな問題です
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野生 その二

2022-10-13 21:03:06 | 畑の事
9月に堆肥を撒いた畑 暫く寝かせて
先日 久しぶりに行ってみた
言葉を失う・・
一面獣の足跡だらけ

掘り起こした跡も点々と

明かに犬や猫とは違う まさに猪の特徴そのもの
どこからきたのか ご近所さんの畑にも それらしい足跡

近くの森から出てきた事が推測される
特に僕の畑が酷いのは 堆肥にいたミミズが畑に入り それを狙ってきたのでは?
どうしたものか?
すぐに市役所に報告 捕獲をお願いした
が いつ猟師さんが来るか分からない できる事は・・と考える
なにせ四方が藪 臆病な猪には絶好の場所

周りの草を仮払い機で刈る 毎日行って人の痕跡を残す
ついには 自分も獣になってテリトリーを示すため○便をかける(笑)

幸い作物はまだ無かったので実被害はなかったが これから播くカブやホウレン草
に害があったらと思うと・・
思わず 猪さん ど~か来ないでください と森に向かって手を合わせてしまった

その日仰ぎ見た森は なにやらいつもと違って
野生の恐ろしさを感じずにはいられなかった

高齢化に伴い 管理ができなくなった畑や田んぼが急速に増え
これまで出た事の無かった所にも猪が
全国でも同じ様な所が沢山あるだろう
目の当たりにすると なんとまあ複雑な心境です
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闘魂

2022-10-06 16:28:19 | 日々の事
アントニオ猪木さんが 先日お亡くなりになりました
元政治家 元プロレスラー 元実業家・・
色々ありますが やはり肩書もアントニオ猪木ではないでしょうか

小学校高学年から中学生の多感な頃
タイガージェットシンに凶器でめった打ちにされながらも 耐えに耐え
怒りのナックルパートで逆襲する猪木の姿に口角泡を飛ばし しびれていました
単純だった僕は それで困難に立ち向かう精神を学んだのです(笑)

思えば 昭和のあの頃はメディアもテレビにラジオ 各種紙媒体ぐらいなもので
世の中には まだファンタジーが沢山あったように思います
今ではメディアも多種多様 様々な角度から情報に接する事ができ
昭和の頃の様なファンタジーは膨らんでも すぐに萎んでしまうような気がします
若干寂しい気もしますが 情報が増える事で より事実に近ずく事が可能になったとも言える 
それはまた 溢れる情報を自らが取捨選択しなければならない 人任せにできないという事

今日を生きるのに精いっぱいな僕の様な庶民には 難しくもあるのですが
どうゆう情報をとるのかは その時の自分の知識と心持ち次第
それは修行の日々といえるかも

まぁ なかなか楽な事ではありませんが・・闘魂をもってガンバロウ

猪木さんのご冥福を お祈りいたします
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