『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

ガラクタを整理すると、魂がきれいになる

2005-06-19 22:12:30 | 経験
ガラクタを整理することによって、魂がきれいになるそうです。(*^_^*)
ガラクタを整理することによって、私たちが元々持ってうまれた人生の目的が、再び見えるようになり、自分が、今後なにをすべきなのか、明確に見えてくるそうです。

『ガラクタ捨てれば、自分が見える(風水整理術入門)』
カレン・キングストン著(小学館文庫)

【237】神さまと、私たちは対等

2005-06-18 22:32:24 | 「白光」の教え
神さまが上で、私たちがその僕(しもべ)だということではないのです。

神々さまは、地球を平和にするために、私たちの肉体が必要なのです。神々は、私たちの肉体を使ってしか、「肉体界の人類」を平和にすることが出来ないのです。

神々は、「世界平和の祈り」を実践している人たちを通して、「世界平和」を実現させようとしているのです。私たちは、そのための器なのです。

人間の頭(理性)で考えて、「世界が平和になる」のではないのです。
中国の正義と、日本の正義が、同じであるはずがないのです。
立場が違えば、考え方も正義も違うのです。

けれどもお互いが、「世界平和の祈り」をすれば、どちらも天地を貫いて生きていける、「大きな人間」になれるのです。

ですから、「世界レベルの会議」の前には、全参加者がまず、「世界平和の祈り」をしてから、話し合いを、始めるべきなのです。

【五井先生講演会集第九巻『我が人生』】

『アート・マンダラを、描いてみませんか?』(IN 松原市)

2005-06-17 21:50:08 | 講演会のお知らせ
「アート・マンダラの描き方」のワークショップを、することになりました。(*^_^*)
当日は、私も会場にいますので、気楽に、遊びに来てください。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
7月18日(月)祝日【13時~15時】(市民サロン)
近鉄・河内松原駅前 「ゆめニティー・プラザ」3階
   参加費・無料(入退場は、自由です。)
【ご希望の方には、印の伝授(無料)もします。】

オーラソーマのお店が、オープンしました(*^_^*)

2005-06-17 21:46:47 | 講演会のお知らせ
以前に、このブログでご紹介したオーラソーマのヒーラーさんが、
心斎橋にお店をオープンされましたので、お知らせします。
『indiansummer』というお店です。
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住所は、〒542-0083
中央区東心斎橋1―14―21川村ビル4階―B
電話06―6283―5238
【心斎橋の大丸と南館の間の道を、
東方向に行った南小学校の近くです。】

オーラソーマ 30分 4000円 
       60分 7000円 (要予約)です。
【不定休なので連絡をください】とのことです。
喫茶メニューもあるようです。

その他には、『第3回ヒーリングセミナー』が催されます。
6月28日(火)13時~17時
内容:クリスタルヒーリング、ポマンダー
    クイント、誘導瞑想、過去世回帰
    料金・2万円

スミヨ小春日和

【236】自然に、良い事をしましょうよ。(*^_^*)

2005-06-17 21:06:34 | 「白光」の教え
あまりに、「この道一筋」になってはいけないのです。かたくなな信仰心は、ダメなのです。
そのような信仰心では、かえって「平和」でなくなってしまいます。(^^;ゞ

他人を圧迫するような「世界平和」は、「業」であり、ダメなのです。
人に押し付けるような信仰では、ダメなのです。
ゴルフをやってもいいのです。何をやっていても、心の芯が、「世界平和の祈り」のなかに入っていれば、どこにいても、「光そのもの」なのです。

「いのち」が自由になっていないと、「神のみ心(大調和)」ではありません。
やわらかく、あたたかく、ふんわりと、大きく拡がった人間にならないとダメです。(*^_^*)

「自然に良い事が出来る」のが、「悟り」なのです。
「人に良く思われよう」と思ってする「善行」では、ダメなのです。
「自然に良い事が、出来ているとき」には、「神のみ心(大調和)」のなかに入っているのです。

田舎の方にいくと、自然に良い事が出来ているおじいちゃんや、おばあちゃんがいるでしょ。
そういう人になりましようよ。(*^_^*)

【五井先生講演会集第八巻『平和を創る原理』】

【235】私がプロデュースした『神の計画』の配役が、家内(^^;ゞ

2005-06-16 22:41:03 | 「白光」の教え
家内は、「業の深い人」だと思っていました。でも、そのような先入観は、私のものでした。(^^;ゞ

家内のことを、「素直でなくて、救われない人」だと私が思っていたのは、間違いなのでした。私の思い違いだったのです。(^^;ゞ

私と家内は、生まれる前に、この世での役割について、約束をしていたそうです。(^_^;)
家内が、「業の深い役」をやり、私に学ばせるという約束だったそうです。(^^;ゞ

しかもその約束は、「約束」と分かると真実味がないので、お互いが思い出せないように、封印されていたそうです。これが『神の計画』の考え方です。
『神の計画』といっても、相手と相談して、自分で立案したものなのです。(*^_^*)

『神の計画』の、もう一つの考え方は、「人間は、カルマを解消するためのに、この世にやって来た」というものです。「約束」ではなくて実際に(笑)、家内の「業」が深すぎる場合は、今世だけでは消すことが出来ず、来世にまた、生まれ直さなければならないかも知れないのです。でも、それはそれで、「彼女の問題」なのです。

今世において過度に、私が彼女の人生に立ち入る必要はなかったのです。彼女の問題は、彼女の問題ですし、彼女も「永遠の生命」を生きている一人なのですから、家内のことは、家内に任せれば良かったのです。あせる必要も、私が心配する必要もなかったのです。(^^;ゞ

私の立場からすれば、家内は、私の人生にテーマを与えてくれている「魂の恩人」なのです。そして、職場の、気の強いおばちゃんも、私に「学び」と「気付き」をもたらしてくれる「恩人」なのでした。(^^;ゞ

私の人生でのこのような配役が、「自分がプロデュースした『神の計画』だった」と、やっと気付きましたが、また、忘れるかも知れません。(^^;ゞ


【234】「自分の体は、誰のものなのか?」と『世界平和』

2005-06-15 21:58:52 | 「白光」の教え
私を生んだのは母ですが、母が意図して、私の顔や体や性格をデザインしたのではありません。ですから、「私の体」は、母の創作物ではないですし、母の所有物でもありません。

一方、私が金銭を払って、この体を手に入れたのではないですから、「私の体は、私のものだ」と言うことも出来ません。それなら、「私の体」の過去の記憶が、なんで「私のもの」でありましょうか?

本当に、「自分の体が、自分のものであるのかどうか?」はわからないのです。(*^_^*)

ですが、この「私の体」を動かしている生命エネルギーのことを考えると、不思議な気持ちになります。実をいうと、人間とは、この「生命エネルギー(生命そのもの)」のことなのです。

私たちの霊体は本来、「神界」に住んでいるのですが、「肉体」という波動をまとっていますので、肉体への把われから、個人的な感情が生じるのです。

個人が、その肉体にまつわる感情を、自分のものだと思い、それに把われていては、「世界の平和」は訪れないのです。

個人や国家が、把われあい、争いあっていて、どうして「世界」が平和になりましょうか。
「国家」のために、人を殺すなど、とんでもないことです。

国も個人も、だれも「平和の心」を出していないことが、「業」なのです。
ですから、すべての人間が「平和の心」を出せば、「業」が消えて、
『世界平和』が訪れるのです。

「自分の体は、自分の所有物ではない」ことを、万人が理解すれば、
『世界平和』が訪れるのです。

【五井先生講演会集第八巻『平和を創る原理』】

【233】「世界平和の祈り」は、日本の天命(*^_^*)

2005-06-14 22:16:42 | 「白光」の教え
日本は、調和性に秀でた優れた民族なのです。
創造性よりも、調和性に、特色があるのです。
日本は、「和をもって、尊としとなせ」の国であり、
「大いなる和」(大和)の国なのです。

そういう日本が戦争をして、原爆を落とされ、沢山の人が亡くなったことには、理由があるのです。

日本は、原爆を経験することにより、平和を訴えられる唯一の、もっとも有力な国になったのです。ですから、「世界平和の祈り」は、「日本の天命」なのです。

「世界平和の祈り」は、日本の「調和の精神」と合致するのです。

戦後の復興をとげ(これは、昭和48年頃の講演です)、いまやっと、人類の立場にたって「世界の平和」が祈れる意識に、日本人がなったのです。

江戸時代の日本人は、狭い世界で生まれ、死んでいたので、「世界の平和」について考えることはなかったのです。しかし、今では、世界のありようが、私たちの生活に結びついています。こうなってはじめて、人類が「世界全体の平和」を意識する時代になれたのです。

日本は、原爆によって、それまでの戦勝国というカルマが消えたのですから、これからは、「世界平和の祈り」で、「報復のカルマを切るという天命」が与えらたのです。
そういう使命が日本にはあるのです。

「神のみ心(大調和)」から離れた想いが、業想念を生むのです。そして、その業想念が、「戦争」を生むのです。肉体人間は、習慣の想い(業想念)で生きていますが、それだけではいけないのです。

「み心のままに、なさしめ給えよ」と、自分自身(業想念)を捨てることによって、自分も救われ、人類も救われるのです。

【五井先生講演会集第六巻『消えてゆく姿と、世界平和の祈り』】
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★先日のNHKスペシャルで、広島で催された「第一回 平和際」の『平和宣言』の中に、下記のような箇所があることを知りました。

『戦争の惨苦を、最も深く体験した者のみが、もっとも熱烈に、平和を希求する。…』


【232】「世界の平和」と個人の関係(*^_^*)

2005-06-13 22:14:09 | 「白光」の教え
戦争というのは、「神さまの眼」からみれば、兄弟が刃物を持ってケンカしているような状況なのです。「親の立場」になって、考えてご覧なさい。たまらなく悲しいことだと思いませんか?

「個人の人間」というのは、あさはかなもので、軍歌を聞けば「勇ましい気持ち」になり、
反面では、「自分や、自分の身内だけは、無事であり、守られていたい」と思っているものなのです。

この「勇ましい気持ち」と、「自分だけは、という気持ち」は、「人間は、肉体世界だけで、生きている」と思っているところから、生じるのです。

この「人間は、肉体世界だけで生きていて、自分のいのちも、自分の肉体も、自分のものだ」と思う気持ちが、今日の人類の危機(戦争や民族紛争や環境問題)をもたらしているのです。

「自分だけを、守りたい」という気持ちが、世界平和の邪魔をしているのです。(^^;ゞ

この問題を解決するためには、『どうして、人間は生まれてくるのか? なんのために生きているのか?』という問いの答えが必要ですし、それが得られないと、人類は滅亡してしまうのです。

その答えとは、「人間は、霊的な存在だ」ということなのです。そして、
人間のすべての想いは、「消えてゆくもの」であり、「神のみ心(大調和)」を現わすことが、そのまま「平和」を表わすことなのです。

そして、『どうして、人間は生まれてくるのか? なんのために生きているのか?』という問いへの答えがわかれば、個人は、「本当の生き方」ができるのです。

その「個人の本当の生き方」とは、「肉体(保身)に、把われない生き方」ということなのです。個人がこの真理に目覚めないと、「世界の平和」は訪れないのです。

【五井先生講演会集第三巻『無為の生き方』
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この講演テープをお借りしている福田泰昌さんの紹介記事がありましたので、
ご紹介します。

「宇宙家族」マスター【福田泰昌さん】

【231】『輝かしい未来を創造するためのセミナー』の要約

2005-06-12 06:13:08 | 「白光」の教え
『輝かしい未来を創造するためのセミナー』を要約しますと、
「私たちが、自分の未来を創造するための方法として、
3つの方法を提案させてください」ということです。

それが、「世界平和の祈り」と印と、マンダラです。

①「世界平和の祈り」という方法については、いままでにも何度となく書きました。

どんな時にも、どんなことがあっても、「世界平和の祈り」をして、
自分の意識を、「世界平和の祈り」に向けることにより、
「人生に起こってくる、あらゆる出来事に対する想い」を「消えてゆく姿」とし、
「一時の想い」に巻き込まれないで、把われなく生きようということです。

②「印」も、心を落ちつかせて、巻き込まれそうになっている「一時の想い」から、
自分の感情を離す方法です。私も「想い」に把われているときには、
3回ほどゆっくりと組みますと、心が落ちついて、今やるべきことに集中出来ます。

③「マンダラ」も、心を落ちつかせ、自分の中に良い思い(真理)を挿入する方法です。
写経のようなもので、書くことが好きな方には、適していると思います。
息を止めて描いていること自体が、瞑想ですので、爽快感がありますし、
光明の言葉が、自分のものになりますので、真に豊かになれると思います。

私が、初めて「ムゲンナルカンシャ」で『マンダラ』を描いたときは、
30分位掛かりましたが、その時に、ふっと10年程前に亡くなった父の気配のようなものを感じ、何事にも性急な私の性格に対して、「あまり、ガツガツしないで、のんびりとやりなさい」というイメージを感じました。その時のことは、いまでもはっきりと覚えています。

この3つの方法を、「白光真宏会」が提案しているのです。
特に「印」は、「21世紀を創造するために、人類に与えられたもの」でして、
「世界平和の祈り」を50年間されてこられた方々の力で、「肉体界の人間」
に降ろされたそうです。
最近になって、だれでもが組めるようになったのです。

【230】「我即神也の印」と「人類即神也の印」

2005-06-11 22:35:55 | 「白光」の教え
現在の「白光」で言われている「我即神也の印」は、「人間は本来、神の分霊(わけみたま)である」
という部分が強調されて、表わされたものだと思うのです。色々な宗教がありますが、
「あなたは神です」と主張しているのは、「白光」とOSHOぐらいだと思います。(^^;ゞ

先日、「アウト・オン・ア・リム」のビデオを見ていましたら、シャリーマクレーンが、
海辺で、両手を広げて、「アイ アム ゴッド」と言っている場面がありました。

書物の「アウト・オン・ア・リム」にそのような場面があったかのかどうか、
思い出せませんが、『私は、宇宙に存在する唯一の人間(意識)』という意味で、
「私は神である」と言ったのかも知れません。

けれども、「私は、神である」というのは、「私は、未来の創造者である」
という意味も含んでいると、私は思うのです。

リチャードさんが、『輝かしい未来を創造するためのセミナー』で講演されていることも、
まさにこのことでして、「我即神也の印」・「人類即神也の印」を組むことによって、
各人が、宇宙神のエネルギーを受け取ることが出来、各人の神性が顕現されるということなのです。

そして、「印を組むこと」によって、「自分の未来を、自分の力で、創造して行きましょう」
というお誘いを、「白光真宏会」はしているのです。

「私たちは、本来、神である」のですから、自分の未来を、自分の力で、作り出して行けるのです。

【229】ただ、意識だけがある(*^_^*)

2005-06-10 22:57:27 | 唯識
要するに、私たちが、確信を持ってはっきりと言えることは、『ただ、意識だけがある』ということだと思うのです。このことは、否定のしようがないと思うのです。

「体の中に、意識がある」のではなくて、「意識の中に、体(という身方)がある」というのも、この『ただ、意識だけがある』ということですし、「物質を信じてはいけない。物質を信じるのは唯物主義者です」という五井氏の言葉も、『ただ、意識だけがある』という考え方なのです。

そして、この考え方をすすめれば、「想いが、現実を創っている」という地平まで、たどり着けそうです。
(そのための方法のひとつが、「印」です。(^^;ゞ)

『ただ、意識だけがある』という考え方は、『人間は肉体的な存在ではなくて、霊的な存在である』(人間は、神の分霊である)ということに通じると思うのです。

今日各人が、そのいのちを輝かせ、天命を完とうさせることが出来ないでいるのは、
自分が『人間の本質は、肉体である』と思っているからだと思うのです。

世界が近代化する以前は、『人間の本質は、肉体である』と思い込んでいなかったと思うのです。
「近代の世界観」が、偏っていて異常なのだと思うのです。(^^;ゞ

「近代の物質主義な世界観」を持った人でも、墓参りに行ったり、慰霊碑に手を合わせたりするのですから、人類は、「人間は本来、霊的な存在である」ということを、智っているのだと思うのです。(*^_^*)

【228】汝自身を知れ

2005-06-09 22:50:21 | 「白光」の教え
普通の人たちが、「人間とは、何なのか?」を知らないで、「自分とは何か?」を知らないで、「人生を、生きて行く」ということは、本当は、恐ろしいことなのです。

何も気にも留めないで、「人生を、成り行きで、生きている人」が、ほとんどなのですから、驚かされます。

人間は、直霊(守護霊)からの分霊(わけみたま)であり、霊体と幽体と肉体の混合体なのです。
ですから、その人の「天命が完とうされますように」とは、
その人の直霊(守護霊)を輝かす生き方が、出来ますようにということなのです。

誰も、天の役目なしに生まれてくる人はいないのです。
一人の子供を産むのも役目ですし、生まれてすぐに死んだ赤子にも、天の役目があるのです。

「自分とは、何か?」を知ることが、大切なのです。『汝自身を知れ』なのです。(*^_^*)
自分という人間の本質は、「霊体」なのです。それを知ることが、一番大事なことなのです。

『人間は、本来、神の分魂であって、業生ではなく、つねに守護霊、守護神によって守られているものである』なのです。これがわかれば、すべての問題は、解決するのです。

【五井先生講演会集第一巻『想いを一つに』】

★ 【五井先生講演会集】は、【特選五井先生ご法話】に比べると、より初めての方々へのお話のような感じがします。

その当時の政治情勢なども、語られており、「世界平和の祈り」がなぜ、「真の世界平和」にとって必要なのかが、分かり易く語られています。
。。。。。。。。。。。。。。。。

★ この『人間は、霊的な存在』だという考え方を、常に頭の中心に置いておかないと、
 物質や金銭に把われて、心が右往左往してしまうことになりかねません。

それで、一日の最初には、
『人間は本来、神の分霊(わけみたま)であって、業生(ごうしょう)ではなく、…』
という語句を唱えて意識するようにしています。(^^;ゞ

要するに「物質を信じては、いけない」のですね。(*^_^*)
でも気付くと、無意識に、物質を信じてしまっています。(^^;ゞ

物質は、私の想いの影だということを忘れてしまって、物質に把われ、
振り回されている自分を発見する毎日です。(^^;ゞ


【227】まずは、やってみることが、肝心なのです。(*^_^*)

2005-06-08 22:13:40 | 思索
リチャードさんが紹介している「世界平和の祈り」と「印」を、私は毎日実践していて、その効果は確かにあるのです。(^^;ゞ
「白光」の会員にならなくても、だれでも出来る方法として、無料で公開されているのです。

私は、朝に「統一テープ」を聞き、「世界平和の祈り」をします。
そして、日中のちっとした時間や、気分転換したい時には、「人類即神也の印」を2回ほど続けて組みます。そうしますと、自分のなかの「ああだ。こうだ」という考えが消えて、「すべては、必ずよくなる。なるようになる。」という落ちついた気持ちになれます。

まず、やってみることが、肝心だと思うのです。(*^_^*)
効果がなかったら、やめれば良いだけですから。(^^;ゞ

最近は、9年ほど前の講話テープを聴いています。そのころは、決まった課題を達成した人しか「印(いん)」が組めなかったり、宣言文とセットでしか「印」が組めなかったりして、いろいろな制約が多かったようです。そのころに入会していたら、こらえ性のない私は、長続きしなかったかも知れません。(^^;ゞ

なんの制約もなく、自由に印を組める時期に入会できて、本当に幸せです。(*^_^*)
私の守護霊さんが、すべてを整えて、時期をみて「白光」につなげてくれた気がします。(^^;ゞ

【226】人間は、病気で死ぬのではない(*^_^*)

2005-06-07 21:52:42 | 「白光」の教え
高橋英雄さんの『寿命』という詩があります。

。。。。『寿命』。。。。。。。。。。。。。。
人間は、病気で死ぬのではない
事故で、死ぬのでもない
過労で、死ぬのでもない
寿命が来て
魂が、天にかえるのである

だから
病気を、恐れることはない
事故を、こわがることはない
過労過労と、不安がることはない

自分の肉体の働きと
肉体のあらゆる部分に感謝し
自分を生かしてくれているいのちに合掌し
我が天命を完とうせしめ給えと祈りつつ
与えてくれたいのちを
その場その時精一杯生きることだ

人間は、病気で死ぬのではない
寿命が来て
この世の使命が終わって
この世を去ってゆくのである
。。。。。。。。。

★ この詩のはじめのフレーズは、意味深長です。(^^;ゞ

『人間は、病気で死ぬのではない
事故で、死ぬのでもない
過労で、死ぬのでもない
寿命が来て
魂が、天にかえるのである』

人生を裏から(私たちを、生かしている「神の立場」)、から見れば、このように言えるかも知れません。(^^;ゞ

私たちは、ただ、生かされているだけの存在なのですね。
やはり、「ああだ。こうだ。」と考えるのが、余計なことのようです。(^^;ゞ

先日、漫画家志望の女性が、「夢」について語っていました。
『ほんとうにやりたいことならば、悩んでいるヒマはないはずです。
少しでも、良いのもをと思って、漫画を書き続けるだけですから…』

『悩むのなら、やめた方が、良い』そうです。
悩むことは、「余計なこと」なのですね。(^^;ゞ

だって、神によって生かされている「私の生命」なのであり、
その生死と寿命は、宇宙神(万物を動かしている力)のみぞ知るのですから、
肉体の私には、何もすることができないのです。(^^;ゞ

私の新年の指針は、
『神はすべてのすべて、肉体の我は、何事もなしえず』でしたものね。(*^_^*)