『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【2573】『過去の自分か? 神の自分か?』

2010-06-30 06:03:52 | 思索
『ですから次のステップです。「私が語る言葉は、神そのものの言葉であり、
私が発する想念は、神そのものの想念であり、私の表す行為は、神そのものの行為である」。

皆様方が、これから話す言葉は、過去ではなく今です。過去、皆様方はいろいろな言葉を吐いてきました。
私も含めて吐いてきました。

しかし、過去に吐いてきた言葉は浄まっています。
なぜなら、私たちは神事をし尽くしてきたからです。  自分の言葉を浄めてきたからです。
さらに、人類の否定的な言葉を光に変容してきたのです。

さあ、これから皆様方は、リーダーのリーダーのリーダーとして、いよいよ本格的な神そのものに入ってきます。

我即神也の私が語るのです。過去の私、執念深い私、嫉妬深い私、
競争意識の激しい私、負けず嫌いな私、エゴイストの私が語るのではない。

エゴがあると、自分が自分が自分が自分が自分が、・・・・・・と、自分がどれだけと尊いかを示めそうとします。

しかし、よい経歴の私が語るのではない。
凄い力のある私、自分は立派な人間だという私、お金持ちに生まれた私が語るのではない。
あなたと私は、こんなに違うのだという私が語るのではない。

神の私が語るのです。 愛深い私、すべてを赦せる私、光輝く私が語るのです。
その私が語った言葉こそが、未来を創ります。

そして、チャクラを通して、べールに透かし出されるように自分の未来を見ることが出来るようになるのです。
これは、実際にやっているうちにわかってきます。 そこまで、皆様方は来たのです。

自分を褒めてください。本当に褒めなくてはいけません。
自分を愛せない人は、人をも愛せないのです。

自分に誇りを持つということは、・・・・・・自分はよい経歴を持っているのだ、
自分は難しい試験に受かったのだ、自分は立派なのだ。

自分は他より優れているのだという自分でないのです。それは過去の自分です。
競争意識の激しいエゴイスティックな自分です。

ブランドの洋服を着て、「なんて美しいでしょう」と思っている私も、それは神の自分ではない。 過去の自分です。

そのブランドの洋服を着ることによって、「あなたより、私は勝っているのよ」と思うエゴに気持ちです。
もう、それは皆様にはないのです。

でも、ふっと過去を引っ張てたぐり寄せると、あの洋服、あのハンドバック、あの家、
あの資格というものが思い出され、それらを思い出して語る時には、そこに皆様自身の力が入ってしまう。

自分の想いが過去に力を与え、そのため自分はまた嫉妬深くなって、人を責めるのです。
人の欠点を突くのです。そして、自分のエゴが喜ぶ。  これだと、過去に戻っていくのです。

いいですか? ここが難しいところですが、皆様にとっては難しくない、何でもないはずです。
まずは、何かを語る前に、「我即神也の私」と、一瞬、意識すればいいのです。
これには、0コンマ何秒もかかりません。

意識があれば出来ます。でも、無意識なら忘れてしまいます。ですから、呼吸法が大事なのです。
呼吸法でふっと、「私は神の言葉を語る」と思えば、神の語る言葉が、無意識に出てくるのです。
そこには、愛の言葉しかない。光の言葉しかない。相手を励ます言葉しかない。

相手の存在を褒め讃える言葉しかない。調和の言葉、喜びの言葉、健康の言葉しかない。 それしかないでしょう。

過去のものは掴まない。過去に力を与えない。

人類はなぜ不幸なのか。

それは、人類が過去に力を与えているからです。
過去の出来事に力を与えているからです。
過去の否定的な想念に力を与えているからです。

それらに、想いのエネルギーを与えてしまっている。
ですから、私たちは、その人類を代表して浄めたのです。 我々は、浄めたのです。

そのためのご神事を、人類を代表してすべてやってきたのです。』(p12)
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■この法話を読ませていただいて、「なるほど、そういうことだったのか!」と強く思いました。(^^;ゞ

【2572】『過去には、何の力もない』(白光誌6月号)

2010-06-29 04:46:14 | 思索
【2571】は、以下のように続きます。
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『チャクラというものは、素晴らしいのです。
皆様は、それをこれから経験していくのです。現実として受け取るのです。本当に受け取りますよ。

「自分が語る言葉は、神の言葉」でしょう。

これからの皆様は、神が語る。 

相対した人から否定的な言葉をかけられても、自分が批判されても、自分が憎まれても、
何をされても、相手が神であるならば、神の私は、相手に神としての答えを返す。

相手のいいところを見てあげる。

「赦してあげよう」「なぜ、そういう言葉を語りかけるのかな」と思ってみるのです。

「なぜだろう。ああ、彼らは苦しいのだ。 悲しいのだ。 だから対立したいのだ。 自我が強いのだ」

そのように思って、赦す自分がいるのです。それが、神の私です。

過去の私が語るのではありません。 苦しい、悲しい、病気になるのではないか、
リストラになるのではないか、と思う私が語るのではないのです。

過去の自分が語ると、悪い言葉が出てきます。 非難も出てきます。

自分は馬鹿だとか、能力がないとか、偉い人の前では、卑屈な言葉しか語れない。
そうではないのです。

★大切なことを、お話します。

皆様方はまだ、過去を掴んでいます。 私も掴んでいる。

過去というのものは、なかなか忘れられないのです。

過去の苦しいこと、悲しいこと、辛いこと、悔しいこと、恨みの言葉。
皆、いろいろな過去を掴んでいます。

しかし、過去の出来事が、今の向かって飛び込んでくることはないのです。

過去の出来事というのは、もう過ぎ去ったことなのです。

悔しかったこと、苦しかったこと、虐められたこと、失敗したこと、悲しかったこと。

その過去の出来事は、今生きているこの自分の中に、飛び込んできて、

自分の人生をストップさせることはないのです。

過去には、何の力もないのです。ここが大事です。

過去のあらゆる苦しみ、悲しみ、傷み、悩み。
それらは物であれ、想念であれ、出来事であれ、何の力もないのです。

それを思い出す自分が、その過去の物や想念や出来事に力を与えてしまって、

それを自分で取り込んで、その取り込んだ過去の想念を思い返して、
自分を不幸にしているのです。

だから、五井先生は「消えてゆく姿を説かれたのです。

「消えてゆく姿」とは、そのことなのです。

過去のあらゆる出来事に、自分の思いが行かなかったら、そこになんの力も、禍(わざわい)もない。

過去には、今の自分の現実や、自分の未来にストップをかけ、ダメにする力など何ひとつないのです。

過去、どんなに相手が自分を苦しめたとしても、その過去の出来事には、何の力もないのです。

では、なぜ自分が苦しむのでしょうか。
それは、「我即神也」ではない自分が、過去に味わった苦しみや恨み、憎しみ、嫉妬心、
そして競争相手に負けた悔しさ・・・・・といった自分の思いに把われ、その過去の出来事を改めて掴んで、
それに力を与えてしまっているのです。

過去一切―――それがどんなに酷くて凄くて、辛いものでも、今の自分に災いする力など何もないのです。

それらには、何一つないのです。

ですから、過去を離した人は、即、未来を創っていくことが出来るのです。

しかし、「我即神也」がわからなければ、また過去を掴んでしまいます。

この人類の苦しみや悲しみや闘争や、宗教対立も人種差別も殺し合いも、すべて過去でしょう。

みんなが、過去を掴まなかったら、あるのは未来だけですよ。

多くの人類には、それがまだわからない。

でも、皆様は、、もうわかっておられるはずです。』(p10)
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■いまのどんな判断(思い)も、「過去の思い」だと思うのです。(^^;ゞ

私は、「今の思い」と「過去の思い」を体験をしているだけなのです。

月末になりますと、店舗の家賃の確保が苦しくなってくる(笑)、今日この頃ですが、(^^;ゞ

それも「過去の思い」なので、そのことで、私が死ぬわけではないし、

店の売り上げが少ないからといって、「私の未来」が閉ざされるわけではないと思うのです。(^^;ゞ

【2571】『我即神也の私が、人類即神也の相手に語る』という神事について

2010-06-28 03:43:57 | 思索
昌美氏の法話を読みますと、「自分の行っていることの基本」が判って、とても勇気付けられます。(^^;ゞ
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『★ご神事(神示?)というものは、人類のための修行であり、
また、自分自身が、我即神也を発揮するために必要なことであります。

全人類が、ご神事をしていれば、とうに平和は来ているとも言えます。

人類が果たさなければならないことを、皆様は代表してなさっているわけです。(中略)


★今年からは、さらに次元が上昇しました。
言葉を発する前に、「私は我即神也だ。我即神也の○○○○自身が、これから言葉を放つのだ」と意識するのです。(中略)

深呼吸をして、何か一言話す前に、必ず、それ(「我即神也の私が、人類即神也の相手に語る」と意識すること)を入れるのです。

言葉によって、人類の人生が創造されていくわけです。

言葉、思いが人生を創ってきたのです。

今まで、無意識に語っていた言葉が、無意識の人生を創ってきたのです。

これからは、言葉を発する前に必ず、「我という自分が語るのだ」と意識してください。(中略)


★今年の神事では、「自分」を意識するのです。

どのような自分が語るのか。 いままで、無意識に生きてきた自分ではなく、「神を顕現した我」が語るのです。

我即神也が語るという、その『我』というものを意識してください。

すると、「無意識の言葉」が出てこなくなります。


★いい言葉しか出てこなくなるのです。

神様は、悪い言葉を語るでしょうか?

否定的な言葉を語るでしょうか?

病気の苦しみや悲しみや不平不満を語るでしょうか?

神様は、おっしゃらない!


★神様の語る言葉はすべて、輝きの言葉、愛の言葉、癒しの言葉、光の言葉です。

今まで私たちは、「語る自分」というものを忘れて、「ここにいる自分」が当たり前のように話をしていました。

しかし、今日から新たなスタートです。(中略)


★「神様の我」は、相手の醜いところ、汚いところ、汚れているところ、罪は決して見ないのです。

赦ししか見ないのです。 愛しか見ないのです。素晴らしいところしか見ないのです。

皆様方は、この境地に至るために、過去の一つ一つの神事を、何年も繰り返してきたわけです。(中略)


★チャクラが開かれたら、自分が語る言葉は全部、未来に現れてきます。
そして、ふっと未来が見えてくるのです。

光のベールの向こうに自分の未来が透けて見えてしまうのです。

それは、これから始まります。』(白光誌6月号 p8)

【2570】「いわれのない不幸」と思えることにも、「必然」を感じる(*^_^*)

2010-06-27 15:56:15 | 思索
店舗の大家さんに、お中元を届けた後に、
少しでも安い買い物をしようと思って、その店に向けて自転車を走らせていて、
道にあった溝の段差にタイヤがぶつかりパンクをしました。(^^;ゞ

近所に、500円でパンクの修理をしてくれる店があるのですが、開店前で、
シャッターが閉まっていたので、その前に、押してきた自転車を置きました。

後で寄りますと、チューブが破れていたので交換したそうで、2000円でした。(^^;ゞ

そのとき一瞬、「なんたる不幸!!」(*^_^*)と思いました。

【この事象を振り返りますと、安い物を買おうとした動機と行為が、
「大きな出費」になってしまったと考えらます。(^^;ゞ

事象に対して、「いったい、何が得であり、何が損なのか!?」と考えた経験はありませんか(^。^?)】


★それでも、この頃の私は、「淡々と、やっていくだけの人!」(笑)になったので、

「想い」が浮かばないし、「パンクの意味」を考えることもないです。(^^;ゞ


全体をみれば、「私が払って、誰かが、儲ける」だけのことなのです。

社会とは、貨幣経済とは、そういうものなのです。(^^;ゞ

それでも段差はない方が良いので、後で段差を埋めて、
再び、そのような事象が、他者に起こらないようなにしました。(^^;ゞ


★今回の事故(事象)は、金銭的な被害だけですから、大したことはないですが、(^^;ゞ

「取り返しのつかない事象」の場合もあります。


生きていると、「いわれのない不幸」だと思われることが振りかかってくることが時折あります。(^^;ゞ


でもそれは、霊的にみると、偶然のようにみえて、必然的な流れであることが多いと、最近感じるようになりました。


そういう場合は、稼ぎ過ぎていたり、これからの稼ぐための一時的な出費であることが多いのです。(^^;ゞ


実際、パンク事件の後の、先日の土曜日は、信じられないくらい忙しくて、大変でした。(^^;ゞ


★「なんで自分だけが、こんなことに、遭遇するのか!」と思うことが起きるかも知れませんが、

そんな場合には、それはそれ、事象は事象、カルマはカルマと受け入れようと思うのです。(^^;ゞ

いや、受け入れるしかないのです。

起きてしまったことは、受け入れるしかないのです。(^^;ゞ

受け入れて、二度と同じような事故(事象)が起こらないようないような対策を取れば、
社会は、ますます良くなってゆきます!!(*^_^*)

そうすれば、菅総理の言われるように、「不幸な人」を、最大限、減らすことが出来るのです。


とまらない原油流出②

http://www.y-asakawa.com/Mssage2010-1/10-message39.htm

【2569】人間が、「自分だ」と思っているのは、業想念なのです。

2010-06-26 00:35:43 | 思索
【2563】の『「世界平和の祈り」と「呼吸法の人類印」の還元主義的勧め(笑)で万事がOK!』を裏打ちできる文章を、
以下に載せますので、ご覧ください。
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★『実は、心は、本心、つまり神の心一つしかないのでありまして、
私達が通常、心を呼んでいるものは、想念に過ぎないのであります。

想念は、すべて業でありまして、因縁因果によって、生じるのであります。』(『霊性の開発』p38)

★『人間が今まで、自分だと思っていたのは、習慣想念なのです。

自分が生命だと思っていたものは、肉体という器内に限定していたものであって、生命の本体ではないのです。

海は波そのものではないのです。
波だけをみて、これが海だといったら、おかしいなものです。
波は想念であり、海は生命なのです。

人間の生命を肉体だけに限定して考える誤り、想念を把えて心である、とする誤り、
この誤びょうを一日も早く改めなければ、人間世界を真実の世界にすることは出来ません。』(『霊性の開発』p17)


★『消えてゆくと思っている想いも消えてゆく姿。

すべては消えてゆくんだ。 あるものは神様だけ。

具体的に言うと、自分の本心と守護霊守護神、それだけです。』(『神様にまかせきる』p124)


★『とにかく、「世界平和の祈りのなかに入ってしまえばいい、いいかえれば神さまの中に全部想いを返しちゃんです。

いい想いもね。(中略) 私っていうものはありはしないんですよ。

私わたしといっている私は、それは業想念なんです。

業想念がなくなると、私もあなたもみんな一つなんですね。

それがわかってくるといいんですね。』(『天命を信じて人事を尽くせ』p147)

★『自分という想いがもう、消えてゆく姿なのです』(『不動の心』p34)

【2568】「我、言葉、想念。行為に、我即神也を顕現する」とは,どのような状態か(^。^?

2010-06-25 04:30:05 | 思索
突然ですが、(^^;ゞ
自分が、「我即神也」を顕現するというのは、どういうことなのでしょうか?

①印を組むことが、すなわち、神を顕現していることなのでしょうか(^。^?

それとも、②印を組むと、私の「内なる神」が顕現するのでしょうか(^。^?


★「我、言葉、想念。行為に、我即神也を顕現する」の「神の顕現」とは、何なのでしょうか(^。^?


「我即神なり、我即光なり、我即愛なり、我即真理なり、成就、人類即神也」という『呼吸法の唱名』は、

「自我の思い」の消去であると同時に、光明思考(ポジティブシンキング)であり、果因法だと思うのです。


★『呼吸法の唱名』の効果の凄さ(笑)に、最近また、気付きました。

「呼吸法」をすれば、「自分中心の思い(自我)」を手放すことが出来るのです。(^^;ゞ


私たちは、瞬瞬刻々の「呼吸法の唱名」を続ければ良いのです。(*^_^*)

それが、不要な「自我の思い」に執われないで、「自分の人生」を、活き活きと生きる方法なのです。(^^;ゞ


★時空(宇宙)の中での「自分の思い」を省みて反省する必要はないのです。(^^;ゞ
手離せば良いだけなのです。(*^_^*)

「自我」を消して、その時々を精一杯生きることが、「我即神なり」を顕現してしていることなのです。(*^_^*)
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■日本チームが、デンマーク戦に勝ちましたね。(*^_^*) すご~い!!(*^_^*)

【2567】私は、なぜ、弁当惣菜店をしているのか? 廃業(卒業)できるのは、いつか(^。^?

2010-06-24 01:22:20 | 思索
『いのりさんへ』(【2564】へのコメントへのお返事です)

★私も、「自分が、いま、なぜ、弁当惣菜店をやっているのか?」、
「なんの意味があるのだろうか?」と、考えることはよくあります。(^^;ゞ


★私は、なんの必要があって、いま、弁当惣菜店をしているのでしょうか(^。^?

一つには、もちろん、自分を含めた縁者の経済的な生活を維持するためという側面がありますが、
そう単純なものでもありません。(^^;ゞ

★他人さんに、「美味しい」と言ってもらって、喜んでもらえることは楽しくて、お互いの歓びです。(^^;ゞ

「美味しい」という思いの共感と共有は、お互を幸せにします。

アリスには、そういう場としての側面があります。(^^;ゞ


★端的に言って、今の私がこの飲食業をしているのは、「縁(カルマ・因縁)」に因るのだと思います。(^^;ゞ

「この世での役目」なのです。(*^_^*)


★私が他人さんに対して、本当に望んでいることは、目覚めてもらうこと、
悟ってもらうこと(笑)、ご自分の神性を顕して頂くことです。(*^_^*)


★お客さんのすべてが悟りを得て、粗食や『不食』に目覚めれば、アリス惣菜弁当店は廃業に至ると思いますが、

それは、私の望むところ(笑)です。(*^_^*)


そのときには、私も家内も従業員さんも『不食』になっていて、人々は、趣味だけに生きていますから、

私は「絵手紙の講師」や「アドリブ音楽のインストラクター」などで、生計をたてる方法を考えれば良いのです。(*^_^*)


★「自分は粗食や『不食』で、他人さまには、おいしい物をたべて頂く」というのが、

いまのアリスでの私のスタンス(経営方針)(笑)です。

そういう意味で、当店は、お客さん本位(笑)だと思います。(^^;ゞ


儲けるために、惣菜や弁当を売っているのではないのです。(^^;ゞ

美味しいものを提供した結果として、生活するための糧(利)を得ているのです。


★同様に私は、『不食』になるために、「世界平和の祈り」や「呼吸法の人類印」を組んでいるのではなくて、

自分の中の神性を顕すために、それらの行をしていると、結果として、

「神を顕現したカタチ」として、『不食』になるという話をこのブログで書いています。(^^;ゞ


★店先には、「世界平和の祈り」(瞑想)の宣伝がしてあります。

気付いて頂ければ、いつでも話をしますが、
なかなか、「世界平和の祈り」や『不食』に興味を持ってもらえないのです。(^^;ゞ

それでも、当店にお客さんとして来られている方々は、縁のある方々ですので、

いずれは、気づいてくれる(来世か?)と思うのです。(^^;ゞ

そういうことは、「お客さんの気付き」に任せる以外、ないのです。


★何回も書いて恐縮ですが、(^^;ゞ
私が今、弁当惣菜店をしていることは、私の「この世での義務(カルマ)」であり、
「まだ、卒業が出来る時期にない」(笑)というこです。(^^;ゞ

万人の『不食』と同時に、卒業(廃業)ができるのが楽しみです。

【2566】「世界平和の祈り」と印を組むだけの日々で、充足できるのか?

2010-06-23 05:00:31 | 思索
【2565】で書いた「お勧め」は、白光の推奨や提言を受け入れなさい(笑)という意味ではないのです。(^^;ゞ

それは、瞑想とヨーガをすれば、自然に『不食』に近い精神状態になっていきますよと、普遍化しても良いこと(笑)なのです。(^^;ゞ

要は、「世界平和の祈り」も印も、行方のひとつなのです。(^^;ゞ

私は、自分の行った方法とその結果のことしか言えないので、それに言及しているだけなのです。(^^;ゞ


★それでもまだ、以下のようなことを思います。(^^;ゞ

「世界平和の祈り」と印を組むだけの日々で、充足できるのか!?

「瞑想とヨーガの日々」だけで、充実出来るのか!?

そういう思いが、正直なところ(笑)、まだあります。(^^;ゞ


★でもそれも、時空の中では、そういう「充実出来るのか!?」という迷いも、「消えてゆく姿」だと思うのです。(^^;ゞ


「充実出来るのか!?」と思ってはいけないということではないのです。


★「充実出来るのか!?」という思いの「消えてゆく姿」に執われないで、

機会があれば、「世界平和の祈り」をし、「呼吸法の人類印」を組み、

印による浄めの平和集会に参加するという気持ちを、今、持っていれば、
今、救われている(笑)のです。

「世界平和の祈り」や印は、その時(できる時、必要な時)に組めば良いのです。(*^_^*)

そうすることしか出来なのです。

具体的にいえば、、今は、ブログの記事を書いていて、両手を使っているので、
印が組めません。 「終わってから組む!」、それで良いのです。

焦る必要(笑)は無いのです。(*^_^*)

【2565】「世界平和の祈り」をし、「我即神也」の印を組んで、『不食』になりましょうが結論!

2010-06-22 04:05:55 | 思索
長い時間、行をした後に、『「空っぽ」だと思う心も、空っぽにする』(笑)という言葉が浮かびました。

これを『不食』にあてはめますと、『自分が「不食」だと思う心をも、空っぽにする』(笑)となります。(^^;ゞ

とにもかくにも、執われて生きるのは嫌(笑)なのです。

本当は、『不食』を宣言する必要もないのです。(^^;ゞ

言葉で宣言をして、執われるのは自分なのですから。(^^;ゞ


★私が『不食』を宣言をした(笑)のは、【2554】を述べたかったからだと、後で思いました。(^^;ゞ

みなさん、「世界平和の祈り」をし、「我即神也」の印を組んで、『不食』になりましょうというのが、
このブログの結論(笑)と方法だと思うのです。(^^;ゞ

【2564】『不食』になれば、争う必要がなくなり、平和に暮らしてゆけるのです。(*^_^*)

2010-06-22 03:47:36 | 思索
考えてみますと、私一人が『不食』になったなどという話は、
人類全体が平和になるために「人類即神也」の印を組むという行為や境地に比べると、
とても小さな、取るに足らない話のような気がして、昨日一日、ずっと恥ずかしく思っていました。(^^;ゞ

でも反対に、私が『不食』になれたということは、「世界平和の祈り」をして、印を組めば、
誰でもが『不食』になれるということですから、多くの人々に『不食』の可能性はあるのです。

そうなれば、多くの問題は、物理的に解決します。(^^;ゞ

食べ物を買うために、お金を稼ぐ必要はないし、
食料品を買うために車に乗るは必要はないし、
食品を運搬をする必要もないのですから、道路も混みません。空気も汚れません。(^^;ゞ

多くの人たちの欲望が消えて、『不食』になるということは、争い事の原因がなることなのですから、
人々は、平和に暮らしていけるのです。(^^;ゞ

『不食』になった人たちから順に、物理的にも、平和に暮らしていけるのです。(*^_^*)

体も軽くて、とても快適なのです。

【2563】「世界平和の祈り」と「呼吸法の人類印」の還元主義(?)で、万事がOK!!(*^_^*)

2010-06-21 04:50:59 | 思索
【2562】の【『不食』となった私は、他人のために何が出来るのか(^。^?)】の解答が、
昨日の大阪支部講話会で、すぐに得られました。(^^;ゞ   不思議です。(^^;ゞ

白光でよく言われる「器を使う」という表現は、自分の肉体を使って、
「我即神也」や「人類即神也」の印を組んだり、行事に参加することを差します。

特にその中でも、多人数が集まって、「呼吸法の人類印」を使って各国の平和を祈る
平和集会に参加することが、よりよく「我即神也」を顕している姿なのだそうです。(*^_^*)

そのように、自分の肉体で印を組むことが、「我は、神を見たり」の「姿」なのです。

自分が、『不食』であろうとなかろうと、「呼吸法の人類印」を組むこと、平和集会に参加することが、
私のすべきこと、私にできることだったのです。(^^;ゞ

縁があって白光の維持会員になり、印を伝授された私の天命(使命・ミッション)であり、
「我即神也」を顕した「姿」だったのです。(*^_^*)


★さきほど、目覚めると同時に、「祈り(印)還元主義」という言葉が思い浮かび、 いま、この文章を書いています。(^^;ゞ

昨日の大阪支部での体験が、私の頭の中でシャッフルされて(笑)出てきた言葉です。(^^;ゞ

そして、この言葉が、いまの私が抱えている「小さな悩み」(=「他人に良く思われたい」・「他人に、神と思われたい」)の
無分別的解決法(笑)なのでした。(^^;ゞ

つまり、私は、ゴチャクチャ考える必要はなくて(笑)、「呼吸法の人類印」を、時間のある限り組めば良いし、
機会があれば、できるだけ「平和集会」に、参加すれば良いのです。

それが、私が「五井先生(神)と一体であること」だったのです。

「五井先生と一体の自分を顕す」というと、「優しい自分」・「愛深い自分」を顕さなければならないと、
言葉(イメージ)に執われがちですが、(^^;ゞ

そんな、「他人から、よく思われたい!」などという低次元の話(笑)ではなく、

「呼吸法の人類印」を組んで、各国の平和を祈りことが、私が「我即神也」を顕すことだったのです。(*^_^*)

「他人に、よく思われたい!」・「真の自分を見て欲しい」という「思い」は、「消えてゆく姿」の話だったのです。(^^;ゞ


★ただ、上の「還元主義」という言葉は、あまり適切でないとは思うのです。(^^;ゞ

というのは、「呼吸法の人類印」で、問題を解決するというのは、無分別的な方法であり、
同次元での解決法ではないから、「還元」ではないのです。

上のタイトルを正確に書きますと、
【無分別的な方法としての「世界平和の祈り」と「呼吸法の人類印」によって、
すべての問題は解決する】となります。

具体的な問題(事象)のすべては、「消えてゆく姿」であって、必要があって、消えるために現れています。

「問題だ!」と一瞬思っても、その「思い」を掴んではいけないのです。(^^;ゞ

起きている事象には、なんの問題もないのです。(^^;ゞ

因縁(カルマ)があって、消えるために現れているのです。

私も、『不食』という「消えてゆく姿」(言葉)に執われる必要はないのです。(^^;ゞ

ただ、『不食』は、何を食べようかと考えなくても良いし、(^^;ゞ

食べることに関する作業の必要がないので、便利といえば便利です。(^^;ゞ  実感です。 (^^;ゞ

それに、「お腹のペチャンコ感」が爽快で、とても気持ち良いです。(^^;ゞ

★従業員さんが、喉の痛みがあるのに、「どうなっても良い!」といって、タバコをやめないことや、

アリスの経営が良くなるように、顧客を第一に考えて改善をしているのに、
「私をやめさせようと思って、面倒で、私の気に入らないことばかりをする」と、
私に向かって激怒するのは、「消えてゆく姿」だったのです。(^^;ゞ

私が「問題だ!」と感じる必要はなかったのです。(^^;ゞ

私が、「世界平和の祈り」をし、「呼吸法の人類印」を組み、平和集会に参加することが、
従業員さんに、ご自分の天命を完とうしてもらうことだったのです。

もともと、従業員さんは、ご自分の方法で、自分の天命を完とうしているのですから、
私が「問題だ!」と思うことは、要らないお世話なのです。(^^;ゞ


【2662】『不食』となった私は、他人のために何が出来るのか(^。^?

2010-06-20 07:25:59 | 思索
『不食となった私は、他人のために何が出来るのか?』という思いが湧きました。(^^;ゞ

考えてみたのですが、答えは、「世界平和の祈り」をすること、
つまり、「常に、自分の心を浄化し続けること」でした。(^^;ゞ

それは、具体的に何かをすることではなくて、
事象に執われないで、つねに祈り続けること、自分の意識(業想念)を消して、
具体的な生活し、生きてゆくことです。

「世界平和の祈り」は、「自我的な思い」を消す方法なのです。(*^_^*)
思考停止の方法なのです。 

それでいて、自分の潜在意識(深層心理・無意識・潜在意識・カルマ)を浄化し、
本心を輝かせる方法でもあるのです。(^^;ゞ


★他人の人生(想念)は、あくまでも「他人の心の中の出来事」です。

どこまで行っても、その人の「思い」(一人一宇宙)なので、私が変えることはできません。

けれども、私の言動が、その他者に、コミュニケーションという形で、影響を与えて、
他者の「思い」を変化させることは出来ると思うのです。

(これは、上から目線の話ではなくて、自分も、他人の言動の影響を受けて、生きてきました。(^^;ゞ

問題は、何を選ぶのか、何に意識を向けるのかなのです!!)

★今、一番気がかりなのは、職場の従業員さんです。

仕事をしながら、「暑い、暑い」と言って、楽しくなさそうなのです。(^^;ゞ

どうして、あげれば良いのかが、私のテーマのようです。(^^;ゞ

【2651】「気づき」は、活発。「思い」は、不活発。「考え」は、まあまあ活発。

2010-06-19 03:21:14 | 思索
自分でも不思議なほど、「思い」が浮かばないのです。

「気づき」だけがあって、「いま、すべきこと、しなければならないこと」が、
その時にわかり、それをやっているという心理(精神)の状況が、続いています。

「考え(思考)」は、割と浮かびますが、以前ほど、多岐に渡って抱負で斬新(笑)というわけではなく、
真理と思われることを、再確認しているという思考が多いです。(^^;ゞ

最近は、10年ほど前の『こころの時代』の横山絃一さんの『『唯識の講座』の録画テープを見直しています。

忘れていた話などもあって、とても参考になります。

たとえば、行の話とか、薫習の話なども、自分のしている「白光の行(神示)」と関係付けて考えると、
とても、辻褄があっていて、「自分たちの行っていた行」は、そういう意味であったのかと、気づかされます。(^^;ゞ

「白光の行」の数々は、本当によく出来ています。(*^_^*)


★「思い」が浮かばないので、具体的な何かが「欲しい」という気持ちが起きないのです。(^^;ゞ

 「食欲」が起きないのも、そのためです。(^^;ゞ
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薫習:〔仏〕 物に香りが染みつくように、人々の精神・身体のすべての行為が人間の心の最深部に影響を与えること。

薫習とは
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AB%E7%BF%92

【2650】「他人への悪口(批判)」を口にすると、メグリ(カルマ)を作ることになる。

2010-06-18 04:17:12 | 思索
「メグリ」とは何なのかと思って検索をしたら、興味深いブログの記事が色々と見つかりましたのでご紹介します。
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■メグリ(カルマ)について、いくつかの本から抜粋してまとめてみた。


★『太神の布告』 (岡本天明・著/コスモテン・パブリケーション)より

神にささげずにむさぶるからメグリつむのぢゃ。メグリが不運となり、病となるのぢゃぞ。

運ひらくのも食物つつしめばよい、ことばつつしめばよい。

悪く言われるとメグリ取ってもらえるぞ。悪く言うとメグリつくるのぢゃ。
心にメグリ積むと動物のイレモノとなるぞ。

神のイレモノ(を)動物などに自由にされていて、それでマコトの神の人間と申されるか。

わからんと申してもあまりであるぞ。

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★『太神の布告』 (岡本天明・著/コスモテン・パブリケーション)より

その人間にメグリなくしてもメグリ負うことあるぞ。

人類のメグリは人類の誰かが負わねばならん。

一家のメグリは一家の誰かが負わねばならん。果たさねばならん。

善人が苦しむ一つの原因であるぞ。

神の大きな恵みであり、試練であるぞ。』


★『魂との対話』(ゲーリー・ズーカフ著/サンマーク出版)より

『このようにきわめて深いレベルで、私たちは、自分のすべての行動、思考、フィーリングに関する責任を負わせられている。

私たちは、自分の意図の果実のすべてを、みずから食べなくてはならないのである。

よって、自分のさまざまな意図を認識するとともに、どの意図がどんな結果をつくり出すかを整理し、

自分がつくり出したい結果につながる意図を選択することは賢いことである。』

「メグリ(カルマ)について」
http://jinga123.blog118.fc2.com/blog-entry-7.html
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■『運開くには、食物を慎めばよい、言葉を慎めばよい。

「悪口を言われる」とメグリ(カルマ)を取ってもらえる。

「他人への悪口(批判)」を口にすると、メグリ(カルマ)を作ることになる。』という指摘は、興味深いです。(^^;ゞ

以下も、同じような内容の記事です。
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★『「食べ物は少食がよい」「不必要な言葉を発しないほうがよい」ということです。
饒舌はメグリ(=悪いカルマ)をつくり出すということが述べられています。

また、他人から悪口を言われると、その人に自分の持つ「善くないカルマ」を譲り渡すことになるということです。

ということは、人から悪口を言われたら、そのことに腹を立てるのでなく喜ばないといけないのです。

自分の身に不幸な出来事として降りかかってくるかもしれないカルマを、
その人に引き受けてもらうわけですから、大変ありがたいことなのです。

  もちろん、そこで他人の不幸を喜ぶ気持ちが湧き起こるようではまだカルマの掃除が進んだとは言えせんので、
その点は注意する必要があります。いずれにしましても、神霊界の法則は実によくできていることがわかります。』

『2012年のカルマの法則』(フツーの人が書いた黙示録)
http://www001.upp.so-net.ne.jp/apocalypse2012/karma29.html

『当サイトがお伝えしようとしていること』
http://sites.google.com/site/nawafumihitosreadinglist/
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【人には誰でもメグリ(悪業)がある】

『不幸とはメグリを解消している現象』

カルマ(karuma)とは、業とか因縁のことである。

これは神示では「メグリ」という。

自分でしたことが、めぐりめぐって自分にくるからメグリというわけだ。

メグリにもいろいろある。

個人には個人のメグリがあり、家(家系)には家のメグリがある。

国には国としてのメグリがあるそうだ。

不幸現象は、このメグリによって起こされている場合が多い。

というより、何らかのメグリが必ずかかわっていると見るべきである。

メグリを持たない者は誰一人いないという。

もちろん、前世から良いことをしてきた人、功徳を積んできた人は、良い現象が起きてくるだろう。

これもまたメグリです。

だが、そんなケースは稀で、たいていの人は、せいぜい可もなく不可もないか、
良いこともしたかも知れないが悪いことだって結構やっていて、どちらかといえば、悪いことの方の比率が多い。

それで、過去世で積んできた悪しきメグリが、今世において自分にめぐってきている。

したがってこのメグリを受け入れ、そこに込められたメッセージを読み取り、これを解消すべく対処していかなければ、
何度でも同じことを繰り返してしまう。

嫌がって逃げたりはねのけたりしても、また元に戻ってくる。

不幸のように見えているのは、メグリを解消しようとする現象である。

今世でメグリを解消出来なければ、来世に持ち越してまた同じ目に遭う。

それでもダメならその次の世、それでもダメならまた次の世と、気付くまで同じことをさせらりという。

メグリには、真正面から立ち向かうしかないのである。

自分の身から出たサビと受け止めて反省し、キチンと対処していくことで初めて解消に至ることになる。(著者 中矢伸一)

『神来雷鈴を打ち鳴らせ』
http://yurayura369.jugem.jp/?eid=158&target=comment

『めぐりと申すのは自分のしたことが自分にめぐって来ることであるぞ。』
http://www.asyura2.com/08/bd52/msg/396.html

【2649】『アメリカのメグリは大きい』・『7月から大変な事が起こる』・『百姓から出直せ』

2010-06-17 04:54:49 | 思索
『日月神示』の中矢伸一事務所の『リアルタイムニュース(vol.0024)』からの引用です。

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――『アメリカのメグリは大きい』

「国には国の借銭あるぞ」 地つ巻 第八帖
「めぐりひどい所ほど、ひどい見せしめ」 春の巻 第五十七帖

と日月神示にあるように、アメリカはメグリが大きい国。
そもそもネイティブアメリカンからだまし取った国だし、
それにアメリカはイシヤの実験国家。建国の時点から「メグリの深い」国だ
と言えるね。

今はメグリの清算期に入っているから、アメリカは混乱する時期に
入ってるのかもしれないね。

メキシコ湾からほど近いテネシー州では、すべての作物がなぜか枯れ始めているという。
原因は不明だけど、空から何か降ってきているのではないかと住民は言ってるようだ。

ベンゼンや化学薬品が気化して毒の雨が降ったら、作物も飲み水も
みな汚染されてしまう。そうなったら人が住めなくなってしまう。
それにメキシコ湾岸はハリケーンの多発地帯だから、これからハリ
ケーンシーズンを迎えるアメリカは大変な目に遭うだろうね。
これが7月以降に起きることなのではないかな。』


『「中矢伸一事務所 リアルタイムニュース」(vol.0024)』