『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【784】『家内即神也マンダラ』(^。^?

2006-09-30 21:34:57 | 経験
「白光のマンダラ」は20分位で完成するものがあり、しかもカラフルに仕上がるので、楽しいのです。(*^_^*)
1枚目の『家内即神也マンダラ』が、綺麗に書けたので、もう一枚書きました。(^^;ゞ

そして、ふっと思ったのは、「家内はほんとうに、神なのだろうか?」ということです。

客観的な事実として、「神」なのでしょうか?
それとも、私が、「神」だと思うことのよって、「私にとって神」なのでしょうか?

普通に考えますと、「神」は、本心の表れであり、「業」は、本心の現れが阻害されていることです。

それで、「業は、悪しきこと」と捉らえられがちですが、
「業」が出るのは、本人の責任なのではなくて、
元々ある「思い(カルマ)」が、消えるために表れているのです。(*^_^*)

それなのに、私は『家内即神也』と言いながら、
「なぜ、家内の業はいつまでも消えないのか!」と思い、
放っておけば消えてゆくはずの「家内の業」を、捕まえていたのです。(^^;ゞ

これでは、いくら『家内即神也』と書いても、家内の業が消えるはずはないのです。

「家内の業」をつかんでいたのは、「私」だったのです。(^^;ゞ

★ どういうわけか、昨日のブログ日記と前後してしまいました。
入れ換えようと思ったのですが、コメントがついていたので、今日の書き込みにしました。
こちらを先に読んでもらえると、話がつながります。(^^;ゞ

【785】「業」は、消すのではなくて、消えるのです。(*^_^*)

2006-09-29 22:00:32 | 「白光」の教え
私が「家内即神也」と思える時には、私の本心が業に把われていないので、輝いているのです。

私が「家内即神也」と思えない時には、「家内の業」に把われているので、
私も業のなかに入っていて、「内なる神」を表わせていないのです。

家内がどのような業を出そうとも、その業に把われなければ、私は浄まっているのです。
祈りのなかに居られれば、家内が浄まることと、私が浄まることが同時に起こるのです。(*^_^*)

「家内の業」に対して、否定的な気持ちを持ってしまったら、私は浄めまっていないのです。

「家内の業」は、私が消すのではなくて、自然に消えるのです。
摑まなければ、消えるのです。

【783】信仰心と充実感(*^_^*)

2006-09-28 21:27:52 | 経験
その男性は、若い頃から宗教に縁があって、メシア教や大本教もやってこられたそうです。
現在は、ある修養会にも参加されていて、「白光」との掛け持ちでお忙しいとのことですが、
「宗教」が性に合っているので、お金も掛からず(笑)、毎日が楽しいそうです。

私も支部の講話会でお話を聞くのが楽しみなのですが、その男性も講話会に出席したり、
別の修養会に参加して、行や謹書をする人生が楽しくて、充実を感じておられるようでした。

修養会で謹書する文章をマンダラ用紙に書くとかさばらないので、最近は、そうしているそうです。
「書くこと」は、祈りなのだそうです。(*^_^*)

「そうか、マンダラか!」と発心し、私は『御心のままに』というマンダラを書いてみようと思いました。(^^;ゞ

それで、まずは手始めにと思い、20分位で書けるマンダラ用紙に、
『家内即神也』と書いてみたのですが、これがちょっとした「言葉の探求」の発端になりました。(^^;ゞ

【782】信仰心とは、何か(^。^?

2006-09-27 21:57:14 | 思索
「ピラミッド神事」からの帰りのバスで、隣に座っておられた男性(71歳)と話をしました。
その方は、維持会員になって5,6年だそうです。
大阪支部道場で、よく見かける方でしたが、お話をするのは初めてでした。

なにげなく、「ピラミッドはどうでしたか?」と声をお掛けしたのですが、
「私は霊的なことには、敏感でないので、何も感じませんでした(*^_^*)」とのことでした。
ところがお話を聞くと、何回もピラミッドに入られているのです。

たぶん私なら、効果がないと思ったら、続けられないと思うのです。(^^;ゞ
これが、私の自分本位なところなのだと思うのですが、
「何も感じないのにピラミッドに入る」というのは、私の理解を超えています。(^^;ゞ

そして、上のことにも関係するのですが、その方の毎日の行を聞いて、「信仰心」の凄さに感動しました。

「マンダラは、書かれていますか?」とお訊きましたら、
いまは『神と人間』の全文を書いていて、2枚目なのだそうです。
マンダラの円のなかに、ちょうど、全文が納まるのだそうです。

その方は職人さんで、定年後も特殊なプラスチック加工の仕事をされていて、
早朝に出社して、毎日書いているそうです。昨年は、課題のマンダラを、12枚書いたそうです。

朝は、4時前後に起きて、1,2時間の行をされているそうです。
「冬は、寒いでしょ」という私の切実な問い(笑)には、「まあ、それはそれで」ということでした。(^^;ゞ

世の中には、人知れず行をしている凄い人がいるなあと思って、頭が下がりました。

そして、そういう意欲(情熱)を支えている「信仰心」のことを考えました。

いまの私には、そういう強い信仰心は無いと思うのです。
無いから、あれこれと悩んで、このようなブログを書いていると思うのです。

この『知足日記』は、信仰心を持つためのプロセスなのかも知れません。(^^;ゞ

★いまのところ、信仰心とは、「教えを、人知れず実行すること」であり、それが「陰徳」だという理解です。(^。^?

【781】「浄まる」と「浄める」は、同時に起きる(^。^?

2006-09-26 22:09:10 | 思索
「浄まる」と「浄める」は、自動詞と他動詞の違い(?)なのかと、
考えましたが、ちょっと違うようです。(^。^?

私は、維持会員の方たちが、毎月のように富士聖地に行くことが不思議でした。(^^;ゞ
先日、私でも理解出来そうな答えとして、『富士聖地で祈ることが、天命があると気付いた!』を得ましたので、
キキさんに訊いてみたのですが、彼女の答えは「富士聖地に来ると、皮がむける感じがするから」でした。(^^;ゞ

それはたぶん、「心境が上がる」というような意味だと、私は思うのです。(^^;ゞ
富士聖地に来ると、「浄まる感じがする」のだと思うのです。
それは例えば、善い事をしたあとや、お墓参りのあとに、気持ちがスッとして軽くなり、
スッキリするようなことだと思うのです。

このように心境が上がることが、「浄まる」ことだと思います。
そして、統一をしたり、印を組んで、自分の心境を上げる(浄める)ことも出来るのだと思うのです。

問題は、「他人を浄めることは、出来るのか?」ということです。

私たちは、他人の心を変えることはできませんから、
他人の心を浄めることは、大変に難しいと思うのです。

ですが、人類印を組んで、その方の天命を祈れば、当人の霊性が開いて、真理に気付くのだそうです。

今回のピラミッド神事には、誘われるままに参加しましたが、
自分の天命に気付いて、魂が浄まった感じがします。(*^_^*)

富士聖地というのは、他人(人類)を浄める場であり、そのことが同時に、自分の魂を浄めるのだと思うのです。

「他を浄める」ことにとって、「自分が浄まる」という構図が、あるようです。

【780】ピラミッド神事と『妙好人』

2006-09-25 21:52:20 | 経験
ピラミッド神事について、もう少し書いておきます。
ピラミッド神事の説明を聞くために、20人ほどで集まっていますと、
このブログをたまたま見たリチャードさんが、昨年の講演会で、一緒に撮った写真を持ってきてくれました。

私が、「白光真宏会」の維持会員になったのは、キキさんのもらったリチャードさんの講演テープがきっかけでして、
それがちょうど3年前なのです。

帰りのバスで、ピラミッド神事でお花畑などの美しいイメージが見えた方の話も聞きましたが、
私はやはり、「言葉のインスピーションイメージが強い人」(?)なので、
いくつかの言葉が、浮かびました。
あまり参考にならないかも知れませんが、書きます。(^^;ゞ

■ ふたつで、足りている。
■ 我即=神即(私がいることと、神がいることは、ふたつで一つ)
■ 一回の「私の人生」でよい。
■ 私のいることが、神の証明。
■ 答えは、自分の外にある。(^。^?
■ 生きていることが、証明。
■ ユニークに生きれば、それで良い。
■ 守護霊さんは、かなり本気。
■ 絵を描いて死ぬ。それだけ。!?

【これらが、本当に腹に入って、その通りに生きられれば、『妙好人』だと思います】(*^_^*)

★ その他には、我即神也(自分の人生は、自分で造ってゆく)なので、
守護霊さんにお願いをしながら、以下のようなことを祈りました。(^^;ゞ
まあ、時期が来ていて必要なら、現わしてくれると思いますが・・・・。

■ 「食」を、去らしてください。
■ ドンドン売れますように。
■ 「暑さ」には、さほど把われなくなったので、今度は、
「寒さ」から、離れたい。→「人類印を組めば、温かくなる」ので、なんとかなるかも(^。^?

PS・この「人類印を組めば、温かくなる」の原理は、
他人から受けた業を、人類印で消す時に、その業が浄化する際の熱だそうです。
このことは、『黎明祭行き』のバスで、隣席になったWさんに聞きました。色々と皆さん、お詳しいので、
とても参考になります。行をする気が、湧いてきます。(*^_^*)

【779】2008年は、東京で作品展(*^_^*)

2006-09-24 22:25:11 | 経験
今までは、意識的ではなかったのですが、ピラミッド神事の影響なのでしょうか、
昨日の朝の「統一」では、「祈り」の全体の自然な流れが、見えたように思いました。

まず、自分の中に宇宙神の光が入ってくるイメージで、我即神也の印と人類即神也の印を組み、
そのあとに少し「世界平和の祈り」をすると、自分の想念が整理されて、
「自分は、どういう人生を歩みたいのか」が、分かってきます。

三次元的な現象面では、とりあえず、西洋占星術の先生に診てもらった「64歳での海外作品展」があるので、
まずは、「来年1月の作品展」が成功しますようにと祈り、翌年の東京作品展の様子を強くイメージして、宣言しました。

そのあと、守護霊、守神霊さまへの感謝と、
生かされていることへの感謝をしました。

そして、これはまさに、ピラミッド神事での「自己の内に神を見る」ことであり、
本心の自分、聖なる自分、神なる自分を発見して、自分の思い描く人生にエネルギーを集中させることが、
「白光の教え」だということなのです。

★ 地球黎明祭に参加してきました。いろいろと、自分の心を発見ました。(*^_^*)
後日、ゆっくりと、整理して書きます。

【778】白光真宏会の「浄め」は、人生のテーマ(*^_^*)

2006-09-23 09:55:36 | 経験
先ほど、家内が、「あなたが、出掛けると、ひとりでゆっくりと出来るので、
浄められるわ」(笑)というのを聞いて、「なるほど」と思いました。(^^;ゞ

彼女は、「浄められる」の意味が分かっているようです。(*^_^*)

一緒にいなければ、議論によって、私の想念(=業)を把かむことがないので、
浄めまった状態で、いられるわけです。

つまり、「浄まる」とは、思考停止(不安先取りなし)なのでした。(*^_^*)

「白光真宏会」のテーマは、「浄め」であり、
家内も、「浄まる」という言葉を使うようになったということは、
家内が、真理の理解への、一歩を踏み出したことだと思うのです。

【777】「浄まる」「浄める」とは、どうなることか(^。^?

2006-09-23 07:51:53 | 経験
「ピラミッド神事で、決意(笑)を固めて、家内に接しているのですが、なかなか上手く行かない」と考えて、
ちょっと、変だなと思いました。(^^;ゞ

私は、家内が変化することを望んでいることに、気づいたのです。(^^;ゞ
「家内は、家内」だし、私とは別のものなのでした。(^^;ゞ

明日の地球黎明祭に参加するので、富士聖地で、故人の御霊を浄める印を組もうと思って、
今年の5月に亡くなった家内の親戚の人の名前を訊いたら、浄まっているから、祈らなくてもよいと言うのです。(^^;ゞ

それで、私は何も言えなくなってしまいました。(^^;ゞ

その故人は40歳位で障害がありましたが、障害者ボランティアの中心的存在で、沢山の人に慕われていて、
それはそれで、天命を完とう出来ていたとも言えますが、
「祈らなくてもよい」ということにはならないと思って、私は残念に思ったのです。(^^;ゞ

でも、その後、「浄よまった人生とはどういう人生なのか?」という会話が家内と出来たので、
故人の名前を訊いたことは、それはそれで、真理の話のキッカケの伏線(プロセス)になり、「結果オーライ」でした。

そのあとに、話題になったのは、私がパン屋時代にお世話になった親父さんのことでした。
その人は、自分中心で我が強く、医者の言うこともきかず、ハチャメチャな人で、最後には糖尿が悪化して、
目も不自由になり、片足を切断し透析も受けていて、「早く、死にたい」と言っていた人なので、
私は気になっていました。

ところが家内は、「自分の思い通りに生きたのだから、それはそれで良く、天命を完とうできている。
早く死にたいと言っていて、その通りに死ねたのだから本望だと思う」と言うのです。

私は「自分中心の人生だったので、だれにも愛されず、家族にも見離されて、追われるように死んだのだから、天命が完とうされていない気がする」というような話をしました。(^^;ゞ

ほんとうのところ、どうなのでしょうか?
この「自分が浄まる」・「この他人を浄める」という話、けっこう、奥が深そうです。(*^_^*)
今後、探求していくことになると思います。(^^;ゞ

【776】ピラミッドで、「魂の計画」に気付く(*^_^*)

2006-09-22 21:45:58 | 経験
今回のピラミッド神事では、ふたつの貴重な体験をしました。
ひとつは、5時間の継続的な瞑想(統一)の感じがわかって、コツがつかめたので、
何もすることが無い日曜日(笑)には、自宅で、統一(思考停止)ができそうです。

もうひとつは、【775】の「否定的な想念を出す相手」への対応についてです。(^^;ゞ

相手の否定的な想念に引きずられないためには、どう対処すればよいのかは、
多くの人がそうであるように、私のテーマでもあります。

それで、ピラミッド内で気付いたことは、以前にも、このブログで書きましたが、
縁があって私の周りにいる、否定的な想念が強い三人の女性(母、家内、職場の女性)の魂を浄めることが、
私のこの世での役目だということなのです。
【注】否定的な想念は、「不安先取り型の考え方」から生まれてきます。

これに気付いたのは、ピラミッド内で、4時間ほど瞑想した時です。
そのとき私は、自分の「存在理由」が分かった気がして、目頭が熱くなりました。

そして知らないうちに、「五井先生、このような天命(役目)を与えてくださって、ありがとう御座います。」と、つぶやいていました。(^^;ゞ

この気の強い三人の女性との縁については、このブログの中で考察して、それなりに気付いていたのですが、
「自分が浄めるのだ」という視点からは捉えておらず、身近な真実として、納得出来ていませんでした。

これが明確になったのは、ピラミッドに入ったからだと思うのです。

「自分の天命」が明確になりますと、「覚悟」も出来ますので、今後はブレることなく、
相手の否定的な想念に対しても、「世界平和の祈り」で受けて、流せると思うのです。(*^_^*)

こういう「内面的な、魂の計画」は、西洋占星術では説明できないかも知れまないと、今、思いました。(^^;ゞ

今は特に、「家内」の否定的な想念にどう向き合うのかが、私の修行でして、
この実践を通して、人類を浄めるぐらいの気合(笑)がいるのだと思うのです。(^^;ゞ

【775】「否定的な思考」が悩みを作り出す(^^;ゞ

2006-09-21 21:51:00 | 経験
ピラミッド神事について、簡単に説明しますと、
『ピラミッド神事は、「自己の内に神を見る」を体験する5時間瞑想で、
 ピラミッド内は、本心の自分、聖なる自分、神なる自分と対面できる場』なのだそうです。

そのピラミッド神事での「気付き」の伏線は、富士聖地に向かうバスの中でのキキさん(私を「白光」に繋げてくれた人)との会話の中にありました。ですがそれは、あたり前といえば、あたり前なのです。(^^;ゞ

対話もピラミッド神事も、「本質的な解答」は、自分の中にあるからです。(^^;ゞ

キキさんと私が共に知っている講師さん(神戸在住)がいて、その方から私もキキさんも、
具体的なアドバイスをもらっていたので、バスの中では、自然とその話になりました。

その内容は、以前(昨年の8月頃)に書いたことがありますが、
パートナーが、否定的な想念(怒り・業)を振りかざして(笑)、何かを言ってきたら、
その想念に敵対しないで、「あっ、そう」と言いながら、「世界平和の祈り」で、無批判、無評価で受け止め、
「すっと、後ろに流す」という方法(合気道に通じる)なのです。(*^_^*)

敵対するのではなくて、同じ方向を向いて、「消えてゆく姿」として流すのです。
「相手の業」を捉えると、「こちらの業」になり、「(交流分析の)ゲーム」に陥ってしまうという話をしました。

とにかく、「人間の悩み」のほとんどは人間関係であり、
それは「否定的な思考(想念)」によって、作り出されます。

■ それにしても、富士聖地の向かうバスのなかでの出会いは、いつも示唆に富んでいます。(*^_^*)

いままで、4回ほど富士聖地に行きましたが、その都度、
私が学ぶのに最適な「人」が隣の席に座られるのです。(^^;ゞ

富士聖地行きのバスに乗るたびに、「出会いは、偶然ではなくて、必然だ」と思うのです。

ピラミッド神事
http://www.byakko.or.jp/5_fuji/pyramid.html

【774】『食品の裏側』安部司著

2006-09-20 21:29:47 | 経験
『食品の裏側』安部司著を読みました。

安部さんは、かつて食品添加物の専門商社に勤めていて、トップセールスの企業戦士でした。
ある日子供たちが、自分が開発した「添加物まみれのミートボール」を、
美味しいと言って食べているのを目にして、自分も家族も、食品添加物の消費者だったことに気付きました。
主婦の役に立っていると思い、自分の生き甲斐でもあった仕事が、
日本人を不幸にする手助けをしているのだ気付き、翌日に辞職したそうです。

我が店の商品も、ほとんどは手作りなので無添加ですが、市販のドレッシングを使っていますので、
これからは、手作りのマヨネーズに変えていこうと思いました。

食品添加物には、それなりの利点もありますが、内容表示をしっかりと、チェックする習慣をつけて、
毒性のあるものは、出来るだけ摂取しないようにすることが大切だそうです。

最後のページの『加工食品のウソ・ごまかしを見抜く「安部式」添加物分類表』は、
とても参考になります。

「利益を得るためなら、食品添加物を多用する」という企業の考え方(精神)と、
消費者の、「便利で、美味しければよい」という考え方が結びつき、
日本人の心から、「食べ物を大切にする」という気持ちが失われた(「商品」になっている)ことが、
キレやすい人間を作っているのだとしたら、恐ろしいことです。【「食を軽く見た代償」(P210)】

安部さんは、「食べ物を大切にする子どもは、絶対に人をあやめない」と信じているそうです。

『楽しい絵たちとマンダラ展』

2006-09-19 01:19:09 | 私の彩墨画
『楽しい絵たちとマンダラ展』(07.1/4~1/8)の開催まで、
まだ3ヶ月以上あるのですが、もうかなり、展示ができました。(^^;ゞ

具体的に飾りつけをしてみないとイメージが湧かないので、やってみたのですが、
けっこう良い感じです。もう8割ぐらい出来ています。(*^_^*)

開催以前でも、前もって連絡をしてもらえれば、ご覧いただけますので、
大阪に来られる機会がありましたら、是非、お立ち寄りください。(*^_^*)
阿倍野(天王寺)から、近鉄南大坂線で15分の河内松原駅下車、北へ徒歩5分の『アリス』です。

tisokunaito@aol.com
 または、アリス【072-335-0016】(日・祝日を除く午前8時~午後8時)

★ ピラミッドに入ってきました。富士聖地はかなりの雨でした。大阪と違って、上着が要りました。
行きのバスの中での、キキさんの会話から伏線が張られていたりして、
さすが、神事(神さまごと)だと思いました。(^^;ゞ

少し入り組んでいますので、後日に整理して、書く予定です。

【773】ピラミッドに入ってきます(*^_^*)

2006-09-17 07:47:54 | 「白光」の教え
20代のころに、ヨガ道場で、当時はやっていたピラミッド瞑想をしたことがあるような気がしますが、(^^;ゞ
18日に、富士聖地のピラミッドに入ります。5時間の瞑想(統一)をするのだそうです。

F集会で2時間ほどお祈りをしただけでも、
1、2日間、『ほわっとして、無思考の状態』を持続できるのですから、
ピラミッド神事では、永続的な無思考状態が、起きるかも知れませんね。(*^_^*)

これはある意味で、「悟り」(無思考・感謝のみの生活)なのかも知れません。(^^;ゞ

ピラミッドに入る前の1週間は、特に、否定的な言葉を口にしないように心掛けることが大切なのだそうです。

日常でも私も、出来るだけ否定的な言葉を使わないようにしていますが、
周りの人を観察しますと、無意識に、否定的な言葉を使っているようです。

否定的な言葉よりも明るくて前向きな言葉を使っていると、気持ちも明るくなって、
ものごとがスムーズに進むと思うのです。

たとえば、伴侶に憎まれ口をきいたり、嫌みを言う人は、
そのパートナーを選んだ自分を、汚していることになると思うのです。

そして、自分を汚している人は、豊かな人生は送れないと思うのです。(^。^?

もちろん、「豊かな人生とは何か?」に 客観的なモノサシはないのですが、(^^;ゞ
「自分の選択は、間違っていた」と思うそのこと自体が、「幸福から離れている心」なのです。

ピラミッドに入いれるのは、守護霊さんの導きなのだそうです。
ありがたいことです。(*^_^*)

ピラミットのなかで、守護霊さんにお会いすることもあるそうですが、
あまり、先入観を持たないで、入ってきますね。

【772】守護霊さんが、やってくれる。守ってくれる。(*^_^*)

2006-09-16 05:08:42 | 「白光」の教え
竹内康益さんの、大阪支部での講話テープを聴きました。

守護霊さんに意識を向けていれば、守護霊さんが働きやすくなるなり、使える力が大きくなるので、
どんなことが起こっても、それは良くなるためであるから、「絶対に大丈夫だ」と思って、
否定的な考えを持たないでいれば(思考停止する)、結果は「必ず上手くゆく」という話でした。

毎日、守護霊さんに祈っていて、日常も、祈りのなかにあれば、
守護霊さんが悪い結果を出すはずはないのでして、(^^;ゞ

ただただ、守護霊さんを信じて、常に祈り、否定的な考えをしないで、
日常を送れば、必ずよい結果になるというのが、「白光の教え」なのです。

ただ、問題は、それを『今すぐに実践出来るかどうか』です。

そして、その実践とは、「必ず上手くゆく」と『今』、思えるかどうかなのです。
疑わないで実行できれば(笑)、これほど単純で効果のある方法はないのです。

先週の土曜日に、どう考えても残りそうな大量のご飯とおかずが、
三本の電話で、スッカラカンになったという話を紹介しましたが、
高い次元を司る守護霊さんの能力ならば、そんなことも可能なのでして、
問題は、守護霊さんに意識を向け続けていることが、できるかどうかなのです。

この事実を、裏から考えれば、「私の信仰心」は、試めされていたです。(*^_^*)

別の見方をすれば、自分の猜疑心で、自分の信仰心を曇らせていたのです。(^^;ゞ

「白光の教え」とは、『守護霊教』なのだそうです。
守護霊とは、「大いなる自分」のことなのですから、
「白光の教え」とは、「大いなる自分教」であり、我即神也教なのであります。(*^_^*)