『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【2020】食が、元に戻りました(^^;ゞ

2009-03-31 04:38:33 | 思索
★昨日、食べることが「断食の前」に戻りました。(^^;ゞ

というか、サクマさんや家内にも言われた「無理をしないでくださいね」が、
心に響いて、『不食』という言葉から自由になりました。(^^;ゞ

そして、普通の便が出ました。(^^;ゞ

★というのは、「私の食」には、普通の人とは違う側面があるのです。

「商品の和風惣菜」があまり沢山残ると、店のおばちゃんの機嫌が悪くなる
という事情があるのです。

私が食べることによって、「調和させた」(笑)のです。(^^;ゞ

そしてそれは、塩分やミネラルやビタミンなどは、『完全な不食』でも、
本当に供給されるのだろうか?」という私の心配を埋めてくれることでもあったのです。

私は、自分の人生で、『不食』の実験をする必要はないと思ったのです。

もっと、おおらかに生きた良いと思ったのです。 (^^;ゞ

【2019】「自分の嫌悪感(感情)」を利用する

2009-03-31 04:08:28 | 思索
「感情」も「消えてゆく姿」なのですが、

「自分のなかの真理(真実)を実現するために、
「自分の感情」を利用することは、「あり」(笑)だと思うのです。

それで、今の私がお勧めしたいのは、

難しく考えないで、一時的に「胃袋を空っぽにする」ことを経験して、
その「爽快感」を味わって欲しいということです。

「断食」という言葉には重い響きがあって、
困難なこと(無限なる可能性!)というイメージで捕らえがちですが、
一日だけでも、固形物を食べないで胃腸を空っぽのしてみて、
その快感を味わってみませんか(^。^?

【2018】「おいしそう」も「消えてゆく姿」!

2009-03-30 04:33:13 | 思索
娘と孫が帰ってきているので、自分の料理をふるまうのが好きな家内が作ったおかずが、
台所に並んでいました。おでんや、豚バラ丼などです。(^^;ゞ

普通は、それを見て「おいしそう」だと思い、「食欲」に結びついて、
「食べる」という行為になります。

今の私も、一応「おいしそう」だとは思う(笑)のですが、
おでんも豚バラ丼も「それは、その味に過ぎない」と思えるので、
特に「食べたい」とは思わないのです。(^^;ゞ
(「空腹」を感じてもいませんし)


山田さんの著書にも書いてありますが、

多くの人たちは、「食べていない状態(胃袋が空っぽ)の爽快感)」を知らないので、
「食べたときの快感」と「食べていない状態の快感」を比べることができずに、

ついつい、とりあえず食べてしまうのです。(^^;ゞ

つまり、「卑しい」(笑)のです。
(この「卑しい」は「否定形」ではなくて、事実の確認です)(^^;ゞ

今の私は、「空腹を感じることなく、食べていない状態の爽快感」を感じ続けている状態ですから、
「固形物を食べたい」とは、ますます思えないのです。

「今の私の気持ち」は、やたらと(笑)、「消えてゆく姿」(把らわれない心)なのです。(*^_^*)

【2017】「食欲」は、「消えてゆく姿」か?

2009-03-30 04:04:18 | 思索
「食欲」も想念なので、「消えてゆく姿」なのですが、
食べなければ、「食欲」は消えないと、私たちが思っているので、
ついつい食べてしまうことになります。

けれども、自分の「食欲」を観察してみますと、
時間が経つと感じなくなっていることがあります。

たとえば印を組んだ後には、消えます。

「食欲」は、「消えてゆく姿」なのです。

【2016】「食欲」と「ライトボディー」(より少なく食べることを、快適とする)

2009-03-30 03:47:31 | 思索
「食欲」が消えたことと、「ライトボディー」になったことには関係があるのでしょうか?

微妙な問題だと思うのです。

自分の体は、自分の思いが作っているのですから、
同等(イコール)かも知れません。(^^;ゞ
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★もともと人間の体は、「ライトボディー」なのですが、それを人間が、
「肉体は、食べなければ維持ができない」と考えたことが、
間違いだったのです。 真理から外れていたのです。(^^;ゞ

「食欲」というのは、想念です。

「想念」だから、「消えてゆく姿」なのです。

「味覚」も、「消えてゆく姿」なのです。

「消えてゆく姿」に把らわれると「不調和」が生じるのは、
ご存知の通りです。(^^;ゞ

「縁があって浮いてきた業想念の姿」には取り合わないで、やり過ごせば良いのです。

取り上げなければ、消えてゆきます。(*^_^*)

【2015】人生のテーマは、事象はなくて、『今をどう生きるのか!』(*^_^*)

2009-03-29 07:17:27 | 思索
『不食実践ノート』(山田鷹夫著編集)はとても良い本です。
今の私に、とても参考になります。

まず、まったく疲れなくなりました。
先日も、午前0時半に目を覚ましてから、その日の午後9時半までの21時間、
ずっと起きて活動をしていましたが、「疲れた」とも「眠たい」とも一度も思いませんでした。(^^;ゞ

というか、「疲れた」とか「眠たい」いう想念(否定的?)が湧かないのです。(^^;ゞ

人間は、「疲れたら、その場で休めば良い」(無限なる供給・架眠)だけなのです。
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★『不食』になってみてわかったことは、「いままでの自分」は、
本当に一から十まで、「自分の思い(欲)」に振り回されて生きてきたということです。

そして、『不食実践ノート』を読んで、
自分が『不食』になったことが凄いことだとは、思わなくなりました。

『不食』が、人生の到達点ではないのです。(^^;ゞ

人生の目的が『不食』ではないのです。(^^;ゞ

問題は、「今をどう生きるのか!」だったのです。

すべての人の「人生のテーマ」は、クオリティーオブライフだったのです。

『不食』か『非不食』かではなかったのです。(^^;ゞ
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★『不食』であれば、「不死の身体」である。

「過食」であれば、「老化がある」という法則の中に、
私たちはいますよ、ということなのです。(^^;ゞ

私たちは、どちらを選んでも良いのです。(*^_^*)

『微食』で良いのです。(p192)


★私たちは、「食べ過ぎる」と『クオリティーオブライフ』が得られないという法則の世界に住んでいるのです。

それを理解して、人生(微食)を楽しめば良いのです。

何事も、「楽しんでやる」のが正しい方法なのです。

【注:架眠は、その時々で、疲れたら(煮詰まったら)、仮眠をする(意識を断つ)という意味の、
山田鷹夫さんの造語です。

【2014】「空腹」をまったく感じなくなりました

2009-03-29 02:37:14 | 思索
どういう訳だかわからないのですが、
下の歯の歯茎が、少し痛くなってきました。(^^;ゞ

今日の朝には、口の中で変な匂いがし、
その後は、歯と歯の間に何かが詰まっている感じがしていました。

急に痩せすぎた(4キロぐらい)せいかも知れませんし、

2週間ちかく「噛むこと」をしていないので、
噛む力(歯茎の筋力?)が弱くなっているのかも知れません。

それで今、ガムで噛む力を養っています。(^^;ゞ

いままで経験したことない「12日間の断食体験」なので、
色々な「消えてゆく姿」が起きますが、『不食』が正しい方向だと思いますので、
恐れないで、この道を進もうと思います。 (*^_^*)

★それにしても、「空腹」をまったく感じなくなりました。(^^;ゞ

歯茎が痛いのは、肩が凝っているからかも知れません。 (^^;ゞ

【2013】なにもしないで、意識を自由にする時間を持とう

2009-03-28 00:31:47 | 思索
『断眠』を読みました。この本を読んだ感想は、
2005年の6月にも書いたと思いますが、

「なにもしないで、意識を自由にする時間を持とう」(p100)ということが、
とても良くわかります。

それは、「大いなる意識」につながる感覚であり、
「集合意識」にアクセスすることなのです。

つまり、「世界平和の祈り」(「統一」)をすることなのです。(^^;ゞ

プログ内を『断眠』で検索してみて、当時の記事を読んだのですが、
自分が『不食』になることを予感(笑)するような内容でした。(^^;ゞ

★昨日は、断食の11日目でした。
 コーヒー(インスタント)を美味しいと思わなかったので、お湯だけで一日を過ごしました。

胃袋が小さくなったからだと思うのですが、一回も「空腹」を感じず、それが普通の状態なのです。

「味」に興味がなくったという感覚です。

11日間、噛むことをしないので、あごのだるさを感じました。それで、
長時間ガムを噛んでいましたら、違和感が消えました。(^^;ゞ


【2012】固形物を食べないで過ごせれば、それに越したことはない

2009-03-27 04:16:42 | 思索
★家内や職場の女性には、一応『不食の身体』になったことを説明しておいたほうが良いと思って、
告白をしたのですが、ご両人には「心情的(信条的)に理解ができない」面があるので、
批判的な言葉をいただきました。(^^;ゞ

返って、あまり宣言をしないで、『不食』を実行したほうが良かったのかも知れません。(^^;ゞ

幸い私は、他人と飲食を共にする機会がないので、
『不食』を実行し易い環境で良かったです。

守護霊さんが用意してくれていた環境だと思いました。
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★甲田氏の本を読みますと、10日から2週間位で宿便が出ると書いてありましたので、
とりあえず、来週の中ごろまでは、ほぼ完全な『不食』をしようと思っています。

昨日と一昨日は、『不食』でしたが、その前の日には、豆腐と肉じゃがの汁を少し食べました。
このあと、ちょっとした下痢がやってきて、お腹がすっきりしました。

あと、昨日「きゅうりの酢の物を作ったあとの汁」を少し飲んだあとも、液状の便が出ました。

その他に、この10日間で食べたものは、菓子パン一個と、大福餅一個です。

胃腸が敏感になっているので、何かを食べると、それに対する反応がすぐ出ます。

「何が起こるのか?」という不安や、
「自分の体は、どうなってしまったのだろうか?」(笑)とも思うのですが、

これが「私の信じる道」なので、自分を信じて歩もうと思います。(^^;ゞ
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★あと実家に帰ったときに、あれこれと食べ物を勧めてくれる弟と母に、
 どのように説明をして、『不食』を理解してももらおうかと思案中です。(^^;ゞ
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★今の思いを言葉にしますと、
 「食べることに興味が湧かない。卒業をした」です。

ずっと食べないでいると、そういう気持ちがますます強くなってきます。

「美味しいという刺激」・「味の刺激」から遠ざかっているので、
「味の感覚」に対しての興味がなくなってきたのです。

それで、
「さほど美味しいとも思えないものを食べて、体調が悪くなるのは嫌だ」という思いになり、
ますます、『不食』が続くのです。(^^;ゞ

「固形物を食べることは、苦労を背負い込むこと」(笑)という思いもあります。

「固形物を食べないで過ごせれば、それに越したことはない」と、今の私には思えるのです。

【2011】『断眠(人は眠らないとどうなるのか?)』山田鷹夫著(三五館)

2009-03-26 01:27:43 | 思索
昨日は、午後10時過ぎに就寝したのですが、午前12時に目が覚めました。

山田鷹夫さんの『断眠』に、「不食」になると、睡眠時間が大幅に減ると書いてあったと思うので、
そのことも、臨床的に検証しようと思います。

今日、その本が手元に届くと思います。
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★【人は眠らなくても生きられる。断眠は、人生を変える「大いなるチカラ」だ! 「人は食べなくても生きられる」の実践思想家が、最新自己実験&理論で、断眠への道程と断眠が可能な根拠を提示する。「断眠&不食日記」も公開。】


不食・断眠実験

【2010】「ヒマラヤ聖者」の能力に、一歩近づいたのか(^。^?

2009-03-26 01:23:08 | 思索
ネット上に、『神々の食べ物』の一部がありましたので、
本をお持ちでない方のためにお知らせします。
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【レベル3の生命体は、地球資源の多くを必要とせず(もしその人が望むならば)物質的な食物を摂らずに、身体の健康を維持し、病気にかかることなく生命を維持することができる。

レベル3の中には老化の進行や、死からも解放される人々がいる。レベル3の生命体は超常的な能力の多くを使い、脳波のパターンをシータ-デルタ波の領域に保つ傾向がある】


 【この段階で、私たちのもつあらゆる疑問はすべて消える。内なる存在が非常に力強い栄養で満たされ、飢えを感じなるなる。肉体はたくさんの光、愛、聖なるエクスタシーで満たされ、すべての細胞は形をもった本物の神の領域で振動する。

 感情体は無条件の愛の存在に満たされ、
創造の美と完璧さと広大さで深い認識と畏敬の念を経験する。

 シンクロニシティや調和の流れによる魔法や偶然の一致が当たり前になる。
 神々の食べ物は脳のパターンがデルタ場内で深く共鳴しているときに体中に届けられる。

 慈悲深く奉仕する方法を学び、この地球で自分の役割を完了してシータ-デルタ波にしっかりと定着している場合、私たちは本当の神々の食べ物である愛に満たされ、純粋な愛の帯域に溶け込み、圧倒されて肉体から離れたくなります。

すなわち私たちはアセンションし、
肉体を離れて純粋な光の領域へと上昇する機会を与えられる】


『神々の食べ物』

【2009】「カルマ」が切れて、とても便利な体になった(^。^?

2009-03-26 00:58:30 | 思索
「不食」は、とても便利です。(^^;ゞ

「何を食べようか?」と考える必要はないし、
買い物に行く必要はなし、調理もしなくていいのです。(^^;ゞ

まさに、「食」からの開放です。(*^_^*)

ただ、「美味しい物」から遠ざかってしまうのは多少残念ですが、(^^;ゞ
それもまた、「私の人生」の青写真(「消えてゆく姿」)なのでしたら、
受け入れるしかありません。(^^;ゞ


★いまのところは、固形物を食べると身体的な違和感(下痢や胃のもたれ)があるので、
特に食べようとは思わないのですが、いずれは、少し位なら食べられるようになるのかも知れません。

★いまの心境(?)は、
「さほど、美味しいとも思えないものを、一時的な興味で無理して食べて、
体調不良(胃のもたれ)になりたくない!」です。

別の側面からいうと、「空腹感」がないので、それを満たそうという欲求(食欲)が起きないのです。

つまり、「食べない状態がベスト」なので、
それを壊してまで食べようとは思わないという心境なのです。(^^;ゞ


★この頃の私は、「不食の身体になった自分が、世界(世間)を見る」という経験をしています。
実に新鮮です。 世の中が、とてもシンプルに見えます。

すべての人が、私のように「食」から離れたら、これまでとはまったく違った社会が形成されると思うのです。


よろしかったら、『不食(人は食べなくても生きられる)』山田鷹夫著(2004年12月刊行)や
『不食実践ノート』(2006年刊行)をお読みください。


★食以外のことで、その時その時に、自分のしたいことをして時間を過ごしているので、
とにも集中して、エネルギッシュな日々を送ることができています。


★私の知識で解釈しますと、「世界平和の祈り」や印などの行をすることによって、
「私のカルマ」が切れて、「アセンション(次元上昇)」が起きたのだと思うのです。


★「我即神也」とは、「自分が、無限なる可能性を顕わすこと」ですが、
 その能力のひとつが『不食の身体』なのです。

【2008】神人誕生・チャクラが開く?

2009-03-25 03:19:16 | 思索
『不食』になって6日目なのですが、空腹感もなく、心身ともにとても快適です。
むしろ、力が漲ってくる感じがして爽快です。

もう、「食べる世界」には戻らない気がするのです。(^^;ゞ

今日は大福もちをもらったので、食べてみたのですが、
胃にもたれた感じがして、とても気持ちが悪かったです。(^^;ゞ

それで益々、「固形物はやめておこう」と思うようになりました。(^^;ゞ

★良いとか、立派とか、特別とかいうことではなくて、
印や呼吸法や「世界平和の祈り」をし続けていると、
「不食の体」になるのだと思うのです。(*^_^*)

そのことが、私の体で証明されたのだと思うのです。(^^;ゞ

予感はあったのですが、まさか本当に「自分の体」に起こるとは思いませんでした。(^^;ゞ

ですが『不食の体』になってみると、「やっぱり、そうだったのか!」と思えるのです。(^^;ゞ

「固形物を食べない、これからの私の人生」は、どのようなものになるのでしょうか(^。^?

多少の不安はあるのですが、楽しみです。(*^_^*)

★現在の私は、10時ごろに寝ると、2時半位に目が覚めます。
 昨日も沢山の仕事をしたのですが、「疲れた」とは一度も感じませんでした。

仕事の合間に2回ほど、『起床時の呼吸法の唱名』をし、
時間があるときには、「呼吸法の人類即神也の印」を組みます。
体重は、51キロになりました。

あと、水(お湯)を沢山飲んでいます。

【2007】「世界平和の祈り」を知らせることが、最高の菩薩行!

2009-03-25 02:59:00 | 思索
以下は、菩薩行のひとつである「布施」についての文章です。
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『布施とは、自分の財産や体、徳などを、少しも惜しまずに快く施す姿勢のことです。

富や財産を与え、さらに、こうした施しによって積んだ功徳もまた他者に回向しなければいけません。

布施の行は、なにも衆生の貧しさを根絶やしにするためのものではありません。
寛大な態度をきわめたときに、この行は完とうされます。

どの仏典も、寛容の心を育てること、とりわけ自分の体を他者に捧げることが、
いかに大切かを説いています。

財産についても、同じことが言えます。

財産に執着すれば、物を惜しんでますます不徳の行いを重ねてしまいます。

しかし、財産を人に託せば、何かの役に立ちますし、
布施の行も充実します。

こうして他者に施すことによって積まれた功徳もまた、
他者のために捧げなければいけません』(p200) 『瞑想と悟り』(ダライ・ラマ十四世著)
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★この中の、『他者に施すことによって積まれた功徳もまた、
他者のために捧げなければいけません』が気になりました。(^^;ゞ

功徳を他者に捧げてしまったら、せっかく一生懸命に、
天国に積んだ「私の徳」が減ってしまう(笑)と思いました。(^^;ゞ

私は、「すべての執着から離れたい」と思っているはずなのですが、
「自分が積んだ徳」にはこだわりがあったのです。(^^;ゞ


また、以下のような文章もありました。
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『何を与えるにしろ、他者の役に立つものでなけれがなりません。

布施の行は、他者のためにしなければなりません。

『もし、何かを手放せずにいる自分に気づいたら、
物質的な財産がいかにむなしいものなのかをよく考え、
自分の命のはかなさも自覚してください。

物質に把らわれたまま死ぬよりも、さっさと、それから解き放たれて、
財産を人に与えれしまうほうがいいでしょう」(p203)
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★「他者の役に立つもの」の中で、最高のものは「悟り」だと思うのです。

それで、手前味噌になって恐縮ですが、
「世界平和の祈り」をしてもらうこと、神人になってもらうことが、
『最高の菩薩行』だと思うのです。

【2006】「白光」や「維持会員」とは、心の風景

2009-03-24 05:36:54 | 思索
「日本」という国家の概念が、人間の心の中にしかないように、
「白光」というのも「維持会員」というのも、概念に過ぎません。

「白光」や「維持会員」というものが、断固として客観的に存在するのではなくて、
自分の心に映っている姿です。

それで、【2003】~【2005】で書いたことは、
「白光」でなければダメだとか、「世界平和の祈り」でなければダメだとか、
「白光の維持会員は良い」とかいう話ではないのです。(^^;ゞ

・・・・・・・・・、よろしく、お願いします。(^^;ゞ