『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【225】「永遠の生命」

2005-06-06 21:58:10 | 「白光」の教え
お金も財産も、あの世には、持っていけないのです。
人間というのは、「想い」が一番大事なのです。「想い」で、すべてが決まるのです。

100年の肉体の生活というのは、「永遠のいのち」の流れからみれば、本当にわずかな期間なのです。

ですから、この肉体人間の期間だけを良くしようと思って、お金を貯めたり、享楽して楽しもうという考えは、「あさはか」なことであり、その人の魂にとってはマイナスなのです。「いのちの経験」が積まれていないので、「魂の成長」にならないのです。

いくら楽しんだり、いくら遊んだりしても良いのですが、根本としては、『「永遠の生命」を自分のものにするために、「永遠の生命」のために働かなければいけない』と、私は説くのです。

 【特選五井先生ご法話集テープ010『あの世の話』】

【224】「いのちの経験」と「魂の年齢」

2005-06-05 22:19:19 | 「白光」の教え
★この「法話テープ」では、「霊体の存在感」についての質問に、五井氏が答えておられます。
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魂は、霊波動であり、「肉体という場」で、その想いが現れるのです。想ったことが、肉体界に形となって表われるのです。けれど、その肉体界に表われたものは、「真実の姿」ではないのです。「真実の姿」というのは、、「光(神のみ心)」が、肉体界に表われることなのです。

「時間」は、「想い」が創っているのです。
アメリカまで、「想い」では一瞬に届きます。テレパシー(精神伝達)でなら、時間が掛からないのです。肉体は、時間が掛かるのです。それは、肉体界の波動が荒いからです。
(メールは、瞬時に届きますね)

霊界には時間がない。それで、霊はどのように「歳をとる」のかと言いますと、
霊界では、「いのちにプラスした有益な経験」が、「魂の経験」になり、霊的な年齢になるのです。

人のために尽くした経験のない人は、「魂の経験の少ない人」なのです。
そのような人は、「精神的に幼い」のです。

15歳でも、色々な困難を乗り越えて、「魂の経験」をしていれば、精神的には高年齢であり、80歳でも、自分のことだけしか考えたことがなく、のほほんと生きてきた人は、「魂の年齢」が幼いのです。

自分だけが楽しんで、美味しい物を食べていても、「いのちの経験」には、ならないのです。
そういう無駄なことばかりして、長生きしても、「魂の年齢」には、マイナスです。
成長できていないので、何回も輪廻転生して、上の世界に登れないのです。

すこしでも人のためになるとか、自分の学問や技術を磨くとかしないと、「いのちの経験」にとってのプラスにはならないのです。

それで、一番「いのちの経験」にプラスになって、大事なことは何かというと、
人類のために、「神のみ心」がこの地球界に表われるように働くことなのです。
それが、「世界平和の祈り」なのです。

 【特選五井先生ご法話集テープ010『あの世の話』】

【223】生まれてきた意味と、生きている甲斐

2005-06-04 22:01:08 | 「白光」の教え
「自分のいのち」を輝かせることが、生きている甲斐なのです。(*^_^*)

ああだ、こうだと考えて「心を痛めている」ことが、一番いけないのです。
ああだ、こうだという「想い」が出て来たら、すかさず、「世界平和の祈り」を唱えれば良いのです。そうしますと、「ああだ、こうだ」が、途切れてしまうから、都合が良いのです。(*^_^*)

他人との比較は、どうでも良いのです。比較する必要はないのです。「ああだ、こうだ」と考えないで、自分が立派に生きれば良いのです。すこしでも、人のためになって生きられれば、それで良いのです。(*^_^*)

いろいろなことを、やってしまったり、やられたりしますが、因縁があるのだから、仕方ないのです。

因縁(業)が切れなければ、やることはやるし、因縁(カルマ)があれば、起こることは起きます。因縁(カルマ)が消えれば、起きなくなります。

業(カルマ)によって起こるのですから、どうしようもないのです。
その業(カルマ)把われない方法が、「世界平和の祈り」なのです。

 【特選五井先生ご法話集テープ010『あの世の話』】

【221】『シンフォニー・オブ・ピース・プレヤーズ』と富士聖地

2005-06-02 21:58:41 | Weblog
5月22日に、富士聖地で行なわれた『シンフォニー・オブ・ピース・プレヤーズ(地球交響曲)』という祭典に参加しました。

色とりどりの世界各国の国旗がはためくなか、約1万人が集まり、宗教、宗派を超えて、共に世界の平和を祈る行事が、『シンフォニー・オブ・ピース・プレヤーズ』です。

「世界平和の祈り」50周年の節目に、五井氏の願いが叶い、世界の宗教者が富士聖地に集まり、各宗派の方法で、「世界平和の祈り」が出来たことは、人類史上、記念すべきことのように思われます。(^-^)v

「世界平和の祈り」を知って、1年余りの私が、このような場面に立ち会えたことは、偶然なのか、守護霊さんの計らい(笑)なのか、肉体の私には判断が出来かねますが、感謝です。(*^_^*)

1年半前には、「世界平和の祈り」の「せ」の字も知らなかった私が、どうして富士聖地にいるのか?  誰が、導いたのか?(*^_^*)

富士聖地に行くのは、3回目でした。今回は、「神界というのは、富士聖地のような所だろうなあ」という印象を持ちました。

富士聖地が、「特定の、高い波動の場」いうこともあるのでしょうが、「世界平和の祈り」を祈るために、全国から集まってこられた方々に共通の波動が、「神界の響き」に感じられました。(*^_^*)

「世界平和の祈り」の精神ですね。
そういう方が、1万人もいらっしゃることに、感激ました。(*^_^*)

行事の来賓には、漫画家の美内みすずさんや、地球交響曲の龍村監督も、
おいでになっていました。


【シンフォニー・オブ・ピース・プレイヤーズ】

【世界平和の祈りと聖フランチェスコの祈り】

【220】自己の中に一切があるのだから、必要なものは与えられる

2005-06-01 21:27:37 | 「白光」の教え
『自己の中に一切があり。一切の中に自己がある。』のです。

自分とは、「神から、分かれた」という意味です。
「自己の中に一切がある」ということは、「自分とは、肉体ではない」と知ることです。「肉体の中に、自分がいる」のではなくて、「自分の中に、肉体がある」と知ることが大切なのです。

宇宙神のみ心の中に、「本当の自分」があるのです。

自分というものを、さかのぼっていきますと、肉体波動から、霊波動、神波動になっていって、宇宙神の中に入ってしまうのです。ですから、宇宙神の中に自分があり、一切があるのです。

人間がこの世に生まれてきて、一番知らなければならないことは、「自分は、宇宙神から分かれて来たものだ」ということです。それを分からないうちは、「本当の幸福」は得られないのです。

「本当の幸福」、「不動の幸福」とは何かというと、「自分は、神さまの中にいるのだし、自分の中に神さまがいるのだ」と分かることなのです。

それを知るために、肉体人間の生活をして、色々な苦しみを体験するのです。
そして、「人間は、肉体ではない」のだと分かってくると、「本当の幸福」がくるのです。

それが分かるまでは、「本当の幸福」はありません。
いつも移り変わっている幸福は、「本当の幸福」ではないのです。

失敗すれば不幸だし、成功すれば幸福と感じるは、「消えてゆく姿の幸福」です。それは「本当の幸福」ではないのです。

「本当の幸福」は、波のあるものではないのです。
その人の心の中に波があるうちは、悟っていないのです。

悟ってしまうと、「波がなくなる」のです。
悟るにしたがって、喜怒哀楽の波が少なくなってくるのです。

悟った人の心の中は、「活き活きとしていて、静か」なのです。

「本当の祈り」とは、すべての自己の運命を、良いも悪いもすべて任せて、「神さま、ありがとうございます」と全託することです。

「自己の中に一切がある」のだから、必要なものはかならず、神さまから与えられます。神さまに投げ出して、与えられないことは決してないのです。

「肉体が、一番大事」ではないのです。(*^_^*)

この体が消えても、霊体も神体もあるのです。微妙な、光そのもの体(からだ)があるのです。ところが、肉体界では、光と業想念が混ざっているので、
把われてしまうのです。業想念は、「消えてゆく姿」なのです。

そして、「世界平和の祈り」に中に入っているうちに、肉体要素が霊要素に変わってきて、肉体を持ったままで、「霊体」と同じようになるのです。

そのようになれば、「肉体」に把われていないのですから、死んでも、す~と、神界に行け、楽なものです。

ですから、一生に一回は「世界平和の祈り」のことを知らせないといけないのです。そうすれば、ある時期になれば、す~と、入って来られるのです。

 【特選五井先生ご法話集テープ009『生命を活かす』】