『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【2737】情感豊かなこと(ふわっとしていること)が、人生の豊か、深さ。(万葉集と仏教の世界観)

2010-08-29 06:34:29 | 思索
最近、やることのない私(笑)なのですが、
先ほど『こころの時代』の『天平の言霊を見つめて』(上野誠氏【奈良大学・体で感じる万葉集】)で、
万葉集と鑑真和尚の身体性の話を聴きました。

結論は、
『情感豊かなことが、人生の豊か、深さ(価値)』ということで、興味深かったのです。
一理あると思いました。(^^;ゞ

上野さんの「他の言葉」は、

★自分の死んだ後に残るのは、言葉だけ!

★体感で、理解が深まる。

★万葉集と鑑真は、同じ時代。

★鑑真和尚の説いていた「仏教(宗教)」とは、
「あなた自身は何をするのか?」という身体性のことであり、
「言葉の力(言霊)を実現させる理想主義」というのは、
『果因説』のことだと、私は思いました。

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★9月5日(日)、【地球交響曲第7番】(最新版)が、
天王寺区民センターで上映されます。
12時からと5時からです。(1000円)

★「第七番」のキーワード ―
変えられないことを受容する落ち着き、変えられることを変える勇気、
その二つの違いを見分ける賢さ 

http://www.gaiasymphony.com/bu/co_guide7.html


【2736】「人生は、流れる雲の如し」=「我即神也」

2010-08-27 05:59:09 | 思索
「人生は、流れる雲の如し」(タオ)ということが、少しわかってきた感じです。(^^;ゞ

時間があれば、「統一」をしたり、印を組むという日常生活をしていて、
あとは「何事も経験だ」と達観できれば良いと思うのです。(^^;ゞ

それが『出会うものすべてが、自己である』であるという生き方(あり方)だと思うのです。

それを、頭で理解するだけでなく、実践する方法が、「消えてゆく姿」で「世界平和の祈り」なのだと、
このごろ、思います。(*^_^*)


★いままでは、どういうわけだか、朝に行をしなければならないと思い込んでいましたが、
それも外して、昼間でもいつでも、「統一」をしたり、行をしたりするようにしたので、
「行じること」からも自由になれました。(^^;ゞ

「しなければならない」と思ってする行は、本末転倒だと思うのです。(^^;ゞ


★白光真宏会 大阪支部のサイトに、今年の7月までの講話会がすべてアップされましたので、
是非、一つでもお聴きください。(*^_^*)

初めての方は、竹内 康益さんの講話とかが良いかもしれません。(^^;ゞ


白光真宏会 大阪支部(ライブラリ→大阪支部講話会)
http://byakko-osaka.in.coocan.jp/

【2735】『出会うものすべてが、自己である』その2

2010-08-26 06:14:35 | 思索
★『出会うものすべてが、自己である』という言葉は、実に過不足がないと思うのです。 

他人を見ているときは、他人であり、個物を見ているときは、その個物であり、
その映像が広がっている意識が、自己なのです。

意識を自己と呼んでいるのです。

「考え」が、自と他を分けるので、「考え」が無いとき(思考停止状態)には、自と他は一体なのです。

このごろの自分の日常の感覚も、そのような感じなのです。

思考が消えているときには、自分がないのです。


内山興正さんが『出会うところ、我が人生』と言われているのも、このことだと思うのです。

★「統一」をして、諸事を「消えてゆく姿」とみて、流れる雲のごとくに、
 把らわれないで、飄々と生きるというのが、「白光の教え(TAO)」であると思うのです。

【2734】『出会うものすべてが、自己である』(*^_^*)

2010-08-25 05:54:27 | 思索
確かに考えてみますと、『個人などというものは、この世界のどこにもない』です。(^^;ゞ

『自分の意識という感覚』があるだけです。

すべては、『自分の感覚(考え)』なのであり、それしかないのです。(^^;ゞ

池田さんの 文章の中から、いくつかを書き出してみます。

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★「自分である」ということは、実はそれほど自明なことではない。
 端的な直感として、自分は自分である。

しかし、自分の「何であるか」を知ろうとして、そのまるっきり不分明であることを、たちまち人は知る。


★自分が自分であることを自分によって証明することは、不可能であるか、無意味である。
そこで彼らは、自己証明のための他人や社会といった外的契機を求めることになるのだろう。

★人が、自分を自我と同一とするとき、空疎であるか、耐えられないと感じるのは、、
 自我というものがその本姓上、世界と自分とを対立するか、別のものと捉えるための形式だからである。

世界、すなわち、さまざまな人格としての他者たちm変転してやまない諸事情、あるいは雄大なる天地と自然、
そういった世界の内実としてのそれらのすべてを、「自分でないもの」「自分とは別のもの」とすることによって、
自分であるような自我は、したがって「孤独」である、 自分以外には「何もない」。

その本性が否定的であるところの自我としてのみ居ることは、苦しいことに違いない。


★じつは性格とは、それ自体で自律した存在、自分から独立した他者ではなかろうか。
自分の性格とは、自分にとっての他者なのではなかろうか。

【2733】『個人などというものは、この世界のどこにもない』

2010-08-24 05:53:25 | 思索
片付けをしていたら、『個人などというものは、この世界のどこにもない』と、
私の文字で走り書きし池田晶子さんの本のコピーを見つけました。

池田さんの思索(言葉・文章)は、とても示唆にあふれていて、私の思考を更深く誘ってくれます。

ただ、池田さんの文章(考え)と、私の考えが、交差しない部分があるような気がするのです。

それが何なのかを、言葉(考え)で捕まえたいのです。(^^;ゞ


何が、「論点のすれ違い」なのでしょうか?

それとも、「論点のすれ違い」はないのでしょうか?

【2732】『客観的事実≠経験≠不幸』『人間は「セルフイメージ」と「主観的事実」を生きている』

2010-08-23 05:20:36 | 思索

★『日本にもう二度と秋は来ない2』には、恐るべき未来像が列挙されています。

ただそれが、どれほど優れた推測だとしても、「今の思い(考え)=言葉」です。

個人的には、主観的事実(イメージ)であり、人類的にも共同幻想的事実(イメージ)です。


「恐るべき未来=不幸」ではないのです。


★『災難に遭う時には、災難に遭うのがよろしく候』なのですから、「何が起きても良い」と考えるしかないのです。(^^;ゞ

「何が起きても良い」という心境こそが、「意識のアセンション(次元上昇)」なのです。


ただ、『災難に遭う時には、災難に遭うのがよろしく候』は、「自分の意識(心境)」を対して使う言葉ですから、

「他人」に使うことは出来ません。 「他人の意識」は、その人自身の自由です。(^^;ゞ


★「人間の生は、謎である」のですから、人生には「頭で考えた、言葉による、理性的な解答」はないのです。

「生=生命エネルギー」の活動としての「私の人生」とは、私の思っている「私の人生」です。

所詮、「自分のイメージ」です。


私たち人類は、「自分のイメージ」を生きているのです。 「自分のイメージ」という意識からは出れないのです。


★「自分が、自分だと思っている自分」は、セルフイメージ(自身のイメージ)です。 
私たちは、「セルフイメージ」と「主観的事実」を生きているのです。

私たち人間は、「自分のイメージ」の中で、「セルフイメージ」と「主観的事実」を生きているのです。


★損も得も、良いも悪いも、サバイバルも被害も、生も死も加害も、
人間の頭の中の「言葉」による判断です、その人自身の「イメージ」です。

どのような経験(事実)も「主観的事実」です。 

「事実=経験=不幸」ではないのです。

『客観的事実≠経験≠不幸』なのです。


★歴史的事実(言葉で語らえれた事柄)は、「過去に起きた客観的事実についてのイメージ(思い・考え)」なのです。

歴史的事実といえども、「共同幻想的事実」なのです。


「他(外界・事象)」とは、「今の私の心に映ったイメージ」です。

「他(外界・事象)」とは、主観的事実(イメージ)です。 
社会的な事実も、共同幻想的事実(イメージ)です。


★未来は、「今の判断」によって、作り変えることができます。創造することができます。

「過去の事実」に把らわれない、「今の判断(思い)」が「輝かしい未来」を創造します。


★「私(人間)の死ぬ時期」は、「守護霊の裁量」にゆだねられています。

「私の経験の内容」は、守護霊の裁量と判断です。

自分の人生に何が起きても、「ありがたく」(笑)受け入れるしかないのです。(*^_^*)

ありがたく受け入れたい(笑)のです。(*^_^*)

私の人生に起こる経験は、「ありがたいこと」(笑)なのです。


「自分の人生」とは、「そういうこと」なのです。

人々の人生とは、「起こることが、起こること」なのです。

それぞれの「人生の体験」は、それぞれの魂にとって、「必要な体験」です。

「魂にとって、必要な体験」なのですから、「小我の自分」があれこれ言っても、しかたがないことなのです。

「あれこれ言う必要のない話」(笑)なのです。(*^_^*)


・・・・・・と思えることが「全託」だと気付きましたが、それもまた、「言葉」です。(^^;ゞ

【2731】「幽界の消滅」と「凶悪犯罪」の関係

2010-08-23 05:18:30 | 思索
以下も、ネット上で見つけた記事です。
「幽界が消滅しつつある」という話は、昌美氏の法話でもよく語られています。
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『★幽界が消滅しようとしており、幽界の地獄のような場所にいた悪霊が人間界にやってきて波長の低い人に取り憑いて今までにないような凶悪犯罪を引き起こす。(幽界の消滅はいろんな人が言ってますね)

★現世で救いようの無い悪事を働いた人は輪廻転生の一般コースから外れて特別コースへ進む。

   (幽界が消滅するのでそういう波長の低い霊が行く特別な場所ができた)   

最後の4番ですが、ちょっとこの場では書けないような内容なので、興味のある方は実際に講演会に行ってみてください。
内容は政治経済や精神世界の予備知識がある程度必要で長時間の講演なのですが、
巧みな話術で飽きさせずに聞かせるのがGood!です。この内容で3000円は安すぎだと思います。』


浅川嘉富氏講演会に行ってきた 【経済危機編】
http://believe-in-you.tea-nifty.com/mirihi/2010/03/post-9c3e.html

【2730】覚醒とアセンション(次元上昇)との関係

2010-08-22 22:20:06 | 思索
ネットで、以下の「分かり易い解説」を見つけました。

私が、「自分の意識」に集中をすることによって、肉体意識を卒業する(覚醒する)とは、
そういう意味であったのかと、中ほどの文章を読んで理解することが出来ました。(^^;ゞ

「白光の教え」や「世界平和の祈り」の実践は、自力で自然に覚醒をするということのようです。(^^;ゞ

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『ちなみに、サブタイトルの「フォーカス35」とは、モンロー研究所に特有の用語なのだが、
いわゆる「5次元世界」を指すと考えて良い。

モンロー研では、通常の精神世界用語でいう「次元」を、7の倍数で表現している。
つまり、5次元は「7×5=35」で、「フォーカス35」というわけだ。
この計算でいくと、「フォーカス49」は、「7次元世界」ということになる。
ここでいう「次元」とは、意識の階梯。数字が上がるほど、より意識が高まった状態を表す。
 
それはともかく、坂本氏は、物質世界の遥か上にある高次の世界に行って、
そこにいる意識の高い存在たちから、「2012年に何が起きるのか」を教えられて帰ってきた。


我々・人間は、「深い井戸の底」とも表現される、地球生命系の物質世界に閉じ込められている。
井戸の底から上を見上げると、そこには死後世界がある。

上に行けば行くほど、粗雑な物質世界っぽさが薄れて、純粋な死後世界らしくなってくる。
実際に、地球生命系を上から見ると、そういう井戸のような構造に見えるらしい・・・。

それによると、2012年をピークとして、銀河系のコアから太陽を通って、
膨大な量の生命エネルギー・「純粋な無条件の愛」が、地球に流れ込む。
多すぎて溢れるほど、大洪水のように流れ込む。それによって、地球には大きな変化が起きるらしい。

生命エネルギーは、人類に「覚醒」をもたらす。
覚醒すると、どうなるか。一言で言えば、地球生命系から「卒業」するのである。

今の地球人類は、物質世界(3次元)から「フォーカス27」(4次元の一歩手前)までの死後世界の領域を、
行ったり来たりしている。これが、「輪廻転生」だ。
 
我々、生きている人間が住む物質世界は、いわば「深い井戸の底」である。
井戸の底からちょっと上に上がると、そこには死後世界がある。

死んだ人の意識は、その中のどこかに上がっていく。
井戸の中を上に行けば行くほど、ちょっとずつ死後世界らしい意識に目覚める。
 
そして、首尾よく「フォーカス27」まで上がってくると、そこは輪廻の中継地。
そこには生まれ変わる準備をする施設があって、そこから、また物質界に戻ってくる。

つまり、「フォーカス27」が一種の天井になっており、それより上には行かず、
また井戸の底(物質世界)に落ちてくる仕組になっているというわけだ。

そして、また死ぬと、井戸の天井を目指して上がっていく。
そして、天井まで来ると、そこからまた井戸の底にストンと落ちてくる。
いわば、井戸の中だけを上下にグルグル、行ったり来たりしている。井戸の外には、決して出られない・・・。
これが、モンロー研究所の世界観における「輪廻転生」である。

(この“井戸”の話は、単なる例え話ではなく、実際に地球生命系を上から見ると、そういう構造に見えるのだという)。

覚醒して卒業すると、それが終了する。一気に、「フォーカス35」以上の世界に上がるのである。

いつもの天井(フォーカス27)を抜けて、ずっと上の方に上がっていき、そのまま井戸の外の大空に飛び出してしまう。
「フォーカス35」は、いわば井戸と地上とを結ぶ出入り口。その上には、無限に広がる大空がある。

一度、大空に飛翔してしまった意識は、もう井戸の中(地球生命系)に戻ってくることはない・・・。
これが、「輪廻転生からの卒業」。

皆が卒業して出て行ってしまうため、「フォーカス27」以下の死後世界は、スッカラカンになって消滅する。
つまり、地球での輪廻転生は終焉する・・・。

それだけならメデタシ、メデタシなのだが、残念ながら、ことはそう簡単ではない。
問題のカギは、「単に生命エネルギーが流入しただけで、人類が覚醒するわけではない」というところ
にある。

前にも書いたことがあるのだが、これは太陽の光に似ている。
陽の当たる場所に紙を置いたところで、自然発火して燃えるわけではない。せいぜい、黄色く変色する程度。
しかし、虫メガネで光を集めて照射すると、太陽光線が一点に集り、紙はメラメラと燃え始める。

これと同じように、生命エネルギーも、ただ浴びるだけでは足りない。増幅して照射する必要があるらしいのだ。

生命エネルギーを増幅するには、どうすればいいか。坂本政道氏とそのグループが高次の存在から得た情報によると、
「ピラミッドが効果バツグン」とのことだ。

「ピラミッドを使って増幅した生命エネルギーを照射すれば、覚醒できるらしい」ということまでは、どうやら分かってきた。
 
しかし、どのようなピラミッドを作って、どう活用すれば覚醒できるのか。それが分からない。

そこで科学者出身の坂本政道氏は、スタッフを集めて、ピラミッドパワーの効果を本格的に研究している。
そういうと、よくあるトンデモ「科学」実験のようだが、さすがに本物の科学者だけあって、
一味違う。再現性を重視した追試も行うなど、キッチリと研究体制を敷いている様子が、本書でも写真つきで紹介されている。
 
こうなると、目に見える成果はなかなか出にくい。通常、スピリチュアル関連での「実験」は、
「驚くべき結果が出たっ!!」というような、気持ちの問題が重要なのだ(笑)。

ここまで科学的に探究すると、かえって難しい。だが、それだけに、
もしも真に科学的な成果が出たならば、人類にとって画期的なことと言える。
さて、どうするか。

そこで、浅川嘉富氏の登場である。なんたって、浅川氏は超古代文明の研究家。世界中をフィールドワークして、各国の古代遺跡を巡っている。当然、エジプトのピラミッドのこともよく調べている。
 
その浅川氏が、坂本氏にエジプトのピラミッドを語る。エジプトの大ピラミッドこそ、ピラミッド界における最古にして最大の「模範例」なのは言うまでもない・・・。乞うご期待(?)


『意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ』
http://blog.goo.ne.jp/konsaruseijin/e/8bf19ba2618264fcaef87416ce10cfec

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★続けて、『アセンションというのは、「社会の変革」のこと?』などの記事を読んだのですが、
 とても良かったです。

http://blog.goo.ne.jp/konsaruseijin/c/8472adc395c74034a7acbf35392a332a


【2729】アセンション(次元上昇)のプロセスが始まる!(^。^?

2010-08-22 13:36:08 | 思索
20日の送られてきた、宇宙の法則研究会さんのメルマガをご紹介します。
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『現在、この秋以降に闇の勢力が仕掛ける2つのイベントが始動するという噂が流されています。
ひとつは「米国経済の自爆説」です。

大幅な財政赤字(1京円以上)に陥いり追い詰められた米国が取れる手段は、
借金はもう返せないと「デフォルト」を宣言することです。


米ドル札の表の一番上に「Federal Reserve Note」と書かれているのをご存知でしょうか。
これはどういう意味かというと、「国債預かり証」という意味です。「Note」の意味は紙切れです。
従って、この意味からすると米ドルはMONEYではないということです。

なぜ米ドルが「預かり証」かというと、米財務省が米国債を刷りFRBに持ってゆくと国債を預かり
それと引換に米ドルが渡されるという仕組みになっています。

たとえ米国人であってもほとんどがこのような事実を知りません。

実はFRBは米国憲法では違反する存在なのです。
なぜなら憲法では紙幣は米政府が発行しなければならないと規定されているからです。

FRBは株式会社ですが、なぜ紙幣発行機関になったかというと世界を支配するロスチャイルドを頂点
とする連中が、前の世界恐慌の際に悪巧みを仕組んで紙幣発行権を米政府から取り上げたのです。


かつては米ドルは兌換紙幣(金と交換できる)だったのですが、今は「国債預かり証」にしか過ぎません。
従って、米政府がデフォルトを宣言したら一瞬にして単なる紙切れになってしまうのです。

ビル・ゲイツやその他の世界の億万長者といわれる人たちも、米ドルで保有している限りただ単に紙切れ
を積み上げているにしか過ぎません。


また、2011年2月に新米ドルが発行されますが、米政府が2010年末までにデフォルト宣言を行わない
場合この時点で「デノミ」が行われドルの価値が50%減額されると噂されています。

50%マイナスのデノミを行えば米政府の借金は半分になり、結局得をするからです。
だから3月までに米国が崩壊すると申し上げた訳です。

100米ドルは米国内ではほとんど流通していません。
そのためあまり使われない100ドル札をなぜ新しくするのかというところに疑問を持たれています。

世界中で流通している偽米ドルの多くは100ドル紙幣です。そこで2011年2月になると海外の100ドルとは一切
換金しない方針を打ち出したり、さらには無効だと言い出す可能性があります。

数カ月前、知人の知り合いの方が米国カリフォリニアから帰国されました。
帰国後みずほ銀行に趣き全財産の米ドルを換金しようとしたところ、
約8割が偽ドルと機械で判定され支店長があわてて飛んでくる騒ぎになったそうです。

結局、その方はほとんどのドル資産を失ってしまいました。偽ドルにはどこからも保証がありません。
(実はFRBがリーマンショック以後、大量の偽ドルを刷って流通させているのではないかと疑われているのです)


あとメキシコ湾の原油流出も「人口削減」のために起こされたという証拠が次々と出始めています。
次に闇の勢力が仕掛けてくるのは間違いなく「経済崩壊(ドル崩壊)」と「人工地震」です。
地震は間もなく米国・西海岸で起きるはずです。

そのような中でいかにサバイバルするかというのが、われわれに突きつけられた命題です。
このようなことが現実になったときにヒーラーや霊能者がもてはやされる「スピチュアルの世界」も一挙に崩壊します。

なぜなら神も仏のない世界がわれわれの目の前に出現するからです。
(たとえば食人の習慣が始まると予想しています。
最近、「ザ・ロード」というハリウッド映画でそのような近未来が描かれわれわれに暗示しました)


したがって、これからは一人の人間として、サバイバルしてどう生き残るかが大テーマになります。

そういう意味からも、静かで穏やかな<日本の秋>は二度とやってくることはありません。』



【フォトン・ベルトレポート『日本にもう二度と秋は来ない2』】
http://archive.mag2.com/0000101181/index.html

【2728】世界には、「客観的事実」と「主観的事実」がある

2010-08-22 08:43:17 | 思索
先ほど、『ボクらの時代』(テレビ番組)で、姜尚中さんが「主観的事実」という話をされていました。

もちろん、事件や事故や戦争などの「客観的事実」はあるのですが、

自分の過去の「経験(事実)」は、「主観的事実(イメージ)」なのです。

私たちは、「主観的事実(印象)」を生きているのです。

それに続いて安藤優子さんが、
ジャーナリズムも、ノンフィクションではなくて、
「主観的事実」を綴った「フィクション」であるという話をされていました。
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★私たちは、「何」を生きているのでしょうか?→★「主観的事実」を生きている。

★私たちは、どんな「世界」に居るのでしょうか?→★「主観的事実」の世界。「客観的事実」も「過去の共同的幻想的事実」。

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★宇宙には、「今の自分」が思っている「主観的事実」があるだけです。

★「宇宙」とは、「私の見ている宇宙(思い)」です。

★宇宙(世界)とは、「今の自分」が思っている「主観的事実」です。


★「良い」も「悪い」も、「思い」なので、事実としては、「無い」のです。

事実に、「良い」も「悪い」もないのです。→『老子』(*^_^*)

【2727】『今』とは、永遠の『今』であり、それが宇宙

2010-08-21 05:17:42 | 思索
『いま、ここで、私は何をしているのか?』と考えてみるのだけれども、(^^;ゞ
「決定的な答え」(笑)は浮かばない。

ただ、「白光の教え(考え方・とらえ方)」には、大いなる整合性(笑)を感じるので、
99%の確率(笑)で、五井氏や昌美氏の説いている「白光の教え」が、正解なのだと思う。(^^;ゞ

最近は、『すごい夢実現 CDブック』に付属している「脳機能音源CD」を聞きなら、
リラックスして就寝するのだけれど、「思ったことが、早く、明確に実現している」と感じることが多い。

私がこの時期に、この「脳機能音源CD」(ピアノの演奏曲)を聴いて、
「実現化の速度を上げる」ことも、守護霊(自分自身)の計画の一部だったのかと思える。(^^;ゞ


★『今』の連続で宇宙は成り立っている。

『今』の連続が宇宙である。

『今』という「この瞬間」に、「この意識」があって、
「この瞬間」のことを「この意識」で考えていると考えることが楽しい。(^^;ゞ

池田晶子さんは、「存在」のことを「謎」と言った。

「謎」なのだから、「答え」はない。(^^;ゞ


「自分がいること」・「この意識があること」は、何なのだろうかと問っても答えはないのだけれども、

その「問い」の中で、「自分とは何か?」を感じ取ることが出来るのだと思う。(^^;ゞ

【2726】「統一」を続け、祈り込んでゆくと、「人生」に変化が起こる(^。^?

2010-08-20 05:05:03 | 思索
一瞬一瞬の「今」という「宇宙」を、

それも、一人一人が「生きている」のだとしたら、

「損」も「得(徳)」も、「良い」も「悪い」もなくて、

私たちの一人一人は、それぞれに、「大いなる生命(神)のエネルギー」を「生きている」ということになる・・・・、

と思えた。 


★先ほど、それを示唆する夢を見ていたような気がする。

守護霊(=私自身)からのメッセージなのだろうか?

今日から、「食」が変わる気がする。(^^;ゞ
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★『私は、神のように愛深く、完全完璧であり、なにものにも把らわれない。
 私のいのちは、宇宙とひとつである』・・・・・・・

★『私は、神である。私は、光である。私は、愛である。私は、真理である』

★『我、言葉、想念、行為に、○○○○即神なりを顕顕する』

・・・などを、「呼吸法の唱名」で、自分自身に唱えてきた結果かもしれない。(*^_^*)

恐るべし(笑)、呼吸法、そして、「統一」。

【2725】暑い時には、温かい物を飲む。『災難に遭う時には、災難に遭うのがよろしく候』

2010-08-19 05:57:25 | 思索
印を組むと、体(腹)の中から力が湧いてきます。(*^_^*)

冷たい飲み物を飲むと、脳が「体が冷えている」と錯覚をして、
体を温めようとして体内のエネルギーを燃やすので、体が熱ぽっくなって、
さらに「暑さ」を感じ、また冷たい物を飲むという悪循環を繰り返して、
体力が減退していきます。

そういう理屈を、情報番組で聞いたので、
レンジで白湯をつくって、海水の塩を入れて飲んでみたら、
これがとても美味しくて、印を組んだときと同じように、
体の中から力が湧いてきました。(^^;ゞ

飲んだときは、「一時的に暑い」のですが、
体の中から力が湧いてくるので、
「暑くもて、なにするものぞ!」(笑)と思えるです。(^^;ゞ

「暑さ」は、感じるものなので主観です。

「暑い」ということに把らわれなければ、過ぎてゆくだけです。

暑い時には、温かい物を飲みましょう。(*^_^*)

【2724】『今、死ねますか?』と艱難辛苦と『災難に遭う時には、災難に遭うのがよろしく候』

2010-08-18 05:20:57 | 思索
『こころの時代』(NHK)で、暁烏敏さんが講話会で、開口一番に、
『今、死ねますか?』と、全員に問いかけたという話を聴きました。

「自分は、今、死ねるだろうか?」と考えてみました。(^^;ゞ

「はい、できます」(笑)というのが、宗教を志した者の答え(笑)だとは思うのです。(^^;ゞ

★いつかは死ぬのですから、それが今であっても、問題があるわけではないです。(^^;ゞ

★神さま(守護霊さん)の意思で、「この世の役目が終わったので、引き取ってもらってもいいです」ということであれば、
ありがたく(笑)肉体を離れて、次なる道を歩みたいと思うのです。(^^;ゞ

思い残すことはない気がするのです。(^^;ゞ

この世での仕事は、やり終えた感じがするのです。(^^;ゞ

自分の役割は終わった感じがするのです。(^^;ゞ

★「死ぬ」というのは、「意識が消えること」かもしれませんが、それはそれで良いと思うのです。

「この意識」にそれほど未練がある(笑)わけでもないのです。

充分に、「この意識」を味わった(?)と思えるのです。(^^;ゞ


★何であっても、「必要な体験」です。

それは、「自分の死」についても言えることだと思うのです。(^^;ゞ

戦争中の出来事や事件や事故や肉親の死で、身が引き裂かれるような体験をされた方々に比べたら、
「艱難辛苦(人生の重いテーマ)」がとても少ない、有難い人生(?)だったと思えるのです。(^^;ゞ

★良い時代の良い国に生まれて(笑)、有難かったと思うのです。
 
 それでいて、「白光の教え」や会員さんたちに出会えたのですから、最高の人生だったと思えるのです。(^^;ゞ


★私はうざぎ年の生まれで、来年が還暦なので、このような写真になっています。(^^;ゞ



『暁烏敏』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%81%E7%83%8F%E6%95%8F

【2723】『この「意識」とは、何か?』

2010-08-17 05:41:12 | 思索
瞑想(「統一」)をしながら、
『この「意識」とは、何か?』と考えて、思いを巡らし、
その答えを守護霊さんと一体に考えて、何かに思い至り(笑)、
覚悟のようなものを決める(笑)ことが、とても楽しいです。

それは、とても内面的個人的な内容なので、言語するのが難しいです。

★そのような、「個人的な内面(内的必然性)=意識」を、「誰でもが生きている」というのが、
「宇宙の事実」です。


★宇宙とは、「自分の内面に映った姿」・「自分の意識に映った姿」です。

「自分の意識」が、ゆがんでいると、宇宙もゆがんで見えます。


★それで、「世界平和の祈り」をしながら、「自分の意識」に宇宙(外界)を映すと、
「我」に把らわれない「宇宙(神)」の姿が見えます。


★支部などの「祈りの会」の始まる前に、「統一」をしていますと、
「これだ」と思える答え(決心)がやってきます。(^^;ゞ


★『「意識」とは、何か?』とは、『「私」とは、何か?』ということです。

名前などの肩書きを外した「自分」とは、何者であり、

何をするために、この世に生まれてきたのかと考えると、

自分の本質(役割)が見えて、楽しくなってきます。


★その「自分の本質(=心境)」を探すヒントが、『老子』の中にあります。 答えは言葉ではなくて「心境」です。(^^;ゞ


★「世界平和の祈り」の中に入るとは、自分の思い(意識)を「世界平和の祈り」に置き換えるということです。

 そうすると、自我(自分中心の思い)が消えるのです。