『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【2213】政権交代は、必要な変化!

2009-08-31 00:29:50 | 思索
民主党が衆議院の議席数を大幅に増やしたので、政権交代が実現するようです。

「日本の新しい時代の始まり」を感じます。(^^;ゞ

「政権」が交代することに、多少の不安感はある(笑)のですが、それは「必要な変化」だと思うのです。
『すべて必要。すべて良し』(笑)だと思うのです。(^^;ゞ

「日本の歴史」においての「必然的な変化」だと思うのです。

『麻生首相、総裁辞任を表明「責任負わなければならない」』

【2212】「お酒の効用」を思い出すという実践

2009-08-30 04:16:26 | 思索
弟にもらった試供品の発泡酒を一回飲んでから、「実際に、意識が飛ぶ」のが面白くて、(^^;ゞ 
機会があるときに、4,5回、発泡酒を飲みました。(^^;ゞ

今は、その感覚を思い出すことで、「意識を飛ばせる」感じがするので、飲酒をする必要さえない気がします。(^^;ゞ

★実際、100円(韓国製は80円)でビール(発泡酒)が買えて、酔える(いい気持ちになる)というのは、
とても、お手軽な「意識の飛ばせ方」だと思うのです。(^^;ゞ

反面、アルコールを飲むと、「欲望的な意識」が、前面に出てきたり、「思考」が回り過ぎて、
言葉や行為の制御(コントロール)が利かなくなるという不具合(笑)が生じるので、

「意識を飛ばすこと」を意識的にする瞑想の方が、アルコールを体内に入れるよりは、良い方法のようです。

でも経験として、アルコールを飲んで、「意識の飛んだ状態」を体感できたのは、
私にとって、「意味のあること」でした。(^^;ゞ

【2211】『それはそれ!』(人生は、流れる雲の如し、流れる水の如し)

2009-08-30 03:27:43 | 思索
【2210】の「消してゆく姿」の言葉について考えていましたら、和尚(ラジニーシ)の『それはそれ』という言葉を思い出しました。(^^;ゞ

『それはそれ』は、私の好きな言葉(座右の銘)(笑)の一つでした。(^^;ゞ


『世の中の事象は、起こることによって、消えていっているのだから、「思い」で掴むな!』というのが、

『それは、それ!』と思うことと同次元だと思うのです。(^^;ゞ

【2210】「消してゆく姿」とは、起こることは起こるという意味!

2009-08-29 00:05:58 | 思索
私にとって、「消してゆく姿」は、耳慣れない言葉でしたが、この言葉を聞いて、霧(考え)が取れました。(^^;ゞ

★一瞬、「消してゆく姿」の主語は、「事象」なのか? 「存在」なのか?と、ふっと考えたのですが、(^^;ゞ

そんなことよりも、この「消してゆく姿」という言葉(考え方)が、あまりにすんなりと、私の心の中に入ってきまして、

「考え」が飛んでしまったのです。(^^;ゞ  「悟ってしまった」(笑)のです。(^^;ゞ

というのは、
★「消してゆく姿」というのは、事象(存在)が事象(存在)として起こるということは、必然であり、
 そのことにはなんの問題もないという事実を、端的に述べた言葉だからです。(^^;ゞ

★それで、
「世の中のことは全部、事象が起こることによって、事象が消えていっている」と思えたのです。(^^;ゞ

すべての事象は、それが不都合なことであっても(笑)、
「神性を顕現してゆくために経験しなければならない一つのステップ(事象・消えてゆく姿)」なのです。

【2209】生命を脅かす現象について(インフルエンザと「消してゆく姿」)

2009-08-28 01:55:33 | 思索
白光誌8月号の『明日へのガイド』の『生命を脅かす現象について』を転載します。

現在の日本の状況に対して、具体的な「解決法」が示されています。(^^;ゞ
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

【質問】インフルエンザの蔓延など、生命を脅かすさまざまな現象が起きております。
私たちは、このような状況の中でどのように生きたらよいのか教えてください。

【回答】
まず一番に認識しなくてはいけないのは、私たちの本体は、常に光り輝いているということです。
その輝きは、この世に起こる病気や不幸に全く関係ないということです。

私たちの生活や生命を脅かすさまざまな現象は、意味なく起こるわけではなく、
私たちや人類の過去(過去世)からの誤った想念(光り輝く本体を覆っている黒雲)を消すために起こるのであって、
見方を変えれば悪いことではなく、むしろ魂のレベルで考えれば、大きな進歩であります。

ですから、病気や不幸や生命を脅かすさまざまな現象を徒に恐れるのではなく、
私たちや全人類が神性を顕現してゆくために経験しなければならない一つのステップであると考え、
受容すべきなのです。

次に認識すべきことは、これらの現象に対して、「消えてゆく姿で、世界平和の祈り」を真剣に行じる必要があるということです。

「消えてゆく姿」は、一生懸命に「世界平和の祈り」を祈り、印を組みつづけて、しっかりと神様の光で消していただく努力をしなければなりません。

五井先生は、ご法話の中で、「消えてゆく姿」という言葉以外に、「消してゆく姿」という言葉を何度か使われたことがございます。

核の脅威やテロなどはまさに、人類の過去世からの過てる想念が、人類の運命として、現れた姿であり、
「消してゆく姿」として、我々の祈りの響きによって、過去世からの人類の過てる想念が消えることで、
状況は自ずと好転するのです。

「感謝は、光」と五井先生は教えてくださっておりますが、神様に感謝して、神様と一体になってのお祈り、印、呼吸法が、
一番効果があるように思います。

これを続けることで、自分や人類を取り巻く過去世からの過てる想念が消されてゆくのです。

祈ってもよくならないと平気で言う人がたまにおりますが、感謝の心で真剣に行じつづければ、

必ず効果があるのです。

状況は自ずと好転するのです。

神様への感謝と共に祈り、印、呼吸法をコツコツと続けることです。必ず良くなります。
それ以外ありません。

【2208】「自分の死」は、「消えてゆく姿」です。(^^;ゞ

2009-08-27 02:23:44 | 思索
「自分の死」は、想像(想念)ですから、「消えてゆく姿」なのです。

「想念(思い)」は、うつろって(移ろって・空ろって)いくだけのモノなのです。(^^;ゞ

すべての想念(思い)は、起きては消えてゆくだけなのだと、真に、思えれば(真に、気づければ)、(^^;ゞ

日常の些事(人生の諸事象)からも、自由になれます。

どんなことも、「単なる経験」だと思えます。

そう思える人を、腹の据わった人というのだと思うのです。

★上の文の「真に、気づければ」が、キーポイントです。(^^;ゞ

「真に、思えれば」ではなくて、「真に、気づければ」なのです。(^^;ゞ

「真に、思えれば」だと、また、「消えてゆく姿」になってしまいます。

「消えてゆく姿」でもいいのですが、「真に、思えれば」だと、「思い」をつかむことになるので、

事実を事実として受け入れるという意味では、「気づく」という語句のほうが的確です。(^^;ゞ

【2207】本当に、「死」は祝福か? 否か(^。^?

2009-08-26 05:14:50 | 思索
★私たち(私)は、本当に、「他人の死」は、ネガティブなことではなくて、ポジティブなことだと思えるのでしょうか(^。^?
「死は、卒業であり、祝福である!」と思えるのでしょうか?

先日も、近所の、時々来店してくれていた55歳の女性が、自宅で急に亡くなられました。

そのときに、やはり、「可哀想に!」と思ってしまったのですが、
本当は、肉体での修行を終えて、天界に戻られたのです。

そう考えることによって、私は、
日常の些事(人生の諸事象)を、もっと、客観的に眺められるようにならなけれならないと思うのです。 (^^;ゞ

★『「死」というものは、存在しません』も、哲学的には正解なのです。

 「死」は言葉に過ぎないです。 「自分の死」の実態はないのです。

★それよりも本当に、「死とは、魂の移行」を、証明できるのでしょうか?

時空(宇宙)のなかで、瞬間、瞬間にあり続けるという「存在」の不思議の前では、

生きている肉体にとって、「死」はないのです。

★つまり、「自分の死」は、「消えてゆく姿」なのです。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

■「祈りが、成就する」と信じた(笑)からなのしょうか、昨日は「とても忙しかった」です。(^^;ゞ


【2206】「他人の死」を、ポジティブに考える(^^;ゞ

2009-08-25 00:08:34 | 思索
「人間は、必ず、死ぬ」のですから、「死」は良いことでも、悪いことでもなくて、「当然のこと」だと思うのです。 (^^;ゞ

ですから、「他人の死」をネガティブなことと捉える必要はないのです。

むしろ、「他人の死」を、ポジティブなことだと考えてみてはどうでしょうか(^。^?

・・・・・・そんなメッセーを、『レムリアの叡智』(オレリア・ルイーズ著)(Mさんのレジメ)の中で見つけました。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

第8章 死と呼ばれる魂の移行と大切な人を失うことについて』

『まもなく、この惑星上で、とても多くの変化があるでしょう。
そして、とても多くの魂がこの時期に肉体的な転生から去ることを、魂のレベルで意識的に選択してきました。

そのために、多くの人が、一人かそれ以上の大切な人の肉体的な移行に直面するでしょう。

この時期の移行を選んできた人たちは、進化における魂の道のために、皆さんとは違う選択をしてきました。

ですから、私は違う観点から、「死」と呼ばれる魂の移行を見はじめることをお勧めしたいと思います。


皆さん全員がよくご存知のように、「死」というものは存在しません。

もちろん、人間としての経験で、肉体を持つ状態から死と認識される別の状態への魂の移行は存在しています。

しかし、究極的には、これは魂にとって、ただの移行に過ぎません。

移行は、ほとんどいつも、喜びや開放、自由のときで、また自分の他の面と再び一つになるときでもあります。

開放と反転と新しい始まりであって、決して大惨事ではありません。


このことを完全に理解したら、あなたはしばらく悲しみに浸ることになるでしょう。

というのは、悲しむことは、旅立った人たちのエネルギーを敬う方法だからです。

でも、決して二度と、旅立った人を気の毒だとは思わなくなります。

大切な人の選択に、十分心やすらかでいられますし、そのことを完全に認めて受け入れることができます。

この転生で、彼らと共有した時間に感謝するでしょう。

さらに、別れが3次元のマインドと幻想に過ぎないと内心でよく分かり、彼らが新しい経験へ向かっていることを
心から祝福するでしょう。

内なる世界で、いつでも大切な人たちと再会できて、一緒にいられて、彼らとの絆は永遠に失われないことが、
確かだと分かるでしょう。』

【2205】常に、光明の意識(肯定的な志向・思考)を持つ!

2009-08-24 03:44:31 | 思索
昨日は大阪支部で、谷口啓子さん(職員)のお話を聴きました。

お話の内容で、特に、このブログに書かなければ(笑)と思うものはなかったのですが、(^^;ゞ
谷口さんの「人生の諸事に対しての素直さ、その疑念(邪念)のない人柄」には、とても感銘を受けました。

「白光の教え」に長く触れていると、自然に、彼女のような「素直な人柄」になるのだと思いました。(^^;ゞ
白光の方ならではの、「上品さ」を感じました。 (^^;ゞ

それは、「自分と他人を愛している人の素直さ」であり、
「自分の人生は、これで良いのだ」と、真に思っている人の素直さでとでもいうべきものです。(^^;ゞ


★講話の中で、谷口さんが、特に言われていたことは、
「自分を信じる」ということと、「光明の意識を常に持つ」ということでした。

「祈り続けていると、業が消える。 祈りがエネルギーとなって溜まると、その光で、業が消える。
祈りは永遠であるが、業は有限であるから、消える」や、

「自分を信じることができれば、人類を信じることが出来る」や「相手の良いところを、見続ける」、
「自分に関係のないことは起こらない」というお話が印象的でした。

★谷口さんの人柄に触れたり、お話を聴いて、自分はどうしてこうも、「経営のことが気になるのか?」という疑問が湧きました。(^^;ゞ

たぶんそれは、「経営(自分の甲斐性)」が、私の関心事(笑)だからどと思うのです。 (^^;ゞ


★アリスのことや、売り上げのことをあれやこれやと考えること自体が、光明思想ではなかったと気づきました。(*^_^*)

 神さまに任せれば良いのです。神さまが止めれ(笑)といったら、やめれば良いのです。
それまでは、つべこべ言わないで(笑)、営業を続ければ良いのです。(^^;ゞ

★座談会のときに、富士聖地で行われている講師養成講座の話が出ました。

 養成講座の内容は、他言できないことになっているので、その内容は分からないのですが、
伝え聞くところによりますと、「白光の教え」を実践的に、体得できる場であり、「白光の教え」への理解が飛躍的に深まるようです。(^^;ゞ

年に7回、富士聖地に通って受講するのだそうです。 「白光の教え」の真髄に触れる機会のようです。

あれこれと考え過ぎる私(笑)なので、是非、受講したいと思いました。
維持会員になって、7年以上の方が対象なので、あと1年半です。(^^;ゞ


白光真宏会 大阪支部

【2204】宇宙には無限の富がある

2009-08-23 06:08:34 | 思索
偶然、「幸せ」の語句でつながったのですが、(^^;ゞ
『幸せな人生は、右脳が開く』(七田眞著・リヨン社)を読みました。印象深かった部分をご紹介します。
。。。。。。。。。。。。。。。。。

★『実は、宇宙には無限のエネルギーがあり、私たちは本当はいくらでも、それを引き寄せることができます。

ただ、それを実現するのは、私たちの思い次第なのです。』(p31)

★『「愛と一体化」をしてイメージするかどうかは、ささやかに見えても、実は決定的な違いがあります。』(p57)

★『信じることが、大切』(p62)

★『アファメーションは、バーシャルレッスンには欠かせない』(p88)

【アファメーション(affirmation)とは肯定的な断言をする事。個人的な「誓約」をする事。

具体的には「~したい」「こうなれば良いな…」という願望を「~だ」断定し繰り返し唱える事で、潜在意識に働きかけ、変化や成長が遠くの未来にあるものではなく「今・ここにあるのだ」という現実を作り出す事と言われている。】

★『ゼロ思考は、万能のコミュニケーション』(p114)

★『ゼロ思考と能力開発』(p121)

★『未来は、限りなく明るい』(p186)
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

■昌美氏が説かれている真理と、よく似ていると思いました。(^^;ゞ

『幸せな人生は、右脳が開く』には、「幸せ」になるための方法が書かれています。

『信じることが、大切』というのは、「信じること」が、「幸せ」になるための方法だということです。

それは「想念の迷い」を食い止める方法なのです。 (^^;ゞ

【2203】『不可能はない』ということを、しっかりと自分で掴んでください

2009-08-22 03:57:58 | 思索
【2202】の最後の一行もポイントです。(^^;ゞ

★『どんな状況でも、神と一つ、不可能はないということを、しっかりと自分で掴んでください』

これそのものが、『我即神也』なのです。(^^;ゞ

『神である自分』に、不可能はないのです。(*^_^*)


『神である他人(人類)』にも、不可能はないのです。 「人類即神也」なのです。(*^_^*)

『不可能はない』と考えること自体が、固定観念を打ち破ることであり、

『行いそのもの』が、『光明思想徹底行』なのです。


★それでこれは、【2201】の
『幸せになるために忍耐は必要ない。
過去から引きつがれている確とした固定観念から抜け出すだけだ』と同じ意味です。

この言葉に意識を向けて、心の中心に置きたいと思うのです。 (^^;ゞ

★それで気づいたのですが、
『不可能はない』ということを、しっかりと自分で掴んでください』なのですから、

たとえば、私は、
「アリスは潰れない」(笑)、「廃業はあり得ない」(笑)という意識をしっかりと持てば良いだけなのです。(^^;ゞ

あとは、「全託」で良いのです。(ちょっと、懐かしい言葉ですね。(^^;ゞ
昨日、久しぶりに五井氏の本を読みました)(*^_^*)

【2202】「我即神也・人類即神也」が理解できたならば、その瞬間、平和は訪れます

2009-08-21 03:28:30 | 思索
星が丘のMさんからレジメをもらいまして、その中に昌美氏の6月の法話の一部が書かれていました。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

■『いよいよ、地球の一番大事な時が迫ってきているな、という実感を受けました。

私たちはもう、平和について何を為すべきか考え行動する必要はありません。

平和について議論し、考えるのは未だプロセスです。


平和のために考え、行動する以前に、一人一人が究極の真理「我即神也・人類即神也」が理解できたならば、

その瞬間、平和は訪れます。

自分の信じるものが、自分にとって真実であり、それゆえ、何を信じるかで、自分の人生はつくられてゆきます。


DNAは、究極の真理を持っています。だから、一つの細胞からでも肉体が作りあげられる。

これは奇跡以外の何ものでもない。


宇宙究極の光が、自分のDNAに入っているから出来るのです。

その情報の持主は宇宙神で、あなた方は、光の一筋です。だから不可能はない。

DNAは、意識を受け取りますから、よい意識、究極の真理をDNAに働きかければ、

その通りになるのです。


どんな状況でも、神と一つ、不可能はないということを、しっかりと自分で掴んでください。

我即神也・成就・人類即神也』
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

★上のなかでもっとも重要な部分は、
『一人一人が究極の真理「我即神也・人類即神也」が理解できたならば、その瞬間、平和は訪れます』です。

特に『「我即神也・人類即神也」が理解できたならば』がポイントです。(^^;ゞ


★『「我即神也・人類即神也」が理解できた状態』とは、『信じて跳んだ状態』だと思うのです。

将棋でいえば、『歩は、すでに金に成っっている』(?笑)のですから、

『神(神人)』として振る舞えばよいのです。(^^;ゞ


★すでに「神」である自分に、どのようにして成るのか?

果因法で、「すでに、そうなっている」と思うことが、大切なポイントです。

成就していることを意識するのです。

自分が「神人」であることを意識し続けることが大切なのです。

自分(神人)は、思ったことを成就させることのできる存在なのです。(^^;ゞ


★そう思って、生活すれば、楽しくて仕方ない人生(幸せと至福に満ちた人生)(笑)を送ることができると思うのです。 (*^_^*)

★「生きていることが、楽しくて仕方がない」と思えるはずなのです。(^^;ゞ

【2201】『幸せになるために忍耐は必要ない。固定観念から抜け出すだけだ』

2009-08-20 04:22:29 | 思索
『本当の「幸せと至福」とは何か(^。^?』と思って、白光誌をめくってみました。(^^;ゞ

例えばそれは、『日々の指針』に書かれていることを真に理解して、ブレることなく生きることが
「幸せと至福に満ちた人生を生き切ること」のようです。

★興味深いのは、『そのように意識したとき』に、『幸せと至福に満ちた意識』になることです。

ですから、『日々の指針』に書かれていることを常に意識して、生きる(生活する)ことが出来れば、
『幸せと至福に満ちた人生』を送ることができます!(^^;ゞ
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

『日々の指針』(白光誌・2009・8月号)より抜粋

★『幸せになるために忍耐は必要ない。
過去から引きつがれている確とした固定観念から抜け出すだけだ』―「幸せ」に対応する概念(真理)

★『生きるとは、生命の尊さを学ぶこと』 ―「幸せと至福」に対応する概念(真理)

★『人間は、自己の中に宇宙のすべてが存在し、
究極的に必要なすべてが内在しているものなのである』-「幸せと至福」に対応する概念(真理)

★『我々は、まさに現在、霊的、神的進化の真っ只中にいる』―と知ることも、「幸せと至福」に対応するする概念(真理)

★『この地球は、人類が進化創造を遂げて神になるための場』-と知ることが、「幸せと至福」に対応する概念(真理)
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

■つまり、「否定的な想念・マイナスの思い」に意識を向けないで、
常に、ポジティブ(「今」に、肯定的!)であれば、それで良いのです。

どのような状況にあっても、「今の自分(その時々の自分)」を嬉々として、喜ぶ(慶ぶ・悦ぶ)ことが出来れば、
「幸せと至福に満ちた人生を生き切ること」が出来るのです。

■どのようなことが起きても、「必要な経験」なのです。 もし、「アリスが潰れる」(笑)としても、「必要な経験」なのです。(^^;ゞ

別の商売をするチャンス(笑)なのです。

たぶん、私なら、色々と工夫をして、それなりにうまくやれると思うのです。 (^^;ゞ

「アリス」が廃業しても、それはそれでOKなのです。

そう考えると、「先のこと」が楽しみになってきました。(*^_^*)

また色々と経験ができて、学べるのですから、「アリスの廃業」があるとしても、「良いこと」なのです。(^^;ゞ

■【2198】の「楽しんでやる!」というのは、『自分に不都合なことが起きても、楽しんでやる!』という意味だったのです。(^^;ゞ

【2200】先祖の霊を、「呼吸法の印」で浄める

2009-08-19 04:35:26 | 思索
「幸せと至福に満ちた人生を生き切ること」とは、物質的に満ち足りているということではなくて、
「豊かな気持ち」で、余裕を持って、人生を過ごすことだと思えます。(^^;ゞ

それは、「感謝の日々を送ること」でもあるだろうし、小欲、知足の生活、つつましい生活を心がけて、
豊かな気持ちで生き切ることでもあります。

少なくとも、「欲望のままに生きろ」という意味ではないようです。(^^;ゞ


★お盆の最後の日に実家に行きまして、お盆の行事を終えて「送り火」をする前に、
母と弟と一緒に仏壇に手を合わせたとき、 ふっと思い立って、先祖の霊を浄めたいと思い、「呼吸法の印」を7回組みました。

一人で、仏間で組んだことはあるのですが、家族の前で組むのは始めてでした。(^^;ゞ

ちょっと照れくさい感じもしたのですが、「平和集会」では、人類のために何回も組んでいるので、スムーズに組めました。(^^;ゞ


先日も「平和集会」で、戦争で亡くなられた方々の御霊を浄めましたし、

気づいてみたら、「他者の霊を浄める方法」を授けられていた(笑)というのが、そのときの私の印象です。(^^;ゞ


「呼吸法の印」で浄めたあと、とても清清しい気持ちになりました。 

これから実家に帰ったときは、仏壇に手を合わせるだけではなくて、「呼吸法の印」を組もうと思いました。

【2199】「幸せと至福に満ちた人生」とは、何か!(^。^?

2009-08-18 05:23:13 | 思索
休みの日に、家族と「飲食」を楽しむ(笑)ことが多いのですが、(^^;ゞ

「飲食」は、「幸せと至福に満ちた人生を生き切ること」と、どの程度関係するのでしょうか(^。^?

・・・・というのは、人間は、「美味しいもの」を食べたときに、「幸せ」を感じるのですが、
上の文にある「幸せ」とは、そういう類の「幸せ」の追求ではないと思うのです。(^^;ゞ

たまに、「飲食」を楽しむのは、肉体修行のご褒美として良い(笑)とは思うのですが、
肉食などの度が過ぎると、体に不調が現れるし、精神的(「神を顕わす」という意味)にも、あまり良くないと思うのです。(^^;ゞ

すこし前の「日本弥栄の会」のメルマガに、
『日本人には、肉類禁物であるぞ』(日月神示』)と書いてあったのですが、
何事も、度が過ぎると、あまり良くない(不調和が現れる)のです。 (^^;ゞ

「幸せに満ちた人生」とは、そのような享楽的(笑)な人生」を生き切ることではないと思うのです。(^^;ゞ


★私の周りに、「夏バテ」や「腰痛」の人がいるのですが、私には、「夏バテ」も「腰痛」もありません。(^^;ゞ

自分の日常を考えると、「世界平和の祈り」と「印」と「菜食」と「ヨガ」の日々なので、そのお陰だと思うのです。(^^;ゞ

断定的には言えないのですが、「肉食」が、「夏バテ」や「腰痛」の原因だと思えるのです。 (^^;ゞ


★ですから、大所からみると(笑)、「美味しいものを、沢山食べることが、幸せ!」ではないのです。(^^;ゞ

「幸せと至福に満ちた人生」とは、二元対立的な発想に基づかない「調和のとれた人生」と言えそうです。(^^;ゞ
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

■『碧玉之巻』 第八帖
+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+
四ツ足を食ってはならん。共食いとなるぞ。草木から動物生まれると
申してあろう。臣民の食べ物は、五穀野菜の類であるぞ
+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+

■『梅の巻』 第十四帖
+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+
日本人には、肉類禁物ぢゃぞ。今に食い物の騒動激しくなると申し
てあること忘れるなよ。今度は共食いとなるから、共食いならんか
ら、今から心鍛えて食い物大切にせよ
+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+

■『天つ巻』 第五帖
+‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥+
牛のもの食べると牛のようになるぞ。猿は猿、虎は虎となるのざぞ。
臣民の食べ物は定まっているのざぞ。いよいよとなりて何でも食べ
ねばならぬようになりたら、虎は虎となるぞ。獣と神が分かれると
申してあろがな。縁ある臣民に知らせておけよ。日本中に知らせて
おけよ。世界の臣民に知らせてやれよ


「中矢伸一事務所 リアルタイムニュース」(vol.003)