『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【2181】白光でいわれる『働き』とは何か?

2009-07-31 05:20:43 | 思索
白光で言われている『働き』について書いてみたいと思うのです。 (^^;ゞ

それは、「神さまの器として、使われる」という意味のようです。

もうすこし具体的に書きますと、『全体が、調和するために、三次元の肉体(私たちの体)が使われる』という意味です。

【2180】は、そういう例なのです。(^^;ゞ


★重要なことは、「そのように考えることができるかどうか!?」ということです。(*^_^*)


★「自分」という思いを消して、「他人のいのち」が輝くように手助けしてあげる。「他人の不安」を取り除いてあげる。

そのような行動をするのが、『神の働き』をすることなのです。(^^;ゞ


★それは、祈りであってもいいし、印であってもいいし、具体的な行動であってもよいのですが、
『働き』というからには、肉体を使った具体的な行動のことなのです。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

★これが、【2179】の【自分は、本当に「他人の役に立ちたい」と思っているのか?】という自問(笑)への補足説明です。(^^;ゞ

『他人の役に立ちたい』とは、
「他者のいのち(本心)」が輝くようにしてあげたいという「自分の思い(=神の愛)」を、

どれだけスムーズに、『神の働き』として、顕現できたのかいうことなのです。(^^;ゞ


★Aries13さんがコメント(質問)を書いてくださったので、上の文が、より深く書けました。
 Aries13さん、ありがとう御座いました。 (*^_^*)
 
『他人の役に立ちたい』というのは、「物理的に、役に立つこと」ではなくて、
「霊的・魂的な意味で、役に立つ」という意味合いが濃いようです。

★「白光の教え」とは、全体が調和するために、人間の肉体(器)が使われることが、
肉体の私たちにとって、一番尊いことであるということのようです。(^^;ゞ

★そのような「神の行為(行い・働き)」をすることを、自分に宣言して、「神の愛」を顕現するのが「神人の役割」のようです。(^^;ゞ

【2180】「祈りの力」は凄い!(^^;ゞ

2009-07-30 02:45:55 | 思索
「世界平和の祈り」をしていると、相手の守護霊さんと自分の守護霊さんが連携をして、調和の方向に導いてくれるのだそうです。(^^;ゞ
座談会で、具体的な話が、いくつか出ました。
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★大阪駅で突然、「あなたは、英語が話せますか?」と訊ねられた。自分は話せない人だったけれども、
とっさに、目にはいった人に声をかけたら、たまたまその人が、「英語を話せる人」だった。(^^;ゞ

これは守護霊さん同士が連携をして、「必要なことが起きた」のであり、「調和がもたらされた」といえる。(^^;ゞ

★バスに乗っているとき、自分の目の前で、幼児が駄々をこねていて、若いお母さんがとても困っておられた。

「助けてあげたい」と思ったのですが、どう声を掛けたら良いのかがわからなかったので、心のなかで、「世界平和の祈り」をしていたら、

次の停留所から、ベテランのお母さんが乗ってこられて、駄々をこねている幼児を、とってもうまくあやした。

若いお母さんは、途方にくれていたので、涙ぐんでおられた。


★富士聖地からの帰りの新幹線で、隣りの席になった人が、たまたま「自殺を考えている人」だった。

そんなこととは知らないで世間話をして、「白光」の冊子を渡すことになった。(^^;ゞ

その方は、話すことによって元気になられ、自殺を思いとどまったそうで、翌日わざわざ、親御さんと一緒にお礼に来られた。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

★「世界平和の祈り」をしたり、印を組むというのは、「全体が、調和しますように!」という『思い』なのです。

その『思い』のなかでは、自分の守護霊さんも他人の守護霊さんも、とても動き易いのです。

それで、守護霊さん同士の連携がしやすくなって、「調和(シンクロ)」が起こるのです。(*^_^*)

【2179】私は、本当に「他人の役に立ちたい」と思っているのか?(^^;ゞ

2009-07-29 05:21:48 | 思索
富田興次さんを拝見し、そのお話を聴いて思ったことは、(^^;ゞ

どうも私は、「自分の人生が充実すること」や「自分の人生がうまくいくこと」・「自分が立派になること」(笑)ばかりを考えていて、
「他人を愛する気持ち」や「他人を大事にする気持ち」が足りない(笑)ということです。(^^;ゞ

実ははじめ、富田興次さん(職員さん)のメタボ体型(無限なる許し!ゴメンナサイ!)を見て、ビックリしてしまった(笑)のです。(^^;ゞ

それは、自分の印を組んでいる体験から、
「日々、懸命に印を組んでいて、メタボ体型であるはずはない」(笑)と思っていたからなのです。(^^;ゞ

でも、お話を伺ってみますと、富田さんは、昌美氏に同行して世界各国を周り、
人類を浄める神事のお手伝いをされていたそうですし、

職員として、世界平和のために具体的に働いてこられたので、私などよりはよほど大きく、(^^;ゞ
他人への愛情(人類の平和)のための働きをされてきたのです。

そう思ったとき、私は「人を、外見で判断をしてはいけない」(笑)と強く思いました。(^^;ゞ

「人間の意味と価値」(?)は、その人の『働き』で、測らなければならないと思ったのです。 (^^;ゞ

「体型」は業の現われに過ぎなくて(笑)、「消えてゆく姿」であると思いました。(^^;ゞ


★話をもとに戻しますと、私はまだ、「他人のために役に立つこと」が、真に崇高なことだと思えておらず、
実行できていないと思うのです。

【2178】美しい言葉(肯定的な言葉)のみが使われる社会(人類は、因果律を超えた)

2009-07-28 05:00:25 | 思索
26日の大阪支部講話会は、富田興次さんのお話でした。私の印象に残った部分だけ書きます。(^^;ゞ
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

①「平和な社会」とは、どのような社会だと思いますか(^。^?

それは、美しい言葉(肯定的な言葉)のみが使われる社会です(*^_^*)

美しい言葉(肯定的な言葉)のみが語られる社会は創造的で、確かに「平和な世界」だと思うのです。

それを実現するためには、まず自分が、
肯定的な言葉、美しい言葉、ポジティブな言葉を使うように心掛けることが大切です。(*^_^*)

② 10人程までのグループで行うワークショップ

紙の上のほうに、各人の写真(ポラドイド?)を張る(代わりに「名前」を書いてもよい?)。
紙の下方に、その人への褒め言葉を書いて、順に隣の人に渡す。

それを繰り返えすと一周して、自分への褒め言葉が沢山書いてある紙が、それぞれの手元に戻ってくる(*^_^*)

その紙に書かれている「褒め言葉」を読むと、胸がいっぱいになるほど感動する。(*^_^*)

だれでも、『とても嬉しい気持ち』になる。 『嬉しくて仕方ない気持ち』になる。

その紙が『宝物』に思えてくる。 

だれにとっても、自分を癒す『最高のプレゼント』になる。(*^_^*)


■なぜ感動をするのかというと、その褒められた内容が、その人の『本当の姿』だからです。(*^_^*)
自分の『本当の姿』に気づいて感動し、嬉しくなるのです。

③ 富士聖地で行なわれた、白光の数々の行事の成功を経て、人類は、因果律を超えました。
 人類は滅びないことになり、富士聖地が4次元(神界)になったのだそうです。

④『宣言を伴った「呼吸法の唱名」』は、地球を浄める方法で、
 以前は、五井先生がお一人で、それをなされていました。

④ 維持会員が、リーダーのリーダーのリーダーと呼ばれる理由(わけ)は、
「印を組むことによって、地球を救う役目」を担っているからです。

その後ろ姿(?)が、リーダーのリーダーのリーダーなのです。(^^;ゞ

⑤ 維持会員には、他の宗教を区別する意識が、まったくない。 
                                     (文責・知足)

大阪支部講話会(ライブラリ

【2177】社会システムの変革(「人々が助け合って生きる社会のシステム」への移行)

2009-07-28 04:08:38 | 思索


最近の新聞には、高速道路の無料化や高校の授業料の無料化、児童手当の増額などの記事が多く載っていて、
税金の使い方(分配)が、大きく変化する兆しを感じます。(^^;ゞ

以前に、ベーシックインカムについて書きましたが、税金を個人への還元給付するシステムの充実をもっと図って、
「人々が助け合って生きる社会のシステム」を作るべきだと思うのです。

住宅費の助成や医療費の無料化なども勧めればよいと思うのです。

ベーシックインカムとは、
『一定額の所得を、すべての人々に個人ベースで無条件に(資力調査も就労条件も課さずに)
交付しようという構想である』

下の『ベーシックインカムの世界』(Chikirinの日記)の内容は、とても興味深いです。(^^;ゞ

『ベーシックインカムとは』

『ベーシックインカムの世界』(Chikirinの日記)

【2176】宇宙とは、この「意識」のことであり、それは「今」だけにある

2009-07-27 00:12:06 | 思索
ところで、「刹那・永遠・唯識」という表現は、適切なのでしょうか(^。^?

この言葉のベースは、
『未来なんて存在しない。 あるのは永遠に続く今だけ!』でして、その上に、
『全宇宙は、心において存在している(唯識)』=『すべては、心の見ている夢』を加えて造ったものです。

ですから、「刹那・永遠・唯識」とは、
『宇宙とは、この「意識」のことであり、それは「今」だけにある』という意味です。

「永遠」という言葉に実体はなく、それは概念(観念)なので、
「唯識・刹那」という表現でもいいと思うのです。

それで、いままで書いた「刹那・永遠・唯識」を「唯識・刹那」に変えたいと思うのです。(^^;ゞ

たとえば、以下のようになります。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

■私たちは、もうすでに、「唯識・刹那」を実践して生きています。

■自分が、「唯識・刹那」で生きていることに、気づくことが出来れば、
「固定した自分」という思い込みから開放されて、心が自由になり、 生きる勇気が湧いてきます。

■「消えてゆく姿」と「唯識・刹那」は、どちらも事実を語った言葉です。

【2175】覚悟は必要か(^。^?

2009-07-26 08:00:31 | 思索
いままで何回かは、このプログで「覚悟」について書いたと思うのです。 (^^;ゞ
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

★【自分(私たち)は、「心に映った世界」を、「在る」と思って生活し生きています。

それはすでに「実践されていること」です。

「すでに実践できていること」をするのに、「覚悟」がいるのでしょうか(^。^?


★「すでに実践できていること」によく似ている形態が、「消えてゆく姿」です。

自分(私たち)は、意識するしないに関わらず、「消えてゆく姿」をやって、生活し生きています。

日々の「消えてゆく姿」をやることに覚悟は要りませんが、

「大きな不幸」と思えるような「消えてゆく姿」に遭遇したときは、「覚悟」を決めることが必要かも知れません。 (^^;ゞ


★この場合の「覚悟」を考えると、「把らわれない」という覚悟を持つことが、

「消えてゆく姿」に立ち向かうための、もっとも有効な方法です。


★「消えてゆく姿」と「刹那・永遠・唯識」は、どちらも事実を語ったことなので、
同様に考えることが出来ると思うのです。(^^;

 「事実」を「事実」と受け入れることが、「覚悟」だと思うのです。

【2174】「心に映った世界を、在るように思って生きる」は、事実だから、実践済み

2009-07-26 04:34:02 | 思索


【2173】で、『「刹那・永遠・唯識世界観」を生きるという実践』と書きましたが、

私たちは、もうすでに、「刹那・永遠・唯識世界観」を実践して生きています。


★ほんとうは、「刹那・永遠・唯識世界観」ではなくて、「刹那・永遠・唯識」なのです。

それは「世界観」ではなくて、「事実」なのですから。

「実践する」ではなくて、すでに「実践されている」のです。


★自分が、「刹那・永遠・唯識」で生きていることに、気づくことが出来れば、
「固定した自分」という思い込みから開放されて、心が自由になり、 生きる勇気が湧いてきます。

他人にも、活き活きとして欲しいと思うようになります。

「自他のいのちの輝き」が増すことに、全力を注ぎたいと思うようになります。(^^;ゞ
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

★自分(私たち)は、もうすでに、
『心に映った世界』を、「在る」と思って生活し、生きているのです。

自分(私たち)は、もうすでに、
『心に映った物や事象』が、「外界に在る」と思って生きているのです。

「実践する」のではなくて、もうすでに「実践している」のです。

【2173】すべては、心の見ている夢です

2009-07-26 01:44:29 | 思索
先に、答えを書きます。(^^;ゞ

『「全宇宙は、心において存在している」とは、いかなることか?』を再考すると、

『すべては、心の見ている夢』・『人々は、「自分の夢」を見ている』となります。

人は、「自分の心の中」に住んでいて、それぞれが「自分の夢」を見ているのです。

これが、事実です。(^^;ゞ


すべては、「心の見ている夢」であり、
すべては、「個人の心の見ている夢」なのです。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

【2163】の『「全宇宙は、心において存在している」とは、いかなることか?』が、まだどうしても、

腹に落ちないのです。「納得のできる世界観」が描けないので、覚悟が決まらないのです。(^^;ゞ

それで再度自分に、『「全宇宙は、心において存在している」とは、いかなることか?』と問うて、
素直な答えを聴いてみました。

★その答えは、『すべて(宇宙万物・森羅万象)は、心が思い描いていること』でした。

すべての中には、「物・食べ物・お金・家内・親・子供・・・・状況・病気・けが・健康・性交・死・生・誕生・・・」など、
ありとあらゆる物がなんでも入ります。 「自分の環境のすべて」です。

「心」と「外界」の関係が、構造的にそうなっているのは事実です。

その事実に基づいて論ずれば、
『個人個人は、自分の心の中に住んでいて、それぞれが「自分の夢」を見ている』も事実です。 

哲学は、この「心と外界の構造性」について語ったものです。


★この「構造性」について、安易に考えてしまうと、単に「思い込みは、やめましょう!」という教訓になってしまう(笑)のですが、哲学や宗教がめざしていることは、そういう処世術(?)(笑)ではないと思うのです。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

それにしても、私たちのだれでもが、
■何事においても、自分で思い描いて、自分で「苦しんでいる」のは、確かです。

■自分がこだわる分だけ、自分が「苦しむ体験」をするのも事実です。(^^;ゞ

■こだわりがなければ、ただ淡々と、流れるように、なすがままに、
すべてを受け入れて生きてゆけば良いだけのことなのです。(^^;ゞ

すべては、心の見ている夢なのですから。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

★上の文の語句を入れ替えてみると、もう少し広い心境(笑)が味わえます。
 「苦しみ」を、「楽しみ」に変えるのです。(^^;ゞ

■何事においても、自分で思い描いて、自分で「楽しめる」のは、確かです。

■自分がこだわる分だけ、自分が「楽しむ体験」をすることができます。(^^;ゞ

■こだわりがなければ、ただ淡々と、流れるように、なすがままに楽しんで、
すべてを受け入れて生きてゆくことができます。(^^;ゞ

すべては、心の見ている夢なのですから。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

★そして上のことは、
『未来なんて存在しない。 あるのは永遠に続く今だけ!』や、
『自分しか、いなくて、今しか、ない。(世界とは、今の自分!)』という事実とも、
合致した世界観だと思うのです。


★そしてそのあと、「私の問題(テーマ)」となるのは、

その「刹那・永遠・唯識世界観」を生きるという実践です。

【2172】「考えること」が、面倒になる! 成就!(^^;ゞ

2009-07-25 05:20:04 | 思索
【2171】を書いてから、ちょっとした変化(笑)が起きました。(^^;ゞ
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

★『「信じる」とは何か!?』 という言葉の意味を吟味した結果、

『「未来のこと」は、「未来」にませれば良い』と判ったので、「考え」が飛んでしまったのです。(^^;ゞ


★私は、一生懸命に(笑)「果因説で祈っている」のだから、「結果」は、神にまかせればよいと思えたのです。(^^;ゞ


★「祈り」と「印」は私の仕事、「結果」は、神(守護霊)の仕事だったのです。


★『神さん(守護霊さん)、私は、その「結果」に従いますから、しっかりして下さいよ!」、あるいは、

「しっかり、経験させてもらいますよ!」でよかったのです。(^^;ゞ


★それなのに、「まだ起きてもいない事柄」に対して、「ああだこうだと考える」のは、早とちりでした。(^^;ゞ

考え過ぎであり、神(全体・調和)を信じていないことであり、神(全体・調和)への冒涜(笑)だったのです。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

★上の文を書いていて、自然に「神(全体・調和)」と書いたのですが、(^^;ゞ

『神=全体性=調和=統合=エネルギー=「消えてゆく姿」=経験=生きていること=すべて必要。すべて良し=
起きていることは、すべて正しい=・・・』だと思うのです。

そして、「神(全体・調和)」」をスムーズに表わすための方法が「祈り」と「印」なのです。

「祈り」や印」をしたからといって、経験(神・「消えてゆく姿」)が生じないわけではないのです。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

★それともうひとつ、上の文のなかで、

『未来を思い煩うのは、神を信じていないこと』という内容のことが書かれていますが、

これが「信じる」という言葉の意味だと思うのです。


つまり、「神(全体・調和・「消えてゆく姿」など)の存在(事象・有り様)」を容認できないことが、
「信じられない」という内容、そのこと自体なのです。

「信じる」とは、「神・存在・経験・・・・」を信じることなのです。


私が、「完全な受容・全肯定・全容認」を出来ることが、「信じることが出来ていること」だったのです。


★数日前に、試供品の缶ビール(発泡酒)を飲んだのですが、

その時、頭がふわっとなって、「考えるのが面倒になる」という体験を、久し振りにしました。(^^;ゞ

アルコールを飲むと、この感覚になることを忘れていました。(^^;ゞ

この「感覚」を思い出して、「活かせばよい」のだと思いました。

なんでもすべては、「必要な経験」ですね。 

「思考」が曖昧になるのが嫌で、遠避けていた酒類にも、意味と効用があることが判りました。(^^;ゞ

【2171】「時間」のなかにあって、「信じる」とは何か?(「信じること」が出来ていない私を分析する)

2009-07-24 02:44:46 | 思索
『どうして私は、気分に左右されて、落ち込んだり、有頂天になったりするのか?』の答えは、

「神(全体)を、信じることが出来ていないから!」です。(^^;ゞ

そのとき、私は、『信じることが出来ていない私』を発見しました。(^^;ゞ

「信じる」と「疑念」の関係を考えてみました。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

★「時間」と「信じる」の不思議な関係を発見しました。(^^;ゞ

私は、祈りの中で「絶対に大丈夫! 全部売れる!」と唱えてはいても、その一方で、

「うまく行かないのではないか?惣菜が、残るのではないか?」と、否定的に思っている自分を発見したのです。(^^;ゞ


★つまり、祈ってはいても、その時の私は、『疑念』を抱えていたのです。 「信じる」ことが出来ていなかったのです。(^^;ゞ


★『信じる』とは、何なのでしょうか?

『将来、必ず成就すると思えること』です。『全部、売り切れる』と思えることです。

『疑念』とは、「成就しないのではないか?」という否定的な思いのことです。


★「信じる」とは、「今」のことです。「今、信じる!」ということなのです。

そのとき『今、信じることのなかに、すべてがある』という考えが浮かびました。


★「時間」と「思い」と「信じる」と「成就」の関係は、そういうことだったのです。(^^;ゞ

『信じる』とは、成就を願いつつも、「未来のことは、未来に任せる」ということだったのです。(^^;ゞ


★要は、今の自分が、未来に対して、「絶対に大丈夫」と思えば、それで良いのです。(^^;ゞ

「未来のこと」は、「未来」にませれば良いのです。(^^;ゞ


★「未来」を、否定的に捉えるのか、肯定的に捉えるのかという選択を、

瞬々刻々に迫られながら、生きているのが私たち(時間の住人)です。


★「時間の住人」でしかない私たちは、「信じる」と「疑い」の間に、「自分の思い」を行き来きさせて生きています。

★そう考えると、「信じる」とは、「期待された未来」を願うと同時に、
「未来のことは、未来にまかせる」ということでもあったのです。

★つまり、「信じる」とは、肯定的な想念を持ちながら、「未来のことは、未来にまかせること」だったのです。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

*以上、断片的に書いたのですが、まだ全体がスムーズにまとまっていません。(^^;ゞ

【2170】「一喜一憂」から、抜け出す方法はあるのか(^。^?

2009-07-23 02:43:39 | 思索
一昨日は、あまりに売れなかったので、実を言うと「落ち込んでいた」(笑)のです。(^^;ゞ

ところが一転、昨日は、とても良く売れて、最後には商品が足らなくなり、
せっかく買いに来て頂いたのに、お断りすることになってしまいました。(^^;ゞ

今回のようなことは、いままで何回も経験をした「商売の風景」なのですが、(^^;ゞ

その時々の状況に一喜一憂してしまう自分が「恥ずかしい」です。(^^;ゞ

どうして私は、気分に左右されて、落ち込んだり、有頂天になったりするのでしょうか。(^^;ゞ

『現場』に入って、どのように感じ考えるべきなのかを、探っておかないと、

「状況に、一喜一憂する自分」から抜け出すことは出来ないと思うのです。

【2169】思い描いたことが、すぐに実現する「4次元の世界」が出現!?

2009-07-22 05:06:06 | 思索
7月5日に富士聖地で行われた『果因説による大成就の共磁場を造り上げる行事』には、
4500人の方が参加され、『光明の共磁場が大成就した』そうです。

そして、全国各地の各々の『世界各国の平和を祈る集会』の質が、格段にあがったのだそうです。


★【「思い描いたこと(願望)」を叶えたいと思って、維持会員になったのではなく、(^^;ゞ

自分の素直な気持ちに従って、『平和を祈る集会』や『講話会』に参加しているうちに、

白光真宏会の活動(?)の方向が、「光明(世界の平和)をこの世に実現させること」であった(?)ために、

そのようなこと(光明の共磁場が大成就)になった】・・・・と、私は理解しています。(^^;ゞ


★このプログの始めのころにも書いたのですが、私が維持会員になったのは、「印」に興味があったからです。
そして、いままで、自分の興味(本心?)のおもむくままに、『平和を祈る集会』や白光の行事に参加し、
講師のお話も沢山聴いてきました。そんな5年間でした。(^^;ゞ

★ところが、どうでしょう。(^^;ゞ
昨日は、午後2時から一人のお客さんしか来ず、その日のうちに売らなければならない商品(和風そうざい)が、
私が果因法で祈ったのにも関わらず、沢山残ったのです。(^^;ゞ

これはとても問題です。(^^;ゞ
『果因説による大成就』が成り立っていません。(^^;ゞ


★『売れないこと』も「消えてゆく姿(カルマ)」であるとか、

『売れないのは、「祈り」が足りなかったからだ』とも言えるのですが、 

そして、事実、その通りかも知れませんが、 それでは、
ダブルスタンダード(対象により異なる判断基準を使い分けること・二重基準)です。(^^;ゞ

【このとき、以前に息子が、「ダブルスタンダードだ」というコメントを書いてくれた意味が始めて解かりました】(^^;ゞ

★だだ、弁解をすれば、(^^;ゞ 「ダブルスタンダード」にならざるを得ないのは、

「真理(果因説による「世界(この世)」の把握)」と、
「現状(事象は「消えてゆく姿」であるという世界観)」は、別の論理(スケール)だからです。


★それでも、私も、そういう「成就させるエネルギー(祈りと印)」を意識できるのですから、

「祈りが足りない」とか、「消えてゆく姿」であるという現状の把握をしながらも、

自分のなかの「光明の世界」を実現させるために、

『宣言を伴った呼吸法』や『呼吸法の人類即神也の印』を、今後も行じていきたいと思うのです。


★「良い結果を思い描くことによって、良い結果に至る」という果因説の方法によって、

『光明の世界』を実現していこうと思います。


★私に出来ることは「光明の世界」の実現を願って、「世界平和の祈り」をしたり印を組むことです。(^^;ゞ

その結果を、どのように現実化するのかは「神の仕事」です。


★『起きていることは、すべて正しい』というのが、真理です。(^^;ゞ

【2168】『日本は世界第三位の地熱エネルギー大国』

2009-07-21 00:18:02 | 思索
少し前に放送された『サイエンスゼロ』(NHK)を見て始めて知ったのですが、
『日本は、世界第三位の地熱エネルギー大国』なのだそうです。

地熱発電量が世界第3位の日本にとって、
地熱発電は将来有望な自然エネルギー源なのだそうです。

『探索技術により掘り当てる技術の精度が高まれば、日本でも地熱発電拡大への弾みが付きます。
現在、日本はタービン王国と言われるまでに成長し、ここ数年は世界各国からの注文が相次ぎ、
市場の70%以上でトップシェアを占め続けているのです。
ということで、地熱発電量が世界第3位の日本にとって、
地熱発電は将来有望な自然エネルギー源と言えるのです』

『日本には世界第3位の地熱エネルギーがあるとされていて、そのエネルギーを使えば、
日本の電力の3割近くを補えるると言われています。すぐに開発可能なものだけでも1300万キロワット、
原発13基分の地熱エネルギーがあると言いますから、すぐにでも開発を始めるべきだと私は思います』

「アイデアよもやま話 No.1249 日本は地熱発電王国!」

「日本の地熱エネルギーを活かせ」

【2167】鍵盤ハーモニカの体験教室

2009-07-20 04:25:48 | 思索
12日に、アメリカ村にある楽器店が開催している、鍵盤ハーモニカの体験教室に参加しました。

奏法やアドリブの方法など、普段疑問に思っていることを色々と教えてもらいました。

毎日、楽器を手にして練習をすれば、かなりハードに弾きこなせるという感触を得ました。(^^;ゞ

強く吹くとかなりの音量も出ますし、音の強弱の幅も増すので、魂の入った演奏(笑)も出来そうです。(^^;ゞ

「呼吸法の印」を続けて組む合間にでも、気分転換に弾いてみようと思っています。(^^;ゞ
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

★息を吹き込んだまま指を動かして、音を切らないでスラーで演奏をすると、雰囲気のいい演奏ができます。

★Amの曲を流しながら、白鍵を適当に弾けば、アドリブ演奏が楽しめます。

体験教室の後、近くのデパートの広場で先生の演奏会がありました。
最後に演奏された『フライミーツーザムーン』が良かったので、
図書館でその曲の入ったジャズのCDを借りて少し練習をしたら、アドリブ演奏を楽しむことができました。

★鍵盤ハーモニカは、安い物(4000円ぐらい)の方が軽くて扱い易く、気軽に使えて楽しいです。

★どのような楽器でもそうなのでしょうが、音色に意識を集中して、気持ちの趣くままに演奏をしている時は、
 「統一」をしている時と似た恍惚感があって、心地が良いです。

「いつまでも、そうしていたい」というリラックス感に浸ることができ、癒されます。(^^;ゞ